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わ:忘れ物はどこへ。

学生のころを思い出すと、今よりももっと楽しかったというか、将来に悲観していなかった気がする。なんでもできるような気がしていたし、特に展望もないくせに、なんとなく希望があった。

今のほうが現実的に「自分のやりたいことをかなえる力」があるのに、特にやりたいことが思いつかない。大人になって、いろんな世界が見えやすくなって、逆に汚いものまで見えてしまうとはこのことか、と納得している。やりたいことをするために、しなければならない努力やその先がなんとなく予想がついてしまって、「所詮こんなものかな」と独りごちてしまう。

学生のころの「根拠のない自信」はどこに行ってしまったのだろうか。
その「忘れ物」はふとした瞬間に、努力の先に、いきなり現れたりするのだろうか。

「自分のために何かしよう」「自分の世界を広げるために何かしよう」と思うことは、難しく、「他人を喜ばせることをしよう」のほうが(難しくはあるけれども)易く思える。人からしてもらったことのほうが「まさか」という奇跡になりやすく、幸せを与えられるのかもしれない。
(といっても、どんな文章を書いたらほかの方に貢献できるか、という問いにはまだこたえられていないので、まだまだだ・・・)

若い人に何かしてあげたい、と大人が思うのは、目標があって、やりたいことがあって、それに情熱を燃やしている姿がとても輝かしいからだ。それを総称して、「若いっていいな」というのだろう。自分に飽きてしまって、やりたいことが見つからなくて・・という気持ちは、なかなか解消しなくて目の前にある仕事をただやっていくだけになってしまいがちだ。それを俯瞰で見ると何かに向かえているのかもしれないけど、それに気づくのは難しい。

忘れ物は、自分以外の誰かの心の中に落ちていて、それを外側から拾ってあげるほうが簡単かもしれない。簡単でなくても、誰かを助ける事をあきらめてはいけないのかも。そうして、たくさん拾ってあげる中で、自分の中に忘れていたものを取り戻すことができるのかもしれない。

ゲームみたいに、幸せになる破片が転がっていて、それを集めたら幸せになれるみたいな、簡単な仕様だったらいいけど、人生そうもいかず、これからもいろいろ迷いながら進んでいくのだろうな。



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