「食べる」は、生きる糧。
こんばんは、といです。
最近、感情の起伏が徐々に戻ってきたように感じます。
感情を取り戻す
うつ状態症状が顕著な頃は、物事に対して何も感じなくなったり、喜怒哀楽の哀しみだけが顕われたりする傾向にありました。
※「笑っていますか」は、うつ状態の初期(今思えばですが)に知人からかけていただいた言葉をタイトルにしました。
(出来ない、つらい、情けない)
といった内側から溢れてくる思いを、周りの人に知られたくなくて、心配をかけたくなくて、迷惑だと思われたくなくて、いつの間にか感情の起伏を徐々に失っていったのだと、いまは私なりに解釈しています。
そんな私は、外側からみれば、
〝最近、表情が消えかけたひと〟だったことでしょう。
だからこそ、「笑っていますか」と声をかけていただいた時に、ハッとしたのを覚えています。
(たしかに、最近笑ったのはいつだろうか、と。)
「美味しい」と泣いた日
3ヶ月程前のある日、そんな私を見かねた婚約者が、今にも潰れてしまいそうな小さな洋食屋へ連れて行ってくれました。
何を注文したかは、もう覚えていませんが、最初に出てきたのは、コーンスープでした。
「いただきます。」
よくある見た目のコーンスープでした。
それでも、ひとくち食べた瞬間から「美味しい」という言葉が溢れて、同じように涙が溢れて、ずっと下を向いて、眼鏡に涙がたまるのも構わずひと掬いずつ食べました。
初めての感情にどうしたらいいのか、分からないまま、無心に食べ続けたのだと思います。
いいんだろうかという葛藤
その背景には、休職して、働きもせず手当をもらい、婚約者に生活を与えてもらい、美味しい外食をすることは正しいのだろうか。私は自分から逃げ続けているのではないか、という白黒思考があったのかもしれません。
当然、目の前で食べている人が不意に泣き出したら、何事か、と思うでしょう。
どうしたのかと問われた私は、
「スープが美味しくて幸せな気持ちになりました。でも、私は幸せでいいのでしょうか。」と答えました。
あなたなら、どう答えますか。
私はこの葛藤ともうしばらく向き合い続けることになるでしょう。それでも、もう少しグレーな思考も出来るようにしていこうと思います。
美味しく食べよう
昔から、働かざる者食うべからずと言いますね。
でも食べなければ生きれないはずです。
そして、美味しいと感じながら食べれることは、健康な証拠ではないでしょうか。
その為にも、「いただきます。」
「ごちそうさまでした。」の間に、
「美味しい料理をありがとう。」の気持ちを持ちつづけていきたい今日この頃です。
ゆっくり自分を労りましょう。
纏まらなくなってきたので、この辺で。
おやすみなさい。