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石の力【後編】
僕は、海岸線に向かった。
僕の地元には、「柱状節理」の構造を持った地形がフツーに存在する。
それが、「岩」と見えるのか「古代樹」と見えるのか、
自分の目
で再確認するためである。
そして、自分が何を感じるか、確かめるのだ。
第1の目標ポイント。
海に浮かぶ小島が何に見える?
僕には、やや傾いて崩れかけた切り株に見えた。
海の中には何があるのだろうとも考えた。
そして、なぜ神社があるのだろう?とも・・
この日は島に渡らなかったが、島の裏側には、ほぼ横倒しになった六角柱の岩が一面に広がっている。
ここを起点に海岸線を南下する。
ある!
いたるところに古代樹の遺骸が確認できた。
鳥居が設置されていることが多いようだ。
中でもここは駐車場のすぐ脇なので、じっくり確認できる。
隣にもやや小ぶりなものがあるが、ひょっとしたら、この二つは、同じ個体の一部なのかもしれない。
崩れた「体」が波に洗われ、丸くなりかけている。もとは六角形だったことがよくわかる。
このポイントから北方向を見てみると、古代樹の樹列が見える気がする。
デカい木が並んでいたのか?と思うと、感無量だ。
だが、残念だけど、僕はこれらの遺骸に、「霊性」を感じられなかった。
そこに「生命」を感じられなかった、というべきか。
多分これらは、死んでいるのだろう。
何故なら、木というのは、切れば原則枯れてしまうからだ。古代樹とて例外ではあるまい。
ただ、神社、鳥居やお不動さんが設置されていることから、そこには何らかの「信仰」があったことがわかる。それが、太古の昔に失われた巨木に原点を持つものかどうかはわからないけど。
ちなみに、来週神事を行う女房の実家の村には、
「村を覆い尽くす、巨大な樺の木があった」
という言い伝えが残っている。
今となっては、その意味がわかる。
さて。
なんの根拠もないが、古代樹の生命や霊性は、「まだ生きている石」に宿っているのではないだろうか?
であれば、その石が、何らかの「力」を持っていても不思議はない。
※画像はお借りしました。
美しい。
本当に美しいと思う。
耳に当てて、石の声を聞いてみたい。
石は何かを語ってくれるだろうか。
太古の記憶とか、地球の痛みとか・・
・・以上が、「石の力」に関するてん末です。
貴重な気付きをいただきました。
ありがとうございます。
これから、自分が出会うべき石を探してみようと思います。