stay tune
car:RC300h
music:Suchmos stay tune
俺の愛車たちは、いつも手が届くギリギリ。ちょっと無理したくらいいい車に乗るのが自分のルールなのだ。
大学の時はランエボ
社会人になって20代半ばでクラウンアスリート
そこから2台クラウンを乗り換えて
30台の半ばからレクサスのNX
40になった今はレクサスのRC300h
確かに、毎回、正直身の丈に合うのか疑問な車たちだが、好きな車に乗る事が好きで、それ以外に趣味がないことも相まって決まっていつも、ギリギリ手が届く車を買ってしまう訳で。
今日も、仕事終わりにドライブして帰るのだ。
金曜の夜は、仕事帰りにドライブをするのが習慣で。一週間着て少しよれたスーツのジャケットを後部座席に投げ捨てて、赤い本革のシートに身を寄せると、一週間の苦労やイライラも解ける様な気がするから不思議なもので。
地方の高速から首都高へ、キラキラと光るお台場を横目にすると、ポツリポツリと雨粒が落ちてくる。今日の目的地品川埠頭まであと少し
今日、雨の予報だっけか。
滑る様に走る愛車のワイパーを緩やかに動かして、オーディオの音量を少し上げる。Suchmosのstay tuneが流れると、そう、確かに今日は金曜の夜だからピッタリだ。と笑えてくる。
“雨音に、混じる音楽って素敵でしょ”
助手席から、そんな声がした様な気がしてふと目を見張る。そう、雨が降ってくると少しだけオーディオの音量を上げる。これは彼女の癖だった。
車をベースにして言えば、俺がまだ初代の青色のランエボを、愛車にしていた頃に彼女と俺が出会ったのは職場で、先輩後輩とはいえ、一回りとは言わずともそれなりに年齢が離れた俺たちが初めて喋ったのは仕事終わりに雨の中傘をさして駅に歩いていこうと、する彼女に声をかけたのが始まりだった。
地方都市に勤める社会人にとって車は必需品だったが、彼女は免許はあれど、まだ車を持っておらず、電車で通勤していたらしく、方向が同じなら送って行ってあげようと何も考えず声をかけた。
彼女を自宅最寄りの駅まで送り届けることになり、駐車場に向かって歩きながら社交辞令的に会話を続け、車に着いた途端、彼女が後部座席に乗ろうとしたので、思わず
助手席じゃないのな
と突っ込んでしまったのだが、彼女は俺の言葉にハッとして、
助手席は、いつもお母さんが乗ってるので、癖で!
と恥ずかしそうに笑って、失礼します。と言いながらそそくさと愛車の助手席に乗り込んだ。
ああ、彼女は誰かに車に乗せてもらった事がないのかもしれないな。とか、ご両親の仲がいいんだろうなとか、考えながら運転席に乗ってエンジンをかけるとエンジン音に驚いたのか、一瞬目を見開くと、車内をキョロキョロと観察し始めた。
うるさい?
と、問う俺の言葉に緩やかに首を振りながら深い音がするんですね。と言う姿を横目に見ながら車を走り出させる。
駅まで送ると言ったものの、どうせなら近くまで送ってあげようと、自宅の場所なんかを話しして、近くのコンビニで下ろす算段をつけると、ふと、会話が途切れる。
ワイパーの作動音とエンジン音だけが車内に響いて、先輩な訳だし、なにか、話を振らなければと思うものの、それなりに年齢の離れた彼女に合う話題が分からず思案していると、
“この車の青、雨によく似合いますね”
と彼女が独り言の様に小さく呟いた。
俺は、どちらかと言うとつよい日差しの中の青が太陽光を反射させているのを見るのが好きだったが、愛車を褒められて嬉しくないわけはなく、
そう?
とそっけなく返事したものの、そう?の2文字に満更ではない喜びが乗ってしまったのは、車好きのサガだろう。
車の話ならいくらでもできると自負する俺は、彼女に、車を買わないのかと聞くと、彼女は、どんな車がいいんですかね?先輩は車好きなんですね?と俺に会話を続けさせる糸口を見せてくれた訳で、それから用途と外見を兼ね合わせた愛車の選び方について話したり、俺がマーチをおすすめしたのに、
“マーチってどんな車ですか”
なんて言う、目を剥きそうになる質問を返され、大爆笑のまま、若い子は車わかんないよねと言うと、なぜか彼女はムッとしたように、
“クラウンなら見ればわかりますよ!アスリートって種類で昔のカクカクしたクラウンじゃなくて滑らかでツヤツヤしててかっこいいんですよ!”
と反論してくるものだからまた余計におかしくてゲラゲラと笑ってしまって涙を浮かべて笑う俺を恨めしそうに見つめる彼女の顔がまたおかしくて笑いがひいた頃には彼女もずいぶん打ち解けて、なんだかんだで時間はすぐに経って、彼女の家のコンビニの駐車場に着く頃には雨も上がっていて、彼女は俺にお礼を言うと買い物があるのでとコンビニの店内に吸い込まれていった。
俺は彼女と別れて、一応車内で我慢していたタバコを吸うためにコンビニの外にある喫煙スペースからふと店の光に照らされた雨粒がボディーに残るランエボを眺めると確かに綺麗だと思うと同時に
“先輩、これ帰り道に飲んでください”
と申し訳なさそうにブラックコーヒーを差し出してくる彼女が側に居て、それを受け取りタバコを消してそそくさと挨拶をした後にバックミラーで彼女の姿を見ると、その手には車から降りた時と同じバックが一つ下げられているだけで、小さくこちらに手を振って、お辞儀をしているのが写っていた。
買い物はこのコーヒーだけだった訳で、なんとも言えないくすぐったさでプルタブを引くと、なんだかいつもよりコーヒー缶の開く音が車内に響いている気がして、静かにエンジン音を聴きながら自宅までの道を走った。
その後彼女と俺の関係が劇的に変わるなどとはなくて、大学時代から大切に乗っていたランエボにガタが来て、新しい車を何にしようかと、インプか、フーガか、いっそフェアレディか!なんてカタログを集めていそいそと次の車の思案をしていても、雨の日の帰りに、彼女と玄関で行き合うことはなく、晴れた日に行き合えば、お疲れ様でしたの一言で、駐車場と駅に向かってそれぞれ歩いていく訳で、雨の日をそわそわ待つものの
また、乗っけてくよ
の一言をかけるタイミングが来ないまま、俺は車を買い替えた。
クラウンアスリート
にだ。
断じて彼女の影響ではないのだが、街中で嫌にクラウンアスリートに目がいく様になり、確かにいい車だし、俺の届くギリギリの車に乗りたいと言う欲に忠実な車だしと次の愛車をクラウンアスリートに決めたのだが、何度も言うが、俺が好きだから、選んだ訳で、車もよくわからない彼女に影響を受けた訳ではないのだ。
そしてそのうち、会社の駐車場に赤いマーチが停まるようになった。車好きの俺は会社の人間が何に乗ってるかは全把握している訳で、車を変えた人はおらず増えた訳だから、きっと彼女の車なのだろうと思い、アドバイス通り車を買ったのかといい気分になったのに、一瞬心を掠めたもやっとしたものに気がつかないふりをして、駐車場を離れた。
1日雨の予報のある日、いつも止まっているマーチがいない。
朝一番駐車場の車を見て今日休みの人を把握する癖で彼女は休みか。と思いながら職場に行くと、なぜか彼女の姿があり、1日がソワソワとしたものになりながら夜を迎えて、仕事終わりに一服をしていると、彼女が帰り支度をして傘を片手に玄関から出てきた。
“お疲れ様でした”
彼女が、マーチと同じ赤い傘を広げて通り過ぎようとした時、前回の社交辞令で送っていくと声をかけたときとは少し気持ちが違くて、
彼女を愛車に乗せたい。
彼女は俺の車になんて感想を言うか聞きたい。
と言う気持ちが膨れて
送るよ
と言う短い3文字が俺の口を突いて出ていた。
クラウンの助手席に所在なさげにちょこんと座る彼女に、この前のコンビニでいいかと聞くと彼女は小さく、はいと答えて、助手席の窓から街の明かりを眺めていた。
ランエボの時の様なエンジン音はせず、静かに滑る様に走る車内は静かで雨粒がフロントガラスを叩く音がよく響いていた。
オーディオをつけると、とある車のCMに使われた音楽が流れてくる。死ぬほど恥ずかしいが、ドライブデートの音楽とネットで検索して出てきた音楽をダウンロードしてあったもので、流した途端、何がデートだ馬鹿野郎と自分を罵倒してしまった訳だが、なんだか自分の行動や心がちぐはくでこれがどんな気持ちかも定まらず無言になった俺に
“車、買い替えたんですね。ふふ、クラウンに”
彼女は忍び笑いを含ませて俺の方を向きながら話しかけてきた
ああ、あの車大学時代から乗ってたからね
思いの外そっけなく聞こえてしまった声色に慌てだものの彼女は
そうなんですね。何年乗ったんですか?
と質問してきて、7年一緒に過ごした事を話すと彼女は早い車なんですよね、調べました。と返してきたから、大学時代に付き合っていた彼女から会いにきてほしいと言われ、広島から静岡までをぶっ飛ばして会いに行った話をすると、
“お巡りさんに捕まらなくてよかったですね”
なんて、またなんともズレた発言をするものだから笑いを噛み殺していると、彼女は膨れっ面で俺が笑い上戸だと悔しそうに言うのを横目にみて、一人で走るのも良いけど、助手席に、人がいるのもいい気分だな。と初めて思った。
近くのコンビニに着いたのに話し足りず、駐車場でコーヒーを買って2人で話し込んでいる時に、強くなった雨足に彼女がふと、
“私音楽に雨音が混じるのが好きなんです”
と思い出した様に呟いたのを聞いて、ああ、車の中で音楽を聞くのも良いなと素直に感じたのだ。
さて、今日の目的地、品川埠頭に着いた訳だが。
なんで今更こんな事を思い出すのか。雨粒はまだフロントガラスをたたいていて、遠くの光がシャンデリアの様に輝いている。
音楽に混じる雨音が、俺を過去の記憶に引き摺り込もうとするのだ。
彼女とは、その後付き合い、別れたのに。
彼女は俺が疲れると、ドライブデートがしたいと強請るのだ。俺が運転が好きだと、車が好きだからと。強請るふりをして、俺を想って外に連れ出し、車をいじっている時は、洗車バケツに座って俺を眺めながら、自分の趣味の読書をして過ごしたり。
寒がりの彼女のために、グレーのブランケットを車に積んだ時に、彼女が嬉しそうに
“私専用の席みたい”
とはにかんだのを見て、彼女が持ったコーヒー缶に沿う指に揃いの指輪があったらどうだろう。とまで思ったのに。
彼女が遠慮がちにオーディオの音量を変えるためにコンパネに触れるのをみて、2人で車に乗っている喜びを感じていたのに、仕事に疲れたという理由で俺から別れを切り出したのだ。
仕事が忙しく、車をいじることも洗車すらままならなくなった時、彼女が悲しそうに最近、疲れてるねとかけた言葉に、
まぁな
としか答えられず。しばらくして別れを告げた時に彼女が見せた顔は、ふざけて彼女に、俺が一番大切なのは車をと言った時に、
“わかってる。火事でも貴方は車を助けに行くから私は自分で逃げるよ”
と返してきた時の、なんとなく悲しくてなんとなく安心した様な顔と一緒だった。
そんなことなかったのに。
何かあれば優先するのはお前だって言えばよかったのに
疲れた、甘えたい、少し放っておいてくれ
疲れた。別れようではなく、
どれでも一つ泣き言を言えれば違ったのだろうか、、、
Suchmosのプレイリストが一周してもう一度stay tuneが流れる。
さて、これを聞いたら帰るか。重低音が重なる曲の終わりに頭を無にしてRCのアクセルを踏み込み帰りの途に着く。
彼女を助手席に、乗せていたクラウンはその後、思い出に耐えきれないと言う女々しい理由で後期型のクラウンアスリートに買い換えた。その後、彼女が異動して行き、俺も別の支店に異動して、レクサスのNXに乗る時には彼女の時の付き合いを教訓に同い年の女性と、付き合ったものの、その女性は車に興味がなく、彼女の趣味に俺が歩み寄ったものの、うまくいかず、そのまま40代を目前に、また流線的な美しいクーペに出逢い、愛車にした訳で。
忙しい日々に潰されない様に、俺をドライブに連れ出してくれる彼女はいないけれど、非日常に今俺を連れ出してくれるのは愛車のRC300hなのだ。
この革張りの赤いシートを見て彼女だったらなんと言っただろうか。
きっと少なくとも俺の想像のつかないおもしろい発言を返したのだろう。
RCは今までの愛車の中でも特に雨が似合う。もし、彼女がなんらかの形で俺の側にまだいてくれたら、それを彼女はきっと分かって言葉にしてくれるただろう。
もし、とか、例えばとか女々しい言葉が大嫌いなはずなのに、雨の音は、俺を過去と想像でしかない未来に引き摺り込む。
珍しく高速に乗る前にコンビニで買ったコーヒー缶は何故か手がつけられず、冷めたままで。
最寄りのインターを降りて、対向から俺のランエボに似ている色の軽のワゴン車が走ってくるのをパッシングで先に行かせると、そうか、三菱車だからあの青なんだなと気がついて。
愛車たちは、いつも俺を記憶の海に連れ去るのだ。そして、新しい思い出を作るのも愛車たちで。
後どれくらいRCに乗るだろうか。少なくともファミリーカーでは絶対にない愛車を増えた家族のために泣く泣く手放す事が幸せか。このRCの助手席に乗せてドライブをしたい人が、40過ぎの俺にこれから見つかるのか。
ただ、やはりRCと走る金曜の夜は俺の心を解放してくれているのだ。
弱音や、不安や、後悔は車の中でしか感じないのだ。
雨の日の金曜の夜くらい、”例えば、もし”の女々しい想像も許されるだろうか。
明日は晴れの予報だから、コイツを洗車しよう。そして、月曜からまた現実を走り抜けて、少しでも早く、そして長く金曜の夜に非日常を走るのだ。
雨が上がって、俺はオーディオの音量を少し下げる。
雨に混じる音楽はもう聞こえない。
聞こえるのはRCの静かなエンジン音とYONCEの甘くてハスキーな歌声だけで。RCが俺を知った街へと連れ帰ってきた。