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指輪というアイテムに対する呪いを解いた
皆さんにとって指輪って、どんな位置づけなんだろうか。私にとって指輪は呪いのアイテムであった。
だいぶ幼い頃からペアリングや結婚指輪に固執し、付き合うとペアリングを欲しがったり、結婚指輪を恐ろしく検討するところがあった。それは私が「繋がっている」ことを執拗に追い求めていたところにある。
また、アクセサリーは、とりわけ指輪は人から贈られるものだと真剣に思い込んでいて、むしろそうでないと価値がない、くらいに思っていた。なので持っている指輪はペアリングや婚約指輪、結婚指輪のみだった。自分で指輪を買うという選択はなかった。
離婚してから好きな人が出来、恋人になるとその人から指輪が欲しくてたまらなくなり、でもその人が必要としないことは知っていて苦しんだ。
そんな私が指輪の呪いから解放されるまでの道のりを記録した。
嗜好は変えられない?
私のこの指輪を贈られたい、という夢とか欲望というか、そういった楽しみみたいなものは、捨てないといけないのか?と随分考えた。お願いして買ってもらったら満足なのかとか、お金を自分で出して相手に形だけでも買ってもらうのがありなのかとか。
でもそこは本質では無い。
私は指輪が欲しいのではなくて、そこを通して愛情や繋がりを感じたかったんだと思った。自分が不安だから、自信が無いから物に頼ったり人から見て愛されてるなと思う象徴が欲しかっただけだった。
思い込みを解いてみよう
とてもとても、抵抗があったけど私はこの悲しい虚しい気持ちから解放されたかったので、自分で指輪を買うことにした。390円のピンキーリング。推し色の石がはまっていて、嫌になったらすぐ外したらいい、飽きたらやめたらいいと思って買った。
はじめはなんだか強がってるだけだとか、惨めな気持ちになったのだけど連日着けていたら目に入る度に可愛いな〜という気持ちになっていっている自分に気づいた。
自分への贈り物
指輪に慣れ始めて間もなく、4℃からの新作のお知らせが届き、いつもは開かないのに開いてみると素敵なカフスリング(耳にも着けられるピンキーリング)の写真が。
店舗に立ち寄って見せてもらい、かなり惹き付けられたので購入することに。その時の店員さんにもたくさん素敵な言葉をいただいた。そしてその時にふと「自分で買うと自分との思い出のアイテムになるな」と唐突に理解した。
購入して半年ほど経つが、今でもほぼ毎日のように着けていて、見ると元気を貰える。
左手の薬指を解放する!
これだけ呪われている私が、左手の薬指に執着しているのはこれを読んでいる方にはまぁそうだよねって思われると思うのだけど、その通りで、すごく拘っていた。なのではやく解放されたくて、自分なりの方法を考えた。
レジンにちょうど興味があったので100均で指輪のセットを買い、透明なレジンで花を閉じ込めた指輪を作り、ほかの指輪と一緒に着けることにした。
自分で作ったことで特別感が出て、とても楽しい気持ちになり、自分で買った、作った指輪をしても何も残念な気持ちにならなくなったし、人から欲しいと思うことがなくなった。
憧れは変わってもいい
過去に自分がこれしたいなとかいいなと思ったことや、やって欲しいことがあったとしても、今の自分はもう不必要だなとか、追い求めていると自分を蝕むなと思う要素はいつだって変えたり捨てたり、リニューアルしてもいいなと思った出来事だった。
またひとつ楽に生きられるようになったと思う。
❄︎☃︎¨̮
お読みいただきありがとうございました!