人それぞれの「愛」について
今は「愛」の時代だと言われる。
だがその「愛」って言葉は曖昧というか、いくつもの意味を持っていると思うので、単に「愛」といっても、人によりその行動は大きく変わるのではないかと思う。
愛にはいくつもの分類があるようだが、シンプルな「四つの分類」について、僕自身のことをnoteしておこう。
四つの分類とは、
1 男女間の純粋な愛(エロス)
2 友人との間で成り立つ感情(フィリア)
3 家族愛(ストルゲー)
4 原則に基づく自己犠牲的な愛(アガペー)
である。
僕という人間を、この四つの順番で表すとしたら、
4 アガペー
2 フィリア
1 エロス
3 ストルゲー
かと思う。
どういうことかと言うと・・
3 ストルゲー
孫が生まれて、目に入れても痛くないほど可愛いでしょう?とか言われるが、全くそんなことはない。子供同様、それは一つの自立した存在であり、リスペクトすべきものとして接している。
また自分自身は親に育てられていないため、そもそもそんな感情が(多分)よく分からない。
1 エロス
女性のことは好きだし、尊敬し実際に大事にしている。だが、究極のところで「友」への愛と比較すると、見劣りすることが自分でわかる。
2 フィリア
今はそんな機会に恵まれないが、若い頃、友人との間に、熱く、かけがえのない感情を抱くことがあった。「こいつは友だ。」という強い思いである。
3 アガペー
僕は、本能ではなく、「理性」で何かを愛すタイプだと思っていた。家族とか、心の赴くままに愛することができればどんなにいいだろうとは思うのだけれど、それは出来ない。
以上、逆順に綴ってみたのだが、これには生い立ちなんかが大きく関係すると思う。
けど、それはしょうがない。だから、特定の愛が“苦手”だからと言って、自分を卑下する必要はないと思う。
目指す分には構わないけれど。
こうして少し掘り下げてみると、この「風の時代」に、自分はどんな愛を御旗に立てて進んでいくのかわかるのではないだろうか。
家族の愛を知らないなら知らないで、人にはちゃんと、生きて行く道筋が用意されているのである。