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一般論との向き合いかたを考える


こんにちは!yukiです。


今日は、

「一般論との向き合いかた」

について考えてみようと思います。


私たちの思考の中には、
“実は自分の思考ではないこと”
が意外と多いのです。

つまり、
もともと他人の思考なのに、
自分の思考だと思っている
ということ。

そうと認識できることが増えていけば、
より主体的に生きる道へ
近づけると思っています。

なにか参考になれば嬉しいです。


タンザニアのリゾートで気づいたこと


僕には、
「一般論に思考をジャックされていたこと」
をハッキリ実感したときがありました。

しょうもないことなのですが、
後の話を分かりやすくするために、
書いてみますね。


僕は4か月ほどかけて、
アフリカを縦断したことがあります。

アフリカ縦断をする旅行者の間で
テッパンとなっていたのは、

「アフリカ旅は高難度だし疲れるから、
 大陸の中間にあたるタンザニアの
 リゾートでゆっくり休憩をとる」

ということでした。

タンザニアには、
ザンジバルという島があって、
美しい海と、白く輝く砂浜が広がっています。

読んでいた旅ブログなどでは、
ほとんどの人がザンジバル島で
息抜きをしているようでした。

また、旅の途中で出会った人もみんな、

「早くザンジバルで休みたいな」

と言っていたのです。


僕もそれが当たり前だと思いこんでいて、
ザンジバル島に向かう船では、

「あーアフリカ疲れた。
 ビーチでのんびり過ごそっと!」

なんて考えてました。

ザンジバル島に着き、
スカッと強烈な日光を受けながら、
宿泊地に着きました。

戸建てバンガローに泊まるタイプの、
素朴だけど素敵なビーチリゾートです。

敷地内には
ビーチチェアやハンモックが備えられ、
目の前にはエメラルドグリーンの海。

竹のウインドチャイムが潮風にゆられ、
コロコロと優しい音を奏でています。

最高!!
さあ、今日は思いきり休むぞー!

ハンモックに寝そべって、
波の音に耳を澄まします。

はあー幸せ。


しかし20分後。

「・・・動きたい」

なにこれ、
全然疲れてないんだけど。

エネルギーがあふれてて、
動きたくてしょうがないのです。

歩くか。

そして、
裸足でビーチを歩きはじめ、
歩くこと数時間。

10km以上離れた、
半島の先端まで来てしまいました。

それでも元気が
あり余っているのです汗

“アフリカは疲れる”と刷り込まれていたため、
勝手に疲れた気になっていたのでした。

一般論との向き合いかたを考える


先のリゾートのケースは、
みんなが疲れると言っているから、
“疲れた気になっていた”のでした。

あと、みんなのんびりしてるから、
“自分ものんびりするのが当たり前”と。

「社会的証明」という概念のように、
人は多数派の意見に流れがちです。

これは、
“思考がジャックされている”
ようなもの。

思考がジャックされていないか、
簡単に確かめる方法は、
「それは本当なの?」
と問いかけてみることです。


先ほどのリゾートの例で、
ふたたび“多数派の意見”を見てみましょう。

「アフリカ旅は高難度だし疲れるから、
 中間にあたるタンザニアの
 リゾートでゆっくり休憩をとる」

うーん…気になりますね。
本当にそうなのか?

・「高難度だし疲れる」
 →人によって感じ方は違います。

・「中間にあたるタンザニアのリゾートで
  ゆっくり休憩をとる」
 →ゆっくり休憩する必要のない人もいるし、
  タンザニアである必要もないです。


でも、このような多数派の意見に、
簡単に影響されてしまうこともあるのです。
そう、僕のように汗

もともと他人の思考なのに、
いつしか自分の思考だと思ってしまう…

それだと、
「他人の人生をなぞっている」
ようになってしまいます。

その一方で、一般論のなかにも、
受け入れるべきものがあるのも事実。

なので最終的には、
「本当に?」と問いかけつつ、
理性と感性を信じて必要なものは取り入れる
ことが大切だと思っています。

自分が共鳴できるものを取捨選択して、
主体的な人生を歩めたら良いですよね。



当たり前だと思っていたことに
「本当にそう?」と問いかけてみると、
何か発見があるかもしれませんよ!

僕も、もっといろいろ
気づけるように頑張ります。




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

それでは、今日も良い1日を!



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