f-025 洋服選びの決め手は湧き上がる「上質なウキッ!」
「上質なウキッ!」って色褪せないのです!!!知ってます??
あ、上質なウキッていったいなんじゃい?ですね(汗)
▶︎洋服選びの基準はウキッからの「一般常識」じゃなくて「一般教養」
さて、今日は洋服選びの決め手についてです♪きっと、個々に洋服選びの基準ってあると思うのです。よく聞くのは「〇〇で着られるか?」。
そう、会社とか、学校とか、地元でとか。うん、これも確かに一理ある。用途に合わせて服は変わる。TPOってやっぱり大事だもんね。
つまりTPOってさ、「望まれている自分」「望まれているであろう自分」に対する答えとしてのファッションをするってことかな。
でも、このnoteを読んでくださる方々は、もうこれは、ある意味で十分に身についているんじゃないかと思うのです。
わかりやすくいうと、例えば・・・
冠婚葬祭!
悲しみを表現する場として相応しいのに、金ピカで行かない。だって、共に悲しみ、共に見送りましょうという明確な意図がそこにはあるから。
そして、おめでたい感情を表現する場に、マットなブラックコーデで行かない。共に喜び、次のステージへすすむ2人を祝福しましょうという、ここにもまた明確な意図があるから。
優雅なホテルや高級レストラン!
気品漂う上質な空間と時間を通して、非日常感やリラックス、優雅さや高揚感を提供するホテルやレストランに、ビーサンやダメージデニムで行かない。こだわりをもって世界観(空間デザインされている)を提供しているのには、やっぱりその場所に意図が込められているのだから、その意図にわざわざ背きたいなら行かなければいいだけ。
「望まれている自分」「望まれているであろう自分」に対する答えとしてのファッションというのは、場であったり、空間であったり、そういう人の意図を汲み取ってあげる余裕があってこそできる自己表現だとわたしは理解している。
だから、まだまだ人として青いケツしてたら「知らね〜し」「関係ね〜し」という自己中なファッションにはなってしまう。(あらやだ!ケツだなんてっw)
だからこれは一般教養の話かなとわたしは思っているんだよね。
「一般常識」っていうより「一般教養」なの。
違いは「一般常識」だと、理由を説明できないんだけど「みんながそう言っているからそういうものだ」と言っちゃう感じで、わたしの苦手な同調圧力に屈した?というか、屈する前に自動的に適応しちゃった自動化された思考。
「一般教養」だと「なぜそうするのか?」という理由や、「そのためにどうしたら良いのか?」という、知識からくるアイデアをもとに、自己選択の余地ががちゃんとある状態。つまり知識を道具として使いこなせている洗練化された思考。
※この解釈はあくまでも主観ですけどね
これは「知っている」と「やっている」ほどの、大きな違いがあって、相手の意図を汲み取った上で自己表現っていうのは、人間の器の大きさを表しているように思うんだよね。
ただ、ここからは少し複雑になって「望まれている自分」「望まれているであろう自分」という捉え方が、ちょっとだけ捻れちゃってること、よくあるな〜と感じる。
▶︎TPOというより鎧じゃない?
例えば、会社で男やお客に舐められないようにするために着る服って、TPOじゃなくて「鎧ファッション」を纏うっていう行為じゃない?
あ、友達よりすごく見られたいからという理由で着る服も「鎧ファッション」だね。
つまりは、本当は自分には「ない」ものを「ある」ように取り繕った上で、勝敗のために着るファッション…だから鎧ファッション。
「鎧ファッション」をpercentageで表すと、本当の自分20%(サイズだけ合ってる)足りない自分80%(取り繕い)ってことかなと思う。
それ本当に望まれているのかね??わたしの思う一般教養としてのTPOでないのは確か…。
もし「望まれているであろう?」って思うならば、誰からだろうね。。。。きっと、望まれているとしたら、自分のエゴからだろうなぁ。。。「〇〇でなければ価値がない」なんていう自動化された思考からうまれる。。。
あ、そうそう、わたしもOLをしたことがちょっとだけあって、お茶汲みからデスクの水拭きなどなどやりましたし。だけど、わたしの場合は「これ、別にわたしじゃなくてもできるじゃん…わたしの時間、わたしのエネルギーを使ってやることなのか?」という疑問がボスッと丹田あたりにきまして。
そもそも、その会社に入社したのも、親の期待、つまり「望まれているであろう自分」を叶えるために入ったのもあり、速攻で大手証券会社を辞めまして、自分の魂が喜ぶ仕事をしました。※お大事にどうぞ…と言えるケアするお仕事につきました
ので、そもそもわたしは男性と女性とかのカテゴライズで考えてなくて、個々の魂が輝けばいいじゃん派。←どんな派かはわからんけど
なんか話が横道にそれたか…。戻そう。
▶︎大事なことはただ1つ!内外の一致です
洋服選びの決め手によく使われる基準が「〇〇で着られるか?」だという話を書いたけど、確かにね、人にとって視覚情報は重要。印象というのは、言語情報(話す内容)、聴覚情報(声)、視覚情報(見た目)で決定づけられて、3〜6秒で決まるとメラビアンも言っている。※かの有名なメラビアンの法則
でも、メラビアンの法則が示しているのは、語り継がれて有名な「見た目が重要」という安易な解釈ではないんだよな。
あ、マズローの欲求段階説もめちゃ有名ですが、あれ、実は後々マズロー本人が間違っていた…と認めている(らしい)んだけど、いまだに信者のように語り継ぐ人がいて、きっとその人の何かを相手に浸透させるためには良い説得材料なんだろうけどね。(らしい…と書いたのはわたしが本人から聞いたわけじゃなく、精神科医ウィリアム・グラッサー博士とのやりとりの中で語られたとのことを、精神科医ウィリアム・グラッサー博士が体系化した選択理論心理学の講座内でききました)
メラビアンに戻ろう。メラビアンの法則が示しているのは、人は言語情報・聴覚情報・視覚情報に矛盾があった場合、その矛盾に混乱しますが、その場合は視覚情報(表情や見た目の情報)を優先させる特徴があるといっているだけで、見た目を良くすれば良いという単純な話ではないってこと。
だってさ、見た目だけ良くして、つまり鎧ファッションにしても、その後の印象である言語情報・聴覚情報がその見た目と一致しなかった場合、ただのハリボテ、嘘つきになるってことよ。
つまり、一番重要なのは、内側の自分と外側の自分が、自己一致している状態にするってこと。
発言や表情やジェスチャーやファッションなどの見た目に嘘を入れるなってことかと思う。
それができるのって、もう自分らしさ全開!しかないとわたしは思っているのだけど。
だから、【誰かからこう見られたい→本当はそうじゃない自分】を表現する鎧ファッションは、自分にとっても相手にとっても優しくないし、美しくはないってことかな♪
おっと!冒頭の「上質なウキッ!」を投げておいて回収してない(笑)
上質なウキッ!とは、鎧でもなく一般常識でもなく、はたまた熱く語った一般教養としてのファッションでもなく、一般教養よりも前にあるもっと根源的な《思考が働く前の、純粋無垢な言葉にならない感嘆詞しかでてこない状態》の「ウキッ」です🤣
これは嘘のないウキッだから、流行に左右されず何年も色あせないのです。
ファッションの中にそういう上質なウキッが表現されていない「顔なしファッション」にならないために、本当の自分の喜びを、もう一度見直してみるサポートに、soul fashion stylingが役立てればいいな〜と思うのです♡
昨日は、アテンド史上で最高の個性に出会ってきました!
もうね、理論なんて全く通用しない、本当にオンリーワンを突っ走る女性でした♡
※写真一番右の女性
なのに、最高の個性を活かしてないところがもう歯痒くて…ファッションテロを間違い無くしちゃう自信があるたにもとでした🤣