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くつのぴったり感。

ネットサーフィンをしていた時、大体下のような意味の文章を見つけた。

「ヒールが高く見た目もきれいな靴はかわいいけど、足が痛くなったり履きにくかったりする。足にフィットする靴はかわいくないかもしれないけど、履き心地が良い。人間関係もそれと一緒。」

あまり外見だけでものを判断するのはよくないと思っているが、確かに、きれいな人やかっこいい人には一見ひかれるし、話してみたいなと思ったりもする。しかし、中には話しにくかったり高飛車だったりもする。一方、一見普通っぽく見える人でも、話してみると「そんな引き出しを持っていたのか、おもしろい」と思える人もたくさんいる。そんな経験を思い出して、私はその言葉に至極納得した。

心地よい人間関係というのは、探して見つかるものでもない。私自身、「この人とは相性がとてもいい!!!」と思って関わっている人など、少ししかいない。「何でこんなこと言うのだろう?」とか、「この人は少し苦手な部類かも」とかそんなことを考えながら、互いに譲歩しつつ生きているものだと思う。それならば、どうやったら心地よい人間関係というのは手に入るのだろうか?その答えにたどり着いているわけではないし、そもそも答えなんてないのかもしれない。だが一つ言えることがあるとすれば、それは、いろんな人・世界と関わってみるしかない、ということだ。

前の会社にいたとき、私の社会人としての価値観は、そこにいる人たちの影響をもろに受けて形成されていた。営業的側面のある仕事だったので、同僚は味方というより敵、どちらが仕事を多くとれるか?ということを意識して仕事に取り組まなければいけなかった。そのころは、これが社会人のスタンダードでそれに合わせないといけないと無理をしていて大変しんどかった。転職して今いる環境では一変して、同僚は味方、チームで仕事をしよう、という価値観があった。私は前の環境との違いに最初こそ戸惑ったが、新しい世界の価値観のほうがあっていて、前よりも仕事を楽しむことができるようになっていた。

どちらがいい・悪いの話ではないが、探してみないと自分に合う価値観なんて見つけられない。(探したって見つからないことも多いけれども)自分に合うものを少しずつ時間をかけて探しながら、人生を旅していくのが、「自分のスタイルを探す」ということなんだろうか。なんだか、靴のフィット感の話から、人生の話まで壮大な話に膨らんでしまったが、自分にフィットするものを地道に探していくことが幸せにつながるのだろうな、とぼーっと考えている。

好きなものを探そうとこのnoteを始めたのに、結局好きなものを探すことって何だろう?ということをぐるぐる考えていて、具体的なところの話に全くたどり着けていない。次は、自分の好きなことを少しは語れたらな。



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