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J-002 意見と感想と評価の違い

先日、意見を聞いているのに、なんだかしっくりこないことを言われてすごく違和感を覚えたので「違和感は自分を知る良い機会」ということで深堀りしてみました!

■違和感の正体

仕事である企画を構築しているときに、自分だけだといまいち足りない…しっくりこないということが多々あります。
そんなとき、誰かの意見を聞いてみたくなったりしますよね?

わたしは、なるべく自分で形にしていくところがあって、でも最後のラッピングがしっくりこないというか。

そう、プレゼントの箱を包装紙で丁寧に包み終わり、リボンをかけて結ぶ…このリボンがいい形に決まらないっ!と何度もやり直してしまう…そんな状況のとき、近くに誰かいたら、上手に結ぶ方法を聞いたりしたい!そんな状態。

きっとこんな時は、変わりにリボンをまず結んでもらったりしませんかね?

それで、その人が上手に一発で結んだら「どうやるの?コツを教えて!」なんて聞きたくなりませんかね?

その時に「このリボンはセンスないよ。いまどきこのリボンってどうかと思うよ」と言われたら「?????いやいやそんなことは聞いてない」となると思うのですが、先日のわたしの場合もそうでした。

■それって意見じゃなくて、感想と評価でしょ?

「どうかと思うよ」っていうのは、つまりは感想であって、コツじゃない。
意見って、他にコツあるかな?って聞かれていると思うのです。わたしは。


仕事の構築で言えば、まず「思い」や「目的」や「ビジョン」なんかがあり、それを自分なりに表現して形にするとこうなったという一案です。
でも、その表現のコツがもっといいのがあるのかもしれない!と思うから、意見を聞くわけです。

なのに、「う〜ん、俺は好きじゃない」とか「俺なら買わない」とかという感想を述べられても、「ん?」と違和感。
でもまあ、それも意見と言えば意見?なのか…と違和感を無視して、その先を聞いてみる。すると、「これじゃ売れないと思うよ」なんて返答があったりして、この辺で違和感はマックスです。「いやいや、だから、それをどうしたら可能にするか?という意見を聞いているんで、評価を聞きてるんじゃないです」となる。

聞かなきゃよかったとさえ思うこのやりとり…

■意見ってなんだろう?

今回の出来事による違和感を機に「意見」「感想」「評価」の違いを、わたしはどのように定義しているのか?を考えてみました。そうしたら、すごく明確にわかったのです!!!

意見とは…
相手の願っていることを察したり理解した上で「もし自分ならこんなやり方をしてみる」と自分に置き換えて具体的な案を伝えること

感想とは…
あくまでも、受け取った側の主観での、好き嫌いや感じたことを伝えること

評価とは…
ある一定のものの見方や定義に当てはめて優越を伝えること


あ〜、スッキリした!(笑)すごく明確になった!!

何が明確になったというと、「相手の願っていることを察したり理解した上で…自分に置き換えてというくだり。それは、いつも主体的に物事を観るということ。

主体的に物事を観るってどういうことかというと、日常の中で、道を歩いているとき、お店に入ったとき、自分には直接的な影響もないけれど、「ここ不便そうだな…どうしたら改善できるだろう?」とか、「このお店は、どんなことをコンセプトにしているのかな?」「どんなことをお客さんに届けたいのかな?」みたいなことをイメージして「自分ならこうする」という視点を持っているかどうか?だ。

■違和感の行く末

今回の違和感で、わたし自身の今後がみえてきた!

今後、人から意見を求められたら、わたし自身もこの定義を採用してしっかり「意見」を伝えられるようにしよう!

逆に、意見が欲しいとき「超面倒だけど(汗)分かりきってることだけど(汗)そもそも長く仕事を共にしていたら、そこは端折れるんじゃない?と思うことだけど(笑)願っていること、求めていることを伝えた上で、意見を求めよう。

うん。今後の対策も明確になった!

■だけど本当の願いは…

なんだけど、しっくりはきていない。その理由にわたしには思い当たるふしがある。だけどきっと、そこを認めることが怖いのかもしれない…。

この夏至というタイミングで浮かび上がった潜在意識の声。

これは、相手に対する過度な期待ではなく、純粋に、意見を聞かれた意味を察知できる仕事相手を求めているんだ。。。

でも、なぜそれを認めることが怖いのだろう?

これは贅沢なこととでも思っているのか?
わたしにそんな人が現れるわけがないとでも思っているのか?

ときどき察しの良い人はいて、そういう人と仕事をすると流れるように進むのが気持ち良い。同じ目的やビジョンに向かって、たくさんの案を出し合うのは、すごく刺激的で楽しい時間だ。

その気持ち良さを常に求めることがなぜ怖いのだろう?

うむ…。結局また考察の題材ができてしまった…。こうして人生はわかりきることなく続いていくんだろうな…。悟りなんて一度や二度の人生では開けないのだろう。ブッタさんすごいな…。









わたしの世界観をデロデロと、キャハキャハと表現すると心に誓いました。サポートをしていただいた暁には、少しでも良い世界観を表現できるよう美意識の向上エネルギーに使わせていただきます♪そして肥えたわたしをこのnoteにまた循環させていきます♪