ハンドルを握る日
car:clown
music:little green monster いつかこの涙が
乾いた電子音の後に、遠くの所属を呼び出す無線が聞こえる。
一件一件のこの呼び出しの先に、人の不幸があるのかと思うと、気が滅入りそうになる。
気が滅入りそうになるといえば、運転席座る男をチラリと横目に見る。
6個年上の部下。優秀な部下。なんなら、密着24.時でちょいちょい特集されてて、イーグルアイなんて大層な呼び名を付けられている部下。
この部下は、この都会と田舎が入り混じるこの県の、自動車警ら隊、通称自ら隊の職務質問検挙率No.1のエース隊員である。
検挙率も、検挙罪名もそれは華々しいもので、私が異動してきて早3ヶ月、ほぼほぼ私は彼の運転する助手席に座り、彼が、声をかけましょうと言った人間に声をかけて、そして、それは大体何らかの犯罪者であることが常で、最低限の書類を作り、声をかけた所轄の警察署に事件を引き継いでいるだけで、勤務が終わるのだ。
性格は無口で真面目、非番の洗車は誰よりも時間をかけてツートンのクラウンを磨き上げている
それに引き換え俺は、元刑事官だった自ら隊長に縁故で引っ張られてきた若造警部補。
巡査部長での刑事課時代は取り調べでの駆け引きが下手でパッとせず、取り調べよりかは、事件をまとめて書類を揃えて、裏付けを取るそんな作業の方が性に合っていた俺に、遂に、ほぼほぼ事件の取り調べが仕事の主である、警部補になってしまった俺は刑事課から声もかかる事なく、署のパトカー乗務員として、燻っていた。そこを取り立ててくれた隊長には感謝しなければならないのは分かりつつも、3ヶ月の間感じ続けているお荷物感が隊長への
“なぜ俺を引っ張った”
という不満にそろそろ繋がりそうな時期でもある。正直刑事課に捨てられたという気持ちもある。確かに、取り調べは下手だったが、それ以外は必死にこなしてきたつもりである。が、新しい仕事である自動車警ら隊の仕事に何か貢献できている実感はない
乗り込んだ車内で助手席のシートに背中を預けると、背中には硬い感覚がする。
シート自体は合皮貼りのシートだが、俺たち警察官の背中には防刃チョッキという鉄板入りのベストがあり、ついぞ、高級車であるクラウンのシートの柔らかさは楽しむことができない。
青色のワイシャツがじっとりと湿る感触に居た堪れなさを感じると同時に
“班長、さっきの声かけですが…”
始まった。彼の講義だ。
彼は一つ一つの職務質問の後に、運転しながら俺の発言タイミングや仕草目線、着眼点に至るまで、それはそれは冷静に細かく改善点を上げるのだ。そして、最後に
“まぁ、これは私の場合というわけで、今お話ししたことが全てだというわけではないのですが”と締めくくる。
まるで若造上司に配慮しています。というようないいっぷりに腹が立ちそうになるものの、ただ、ここで怒るのは上司として人間として最低だし。さらに言えば、指摘に関してはそれはもう的確で、腹立たしいほど的確で。
なんなら悔しすぎて降車した後ノートにまとめているくらい………的確で。
ああ、気分と心が重い。
正直、人生で、挫折という挫折をしてこなかった俺としては正直この手も足も出ない状況がかなり辛い。
鬱々とする気分でいてもクラウンは静かに流れるように街を駆け抜ける。
白と黒のツートンの唯一無二のカラーリングが普通の車とこのクラウンに、一線を画させ、そして、なんなら他の車が海を破るように道を譲っていく。
“飯にしましょう”
基本、自ら隊の仕事は夜から始まる。まぁ、薬物中毒者や泥棒などは宵闇に紛れて行動するからだ。
少し早い夕飯を隊舎の事務机の上で掻きこむ時も、部下の口数は少ない。職務質問の時はあんなに饒舌なのに、二人きりの時に雑談をしようとした事もあったが、基本的に盛り上がる事なく、会話が終了してしまう。
虚しくテレビの音楽番組の司会の声が響く。
平成JPOP特集呼ばれる番組に、自分の青春時代に流れていた音楽が流れ、自分が年をとった事を否が応でも感じさせる。
ふと、耳に止まったイントロに、緩やかに俺は目線をテレビに向ける俺が小中高とサッカー少年だった俺の目標にしていた大会のテーマソングだった曲
“いつかこのなみだが 仲間とぶつかり合った日々が 勲章にかわる”
俺が、ここで過ごす日々は勲章になるのだろうか?いやむしろ、今まで過ごしてきた警察官としての日々は勲章になっているのだろうか
陰鬱な自問自答に縋るように外に止めたパトカーに目を向けると、ちょうど
“班長、少し早いですがでますか”
と鞄を持ち上げ、出発の準備を整えた姿で、可否を問う様相を整えているものの、有無を言わない状態で問いかけてくるのに、最低限の返答して、白と黒のクラウンの助手席に寄っていく。
そうそう、来て1ヶ月経って着隊が同時期の人間たちがパトカーの運転をし始めた時に、俺も運転しますよと部下に声をかけたのだが、にべもなく断られたのだ。
以降、運転については触れる事なく、そう、おれは、ずっと助手席にいるのだ。
同じく電子音の後に近くの所属を呼び出す無線が流れ、飲酒運転の末の事故を知らせている。
俺は、昔の記憶に引き摺られて眉を顰める。
俺がまだ若手と呼ばれる頃、交番勤務をしていた俺は、たまたま飲酒運転している男を捕まえた。切符を切って、飲酒運転は犯罪だという説明をし、家族に車と犯人を引き渡し、いつも通り取り締まりを終えたその、4日後、ソイツは飲酒の上死亡ひき逃げ事故を起こした。
俺は、夜中の電話で叩き起こされ、事故の発生と、犯人について聞かされた。車を残して逃走していることから、数日前に取り締まりをした俺に覚えていることはないかと掛かってきた電話に、とりあえず思い出せる全てを伝え切った時、スマホをもつ手は汗でびしょ濡れで、背中にシャツがピタリと付いていた。
俺がもう少しなんとかしていたら良かったのか。でも、もう飲酒運転するクソなんて俺の話なんてきかない。と悩んで以降、飲酒運転の取り締まりに、ものすごい苦手意識を持つようになった。
“飲酒運転嫌いですか”
珍しく部下から質問が来たことに驚き、そのままこの件について話すと、
“じゃあ、飲酒運転取締ましょう。取締しても、減らないかもしれませんけど、しなきゃ増えますから”
と想いもよらない返答が帰ってきた。
へぇ、取り締まりもできるんですね
俺が半ば嫌味のように言うと
“いや、班長出来ないですか?俺、取締ほんとダメで”
と、苦笑する。
人間らしい表情にぽかんとしてると
“や、俺職務質問しかしてこなかったんで、他のことはからっきしで、班長と組ませて貰ってるのも多分、書類作成が壊滅的だからかと”
そ、そうなんだ
いきなり饒舌に喋る部下にどうしたのだと思ってると
“すみません。突然多弁になって気持ち悪いですよね”
と部下がうつむき、車内にウィンカーの軽快な音だけが響く
ここで、会話をやめたら多分一生この人と分かり合えない気がして、
いや、なんで俺が飲酒運転嫌いってわかったの?
と答えざるを得ない質問を投げかけた。
“ああ、大体わかります。息子さんは小学校低学年、班長や高校サッカーやってましたね、多分、左足怪我しました?それでサッカーをやめました?表情は出にくいですが、眉に出ます”
“あ、苦手な食べ物は水菜ですね”
俺はこの発言に絶句する。何一つ部下に話したことのない自分のことが部下の口から詳らかになっているのだから。
絶句する俺に部下はハンドルを握って遠くから対抗で来る車を何やら確認しながら疲れたように喋り出す。
“お子さんの方は、弁当で使ってる箸箱ですね。息子さんの名前ひらがなで書いてあって、あのキャラクターが流行ったのは訳3年前。となると幼稚園の年長で使っていたとして、小学校2.3年ですね。サッカーは今日わかりました。平成ヒットソングの時に唯一手が止まったのが高校サッカーのテーマソングでしたから。あ、これで年齢もわかりますね。左足は走る時と階段降りる時庇ってましたね。水菜はサラダコンビニの開けた時に一瞬止まってましたね”
気持ち悪いでしょう?俺には人がこうやって見えてるんです。まぁ、だから、イーグルアイなんて大層なあだ名貰っちゃったんですがね。
対抗のライトが照らした部下の顔はなんだか自嘲というか疲れが滲んでいて、
すごいね。そんなふうに見えてるんだね。
それで人間関係見えすぎて疲れてしまったことがあるんだね
と言うと、
まぁ、そうですね
と、さらに疲れが増したような声がする。
あまり、私的なこと話したことなくて寂しい気持ちだったけど、なんとなく理解してもらえてたなら安心かな
俺が苦笑すると、ばっと部下はこちらを見て、口をモゴモゴした後、
“あいつ気になります”
とハンドルを大きく切ると、クラウンはそれは素晴らしい性能で綺麗な半円を描いてターンを決める。天井についた赤いライトを点灯させると、夜の暗闇に赤い灯台のような光が広がる。
さて、彼の目には一体何が見えたのだろうか。
そう思案する間もなく、クラウンの速度が緩まる。俺はいつも言われた通り、止まる直前にシートベルトを外し、運転する部下の
“はい”
という静かな声を合図に、対象に声をかける。きっとコイツも何か持ってるんだろう。
夜中3時のパトカー内には気だるげな空気が流れる。
や、持ってたねー
“そうですね、持ってました”
俺たちが声をかけた男は覚醒剤を隠し持っていて逮捕になった。見つけて逮捕するまでの書類を作り、所轄の刑事に書類の出来を確認して貰って、車まで戻ってきた
部下はもう、人を観察していることを隠していないからか
“班長がいると、刑事課に馬鹿にされないんですよね”
と呟く。どう言う意味か測り兼ねてると
“自ら隊は捕まえるだけで、事件を処理しないし、調べもしないから書類が見れたもんじゃないですよね。だから、ひどい時には下打ちができてて、穴埋めしてくださいって言われることもあるし、非番の日に訂正に呼ばれることもザラで。書類渡して、こんなのも書けないのかって侮蔑の表情を向けられことすらあるんですね。でも、班長、刑事経験あるだけあって、班長と乗り出してから、訂正呼ばれたことなくて、後輩たちが秘訣聞きたがってました”
そうなの?
思った以上にぽかんとした声が出たことに驚きつつ、なんだ、結構単純に努力は報われてるじゃないかと、気分が浮き上がる。
“あ、今度の運転訓練の後、運転変わりませんか?月末また密着取材が来るんで、その時班長が運転してたら息子さん喜びませんか?”
と、言いながらポリポリとほおを掻くかれは、さらに
“俺、異様に車酔いするんで、いつも運転ですみません”
と、自ら隊員として大丈夫かと言う発言をするが、俺としては心から安心して
あ、車酔いね!!俺の運転に命預けられないとか、信用できないとかではないのね!
と明け透けのない返しをしてしまった。そんな俺の発言に答える前に
“あ、アイツ声かけます”
また、彼は対向を歩く男に目をつける。
ちょっと待ってくれ、俺これから、この部下の声に反応してこの繁華街の狭路でUターンかます必要があるのか、、、
そんな俺の絶句に見向きもせず部下が
“はい”
と声をかけ、俺は助手席を飛び出す。
Uターンに関しては、クラウンは名車だからきっと俺の未熟な運転技術もカバーしてくれることだろう。
闇に浮かび上がるツートンのクラウンはこれから、俺と部下と二人の愛車になっていくのだろう。今日の非番は、固辞されても一緒に洗車をしてみよう。
努力は身を結び、部下の彼と仲間になり、俺が磨き上げられたクラウンのハンドルを握る日も近い。
“さて、酒取り締まりましょうか”
幾分揶揄するような面白がるような声色の部下の言葉に軽く
あれ?部長酒取り締まりできましたっけ?
と軽口を返す
“いえ、出来ないんで、傍で見てます。班長よろしくお願いします”
と忍び笑いで言い募る部下に
俺も、半年前にやってから取締してないよ
と半笑いで返す
“でも、取り締まらなきゃ飲酒運転増えますし、飲酒運転にムカつくなら、やりましょう”
人の振る舞いで物事を見抜く才能のある部下は俺の、警察人生最初の大きな後悔を引きずっていることに気がついているのだろう
……そうだね。
俺の呟きが夜の幹線道路を走るクラウンの車内に響く。
豪気で威圧的な外見に包まれた車内では繊細な人間らしさを見せるクラウンは警察官に似ている気がする。
警察官だけど人間。パトカーだけど、高級車。そんな、少しチグハグなものを抱えた二人と一台は一つのチームになりつつある事を確かに感じながら、一つ一つの不幸の芽を潰しに夜の街を走るのだ。