主権在民
日本国憲法の前文。
そこにこうある。
主権在民
そう、この国の主権は国民にあるということだ。
またこの国では「間接民主制」が採用されて、いわゆる「選挙」で選ばれた「議員」が、国民の声を代弁する仕組みとなっている。
このことも上記の前文に明記されている。
だが、現状はどうだろう。
言うまでもない。
選挙で選ばれたその瞬間に、何かが乖離していく。
僕たちの思いと彼らの想いがすれ違っていく。
「土下座して得た一票で、その後ふんぞり返るのが政治家だ。」
・・そんな文章をを読んだことがある。
投票率は50%に満たず、カメラの前で居眠りする老人達。
子供にこの状況をどう説明する?
主権在民?
自分達に「ちゃんと」主権が存在すると思っている国民はどれくらいいるのだろうか。
先日、政治資金規正法が改正されたが、与野党共に、僕はその会見を聞いて、心底ガッカリした。
だが、こうも思う。
僕達に落ち度はないのか、と。
言い方を変えれば、
眠っていないか?
ということだ。
物事の責任は、いつだって自分にある。
だがこれを忘れて、「責任は他の誰かにある」と思ってしまうと、それは破滅への道まっしぐら、そこに何かが湧き、増殖する。
そしてそれは、止まらない。
テレビを見れば、波動の低いニュースばかりが流れる。そうとわかって画面を眺めれば、作為すら感じる。
だから、「客観性」が必要になる。
自分の目で見て、自分の頭で考える。
自分で調べて、自分で道を作る。
でないと、渦に巻かれる。巻かれてからでは遅い。
何でもいい、
自分に立ち返る
手段を持とう。
そして、自分の真ん中に
軸
を差し立てよう。