見出し画像

よ:ようやく見えてきたもの。

今日はすごく落ち込むことがあった。
いつもなら、夜までぐずぐずと考えるのだが、今日はそうでもない。気分がブルーになる以外にもこうやってnoteを書いたり、ご飯を食べたり好きなyoutube動画を見て、心をいやしたりしている。

最近落ち込むようなことが減った。いろんな人に出会い、いい人も悪い人もいて、経験値が増えてきた結果、いやなことにも慣れてきたり、落ち込まなくてもいいのかな、と考えるようになってしまった。HSP気質だが、徐々にこの気質との付き合い方を学んでこれたのだろうか。

HSPであるがゆえに、他人のことや人にされた嫌なことが心の中に残ってしまいがちで、しんどくなることが度々ある。
HSPを簡単に説明しておくと、Hyper Sensitive Personで音やにおい、他人の感情など外界からの刺激に他人よりも弱い人のことを指す。病気ではなく、気質ということもあり、治るものでもない。この気質は厄介だなと思っていて、他人と関わる際に障壁になることが多い。他人に言われたことを過剰に気にしたり、物音などに敏感になったり疲れやすかったりする。ほかの人は必ずしもそうではないので、理解もされにくい。

慣れてきたといっても、在宅勤務であることが私に良い影響をもたらしていることは疑う余地がない。怒っている人が周りにいないから、精神を穏やかに保てていることはあるだろうし、物音が少ないから、いらいらしない。

在宅勤務であるという以上に長く生きることで、自己理解が進むようになり、どうしたら嫌な状況をうまくやり過ごせるか、わかるようになったことが成長した要因だろう。かわしつつ、自分が好きなことをずっと続けて、幸せな時間を守るためにはどうしたらいいか、考えるようになった。HSPという気質も手伝って、外界に左右されがちだったが、自分のなりたいイメージが出来上がってくると、自分の意志でこういう人生を歩んだほうが幸せ、どんな時間が好きだな、と選択できるようになったのかもしれない。

昔より自由になった、とよく言われるが、昔は「どうやったら幸せになれるか」を与えられていたのに、自由になったがために、自分で見つけ出さないといけなくなった。何度も挑戦する機会があったり、好きなものを簡単に判定する道具があったら簡単なのだが、自分のやりたいことは自分の心が知っているので、自力で探していくしかない。意外と他人の評価から離れて、自分の幸せの選択を探すことは難しく、何かに挑戦することは否定されることがほとんどな気がする。安定している生活とは程遠いからだ。何かきっかけがないと、自分から探すこともないのかもしれない。
評価が自由の邪魔をしてくることは自明で、あちらこちらから、「そんなことをしても意味ないよ」とか「努力は無駄」とかいらないことを言われたりする。自分の幸せの基準が壊れてしまうのが嫌だから、他人を巻き込むのだろうが知ったこっちゃないなと思う。

私の幸せは、落ち着いた環境(人がむやみに怒鳴ったり、人を批判したりしない環境)で自分のうちを見つめること、創作をすること、自己表現をすること。そして、一緒にいてここちよい、自分を理解してくれる人たちとともに過ごすことだ。都会より、自然のあるところのほうが好ましい。できれば、お金にもあまり悩みたくはないし、安定していたいので、会社員勤めも性格が許す限りやっておきたい。

とても甘えた発想だと思う。一昔前だったら、苦労するのが当たり前だから、会社に行けとか弱気になるなとか人の性格や能力を一切を無視した行動を求められるのだろう。その中で生きてきた人は尊敬する。私はその環境だったらすべてをあきらめてできるのかもしれないけど、今の自分では到底やれない。

枠にはまらずに生きていけることを感謝しながら、じぶんのやりたいことをできるだけかなえながら、幸せに生きていきたいな。


よろしければサポートお願いします。フリーランスになるための資金に使用させていただきます...!