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懐かしい地獄
しばらく前、お坊さんとお話しする機会があった。
仏教では、人は死んで「浄土」に向かうことを目標とするようだが、こんなフレーズが心に留まった。
「(お浄土に行ったら)もう、あの懐かしい地獄には戻れないのですよ。」
僕の心に何かが刺さる。
懐かしい地獄・・
そう。僕は「地獄」に対して
懐かしい・・
という感覚を抱いていたのだ。
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あろうことか、うっすら涙まで滲んできた。
なんだ?僕は何故こんな気持ちになる??
帰りたいのか?
であれば僕は、今世で、「宿題」を終えられなかったということである。
もう帰れないのか?
であれば僕は、今世で、「宿題」を終えたということである。
正直に言うと・・
僕はどっちでもいい。
お浄土、弥勒世、アセンション・・僕にはこれらが同じ方向性を示す言葉と考えているが、そこに執着はない。
行けるなら行けるだろうし、行けないなら行けない。それだけのことだ。
「それ」は、結果的に到達出来る場所であって、相応しい行いをしていない限り、行ける道理はないだろう。
また、誰かの「助け」はあるかもしれないが、基本的には自分で上がる、そういうものだと思う。
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見えない世界。
それは、「見えない」だけに進むのが難しい。
「素」でその道を進める人は素晴らしいけど、僕はそう出来ないと思うから、間違いながら、回り道しながら行くしかないのである。
でも僕は、それを受け容れている。
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