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#自己紹介 『見えない責任』に気づいた日、『行動する人』を増やす新たな挑戦へ



最初に伝えたいメッセージ


はじめに。自分語りの文章を読んでいただき、本当にありがとうございます。

このnoteは、想いを抱えながらも、変わることへの恐れからなかなか一歩を踏み出せなかった私が、新たな挑戦を決意するまでの物語です。

少しでも面白く感じてもらえたら嬉しいです。

特に、このnoteを読んでほしい方


・社会問題の解決に関心あるけど踏み出せない方 … 「見て見ぬふり」を続けてきた私の姿を知って、少しでも勇気が湧くきっかけになれば嬉しいです。

・社会起業家を目指す方 … ここに応援してくれる人(私)がいると感じて、前向きになれるきっかけをお届けしたいです。

・ご活躍されている社会起業家の方 … 挑戦を応援したくなったら、ご連絡いただけると嬉しいです。

海に憧れを抱いた、少年時代


愛知県の田園風景が広がる、静かな住宅街で、私は生まれ育ちました。生き物が好きな少年で、学校帰りに捕まえた昆虫や魚を家に持ち帰り、たびたび親を困らせていました。

その頃の私にとって、ゲームとは「時間内に目当ての生き物を捕まえること」。同級生がファミコンやゲームボーイで遊んでいる間、私は虫取り網とカゴを片手に、生き物探しに夢中でした。

周りの住民や両親からは、「よく、そこまで頑張れるね」と呆れられるほどでした。

父が漁師町の出身だったこともあり、墓参りを兼ねて海に行く機会も多く、海は次第に私の憧れの場所になりました。

小学4年生の頃には、船着場で海女さんから貝をもらい、「僕もできるかも」と素潜りに挑戦。結果は失敗でしたが、「いつか海の中に潜りたい」という思いを抱き続けていました。

大学ではスキューバダイビング部(通称:潜水部)に入部し、厳しい訓練を経て、ついに海に潜る夢が叶ったのです。


職場で奮闘、海でリフレッシュする日常


「あと○○ケースで、売上目標達成するから皆、頑張ろう!!」

大学卒業後、一部上場メーカーに就職。毎日必死で働き、目標に向かって同僚と力を合わせる日々は、辛くも楽しくもありました。

職場が海の近くだったこともあり、休日には海でリフレッシュ。透明度が高い、お気に入りの海岸を見つけては、何度も通いました。

仕事で悩んで挫けそうなとき、海の中で懸命に生きている生き物たちを眺めていると、自分の悩みなんて、ちっぽけなものに思えてきます。

振り返ってみると、泳いでいる生き物たちに、「がんばれー」って叫びながら、自分に向けて、メッセージを叫んでいたのでしょう。

『見えない責任』との出会い


そんなある日、ダイビング仲間と泊まりがけで潜りに行く機会がありました。

久しぶりのボンベをつけてのダイビングに心が躍りましたが、そこで見た景色は、私に現実を突きつけました。

私が汗水垂らして、一生懸命、売っていた商品がゴミとなって海中に沈む姿でした。

時期は夏の終わり頃、海水浴客が押し寄せた後だったのでしょう。

私自身、この時期は「すごく売れるから・チャンスですよ!」といって、積極的に商品を販売していたのだから、この現状に加担した1人なのかもしれません。

日頃、一生懸命、売上の数字を追って、「頑張った!よし!飲みにいくか!」という忙しない日常を送っていました。その結果、どういう形で、商品が最期を迎えているかは全く、頭になかったのです。

見えないものを、わざわざ見ようとしないし、見る余裕もありませんでした。

まさに「見えない責任」が見えてしまった瞬間でした。


罪悪感から始まった、最初の一歩


それ以来、ランニングで通る海岸線や、お気に入りの場所など、至るところで、今まで見えなかったゴミが気になりはじめました。

とはいえ、今の仕事にやりがいもあるし、商品を待ち侘びているお客さんもいます。何かを大きく変える決断はできず、変わらず売上目標を達成するために奮闘していました。

ただ、今まで大好きだった海に、罪悪感を感じるようになりました。

そこで、私は閃いた。「よし、海岸清掃をやろう!!」

当時の同僚や後輩に協力を依頼して、2020年11月、第1回 海岸清掃ボランティアを実行しました。


孤独に負ける自分と、続ける難しさ


「いま独身だから、できるんだよ」
「どうせ何にも変わらないって」
「暑いのも寒いのも無理」

協力を誘った人から、何度この言葉を言われただろうか?

もう一度、会社の同僚を誘ってみるも、家族との予定やプライベートの時間が大事だからと、断られてしまいました(1回目は、仕方なく付き合ってくれたらしい)

 ボランティア活動で、お金という対価を払っていなかったし、当然の結果でした。彼らには全く悪気があったわけでなく、私の想いに貴重な時間を割いてくれたことは、本当に感謝しています。

その後、イベントサイトで「海岸清掃ボランティア」を集めるも、新型コロナウィルスが再び流行となり、実施直前でキャンセルを決定。

結果、私が主催した海岸清掃ボランティアは、1回きり。

罪悪感から「自分でやる」って決めたことさえ、続けられませんでした。
心の中で「結局、自分には何もできないのか」と落ち込む日々でした。

変わるきっかけをくれた、一本の電話


そんなある日、ふと私の携帯に着信が入りました。
3・4年会っていない旧友からの連絡です

「カフェで働いているんだけど、手伝ってくれないか?」

なぜかこの誘いには心が揺れ、「これを逃せば一生変われない」そんな気がしました。

コロナ禍に出会った1冊の本が、決断を後押ししてくれました。それは、

スペンサー・ジョンソン著「チーズはどこへ消えた?」

全世界で計2,800万部以上売れた、超ベストセラーで、「変化を恐れぬことの大切さ」に気づかせてくれる本。「人生は迷路のようなもので、まっすぐに進むとは限らない・変化を楽しむこと」というメッセージ。

「私は、変化を楽しめる、ネズミでいたい」、そう思いました。

怖さを乗り越えた、変わるための決断


ただ、その決断は、住居の引っ越しと、初めての転職を余儀なくされるものでした。

転職先を決めなければ。でも夢中になれない仕事に就く妥協はしたくない。

今思えば、30歳を迎え、自分には何ができるだろう?と向き合う貴重な時間だったのかもしれない。

いざ転職をしようとすると、自分が今までしてきた経験がいかに狭かったことに気づかされました。そしてお断りの連絡を何度ももらいました。

もう諦めたらよくない?友人に、やっぱり無理だった。ごめんね。って言えばいいだけじゃん。

何度も諦めたら楽、という考えが浮かぶ中、自分を突き動かしたのは「変化できない恐怖」だけ。

3ヶ月かけて転職先が決まり、新たな一歩を踏み出しました。


転居するときに撮影した、想い出の「桜並木」

ビジネスだからこそ、私は続けられた


私が選んだ新しい道は、自責で生きるという決意から始まったものでした。

新しい環境では、転職先の仕事と、カフェのお手伝いの2刀流

ある日、カフェのコーヒーをもっとオリジナルなものにしたい・・という話があがり、私は手を挙げました。そこから個人事業として、コーヒー豆の仕入れ〜焙煎作業を行い、卸販売を業務委託で始めることがスタート。

未経験だったから、無我夢中で勉強し、今の味わいを超える納得するものが出来上がるまで試行錯誤を続けました(ある日は深夜まで)。そうして試作品にOKがでて、私の人生の新たな1ページが開きました。

いまでは、約1年半、コーヒー豆の提供を続けています。延べ1万5千人以上のお客様に、私が焙煎したコーヒー豆の味わいが提供されました。

だが、なぜ、これほど継続することができたんだろう?

それは、私の活動を支えてくれる少数の仲間がいたから。また、お金という対価をいただくことでビジネスとしての責任も感じていたから。

過去の自分のように、ボランティア活動では継続できなかったでしょう。

新たな挑戦 | 一歩を踏み出す勇気を届ける


長い遠回りを経た私が今、思い描く新たな夢があります。

「社会課題に取り組む社会起業家の想いを広め、行動する人を増やすこと」

・どんな社会問題を解決しようとしているのか?
・どんな想いで立ち上げたのか?
・どんな夢をもっているのか?

彼らの熱い思いに触れることで、誰もが自分の情熱を燃やし、勇気を持って一歩踏み出してほしいと思っています。

社会問題の解決をゴールとし、持続可能な収益をあげるソーシャルビジネスは、多くの社会課題を解決する大きな可能性を秘めています。

熱い想いをもつ仲間たちが増えれば、一つでも多くの課題解決につながるはず。

この夢を、試しに会社員の友人10人に話してみると、9人は「理想はわかるけどさ、実際は難しいでしょ・・・」という回答をもらいました。

たった一人の友人だけ、「いい活動だね。応援する」と言ってくれました。

しかし彼は私と会って未来を話し合った、1週間後に、業務中の不運な事故で、この世を去ってしまいました。通夜に参列し、彼と向き合って残酷な現実を知りました。

「迷っている暇なんてない。今、動き出そう」、そう強く思いました。

今はまだ小さな一歩ですが、この挑戦が誰かの背中を押すきっかけになればと願っています。さぁ挑戦を始めます。

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