
はじめまして!
はじめまして!yukiといいます。
プロフィールをご覧いただき、
ありがとうございます。
このページでは、
下記のようなことを
書いています。
イランのバスに乗って、
価値観がひっくり返った話「人を幸せにする写真」と出会った話
人生をリセットし、
田舎に引っ越して再出発することにした話
楽しんでいただけますように。
それでは、どうぞ!
イランのバスに乗って、
価値観がひっくり返った話

僕は大学時代、
海外旅行に夢中になっていました。
数えてみると、
在学中に計377日、37か国を巡っています。
旅をする中で、
たくさんのパラダイムシフトを経験しましたが、
ここでは僕にとって人生の転機となった
イランでの出来事をお話ししますね。
その前にちょっとだけ、
海外旅行が好きになった理由も書かせてください。
初めて海外へ行ったらリアルRPGだった

生まれて初めて外国へ行ったのは、
大学1年生の夏休みでした。
きっかけは、彼女に振られたこと笑
「もうどうにでもなれー!」
と勢いで飛行機を取り、
14日間、
ベトナムとカンボジアを
自由旅行で巡りました。
初めての海外は、強烈でした。
本で読んだり、話に聞いたり、
写真や映像を見たりして、
日本で得た情報から想像していた世界と、
実際に五感で感じる世界には、
激しいギャップがあったのです。
まばゆい太陽の光と
深緑のなかで輝くアンコールワット、
町中に漂うエキゾチックな香り、
どこか懐かしい、ぬるくて湿気を帯びた風、
異国の言葉の響きや
子供たちの無邪気な笑い声、
何より印象的だった人々の
優しさ・あたたかさ…
自分の選択に全ての責任がかかってくる
“リアルRPG感”も、たまりません。
直感は冴えわたり、
「こっちに行ったら何となく面白そう!」
という感覚に従うだけで、
ドラマティックな出来事に
次々と巻き込まれていったのです。
まるで映画の主人公になったかのようでした。
当然のごとく、
すっかり旅に夢中になってしまったのです。
イランの旅と、バスでの出来事

さて、その後に行った
イランでのお話をしますね。
イランという国について、
どのようなイメージをお持ちでしょうか?
友人に「イラン行ってくるね」というと、
返ってくる反応は大体同じで、
「え、イラン?!大丈夫なの?!」
といった感じ。
僕も、もともとはそう思ってたのですが…
日本でイランの情報を耳にするのは、
だいたい何か事件があったとき。
日常の様子などを知る機会は、
あまり多くないですよね。
外務省の「海外安全情報」を見ると、
安全に旅行できる地域はかなり広いのです。
(2023年6月現在)。
僕がイランを旅したのは、
2016年です。
大学では世界史を専攻していたので、
中東屈指の遺跡であるペルセポリスや、
かつて“世界の半分”とすら言われた
イスファハーンに行くためでした。
爽やかな風が心地よい、イランの春。
街は美しい新緑に包まれていました。
人々は優しいし、
ご飯は美味しいし、
街は綺麗だし、
建築も素晴らしい。
そんなイランの旅を満喫していたある日、
衝撃的な出来事があったのです。
それは、街中を移動するために、
バスに乗ったときのことでした。
車内で近くに座っていたおじさんに、
「きみ、どこの国から来たんだね?」
と、話しかけられました。
「旅行かい?それとも仕事?」
「旅行です!
大学生で、歴史を学んでるんです」
しばらくお話しして、おじさんは、
「Welcome to Iran!」
と言って降りていきました。
ウェルカムって言われると嬉しいなあ、
心があたたまるなあ。
そんなことを考えているうちに、
僕も降りたい場所に着きました。
しかし、お金を払おうとしたとき、
運転手さんに何か言われます。
何だろう、聞き取れなかった。
「金額違いますか??」
英語を話さない方だったので、
「お金いらないよ!」
ってジェスチャーが返ってきました。
・・・!
もしかして、
さっきのおじさんが払ってくれたのか…?!
しかし、違ったのです。
座席のほうから声がかかり、振り向くと、
黒いヒジャブで全身を覆った女性が、
にこにこしながらこちらを見ていました。
「あなた日本から来たんでしょ?
バスの料金は、わたしが払っておいたわ!
良い1日を過ごしてね、Welcome to Iran!」
その瞬間、身体に電流が走ったようでした。
僕なんて、通りすがりの、
近くに座ってただけの外国人なのに…!
目の前がパーッと明るくなり、
幸せなエネルギーに
満たされていくのを感じたのです。
どれだけ嬉しそうにお礼を言ったのか、
自分では分かりませんが、
それを聞いた彼女もすごく嬉しそうでした。
バスを降りて、
車窓に浮かぶ笑顔に手を振り、
バスは小さくなっていきました。

恥ずかしながら、それまでの僕は、
損得を行動の基準にしていたと思います。
もちろん、相手のためと思って
行動をすることもありましたが、
潜在意識で、その先にある損得を
見越していたんじゃないかなと…
あの女性の行動には、
そういったものは一切ありませんでした。
ただ純粋に、
通りすがりの僕に幸せを分けてくれたのです。
バスを降りて歩きながら、
「今度は僕が、もらった幸せを
誰かに回していかなきゃ!」
と思ったのをよく覚えています。
それからは、
「たまたま目の前にいる人にも、
幸せを感じてほしい」
という想いをもって人と接することが
増えていきました。
日本的に言うと「一期一会」ですね。
もちろん、
日本で外国の方と関わるときは、
「Welcome to Japan!」
と言うようになりましたよ!
そして、真心をもって人に接すると、
幸せが循環されて自分に戻ってくることも
ハッキリ分かるようになったのです。
その場で循環されることもあれば、
後から別の形で戻ってきたりもします。
(この不思議な現象は脳科学的に説明できるのですが、それはまた別の機会に!)
ちょっとした行動で人を喜ばせることができて、
自分も幸せなエネルギーをもらえて、
そのエネルギーを元にまた循環を起こして…
とても素敵ですよね!
ただ、どうしても自分のエネルギーが
低くなってしまう時もありますし、
そういうときは人にあげることも
難しくなってしまいます。
なので、日頃からエネルギーを
できるだけ高く保つ方法も学ぶようになりました。
本当に、ほんの一瞬の出来事で、
人生が大きく変わった。
きっかけをくれたあの女性には、
いくら感謝してもしきれないほどです。
そして、今度は自分から
そういう行動をとっていくのが、
バトンを渡された人の役目なんだと
思うようになりました。
「人を幸せにする写真」との出会い

写真を見て、
嬉しい気持ちになったり、
幸せを感じたことはありますか?
ここでは、ある写真家さんの
「人を幸せにする写真」
と出会って、世界の見え方が
変わっていった話をしていきますね。
写真が好きになったきっかけ

僕が写真を始めたのは、
19歳の冬でした。
大学のサークルのイベントで撮影係になり、
一眼レフを貸してもらったのです。
初心者だけど、いきなり良い写真が撮れた!
・・・なんてことがあるはずもなく。
ブレッブレでピントは外れまくり、
暗すぎたり、明るすぎたり、
「スマホ写真の方が綺麗なんじゃね?」
と友人に笑われるほど。
(撮影係は複数人いたので助かりました!)
いったんは
「もう一眼なんて使うもんか!」
と思ったものの、
綺麗な写真を目にするたびに、
「こんな写真を、
自分でも撮れるようになりたいなあ」
と憧れは募っていき、
小型軽量のミラーレス一眼を購入。
撮っていくうちに、
「友人や旅先で出会った人の
写真を撮るのが好きかも」
ということに気づいていきました。
写真がもつ“エネルギー”

写真に夢中になっていくうちに、
感じ取れるようになったことがあります。
それは、写真に凝縮されている、
“エネルギー”とも言えるようなものです。
僕が心惹かれていたのは
“プラスのエネルギーにあふれた写真”
でした。
表面的なものは、
そこまで重要ではありません。
明るいか暗いかでもありませんし、
撮影技巧的なものでもありません。
しかしエネルギーが高い写真は、
感覚的に分かるのです。
そして、人物写真において
その違いが生まれる理由は、
「撮り手と写ってくれる人の
“関係性”にあるんじゃないか?」
ということを何となく感じていました。
しかし言語化できないまま、
数年が過ぎていったのです。
そんなとき、たまたま手にした、
ある写真作品集を見て衝撃を受けました。
「どうして、こんなに
心が温かくなるんだろう…?」
それはまさしく、求め続けていた
“プラスのエネルギーにあふれた写真”
だったのです。
作者は、ハービー・山口さんという
日本の写真家さんでした。
そして、彼の著作を読んでいくうちに、
なぜそんな写真が撮れるか分かったのです。
ハービーさんは、
次のように述べられていました。
「その方の幸せをそっと祈りながら、
シャッターを切るんです。」
ああ、そういうことだったのか…!
僕にも経験があったのに気づきました。
「素敵なあなたを撮らせてほしいんです!」
という純粋な心だったり、
感謝や真心にあふれながら撮った写真と、
技巧や構図ばかりを
冷静に考えながら撮った写真では、
明らかにエネルギーの違いがあることを
認識できるようになりました。

人には、“空気を読む力”がありますよね。
和んだ空気、
ピリピリした空気、
スカッと爽やかな空気、
ズーンと重い空気、などなど…
空気が変わるのって、
感情が脳波を変えて、
脳波が身体の細胞に影響して体外に表出し、
空間の微生物などに
影響を与えるためなんだそうです。
そして、人には、
“ミラーニューロン”という神経細胞があります。
その役割は、簡単にいうと、
“周囲の感情がうつってくる”というものです。
例えば、
イライラしている人が近くにいたら、
全然関係ない自分の心までざわついてくる、
といった感じです。
まあ科学的なことは大して重要ではなくて、
要は、
「自分の心を、プラスのエネルギーで
いっぱいにするのが一番大事!」
ということです。
心から人の幸せを祈る瞬間って、
自分も幸せです。
それが、相手にうつっていく。
写真を撮る瞬間、
撮る人も撮られる人も幸せになって、
後でその写真を見てくれる第三者の方も
幸せな気持ちになれる…
初めてそんな循環を作れたとき、
本当に「生きてて良かった」と感じました。
そして、
「これって、
イランのバスでの経験も、
同じことでは…?」
と気づいたのです。
プラスのエネルギーは、循環させられます。
しかも、循環しながら
大きくなっていくこともあるんです。
贈ったエネルギーが大きくなって返ってきて、
それをまた差し出して…といったように。
(ただし、打算とか損得といった思考が入ってしまったときは、エネルギーがどこかへ行ってしまうこともありました。空気が微妙に変わるので相手も潜在意識で感じ取りますし、自分の脳も影響を受けるので効果が薄れます。)
“プラスのエネルギー循環を起こす”
というものの見方は、
幅広くいろいろなことに適用できると思います。
例えば、教育、人間関係、接客、音楽など。
人と人が関わる、あらゆる事に
適用可能なパラダイムではないでしょうか。
人生をリセットし、田舎に引っ越して
再出発することにした話

学生時代にあちこち海外へ行き、
色々な経験をして
価値観に影響を受けてきたものの、
結局、“普通に就活”して、
“普通の人生”を送る方向にシフトしました。
しかし数年後、
全てリセットして、
再スタートすることにしたのです。
なぜ一度は“普通”を選んだのか、
そしてなぜリセットすることにしたのか、
お話ししていきますね。
無意識による支配と、社会人生活

普通の生活を選んだのは、
「無意識による支配」
の影響が多かったと思います。
幼少期から、両親に、
「一生懸命勉強して大学に入って、
安定した企業に勤めるんだよ」
と言われていました。
いつしか、
それが当たり前だと
思うようになっていました。
しかしこれは、
“自分の思考”ではなく、
“親の思考”、もしくは“大衆の思考”です。
自分の意思がハッキリしていない
幼少期に言われたことって、
潜在意識で
「これは自分の思考だ」
と思うようになってしまうらしいのです。
誰しも、このように、
「人の思考なのに、
自分の思考と思い込んでしまっている」
ことがあるそうなんですね。
これが「無意識による支配」です。
子供の頃に影響を受けるのは、
身近な大人だったり、先生だったり、
ドラマやアニメだったり…
いろいろあるでしょう。
もちろん、成長してからも、
知らぬ間に受けている影響もあるはずです。
そういうこともあり、
「学生を終えたら、
“普通の人生”に戻っていかなきゃ」
という選択肢しか見えていませんでした。
就活は無事終わり、
始まった社会人生活は、
とても楽しかったです。
職場はホワイトでしたし、
同期や同僚とも仲良く、
吉祥寺に住んでインテリアを楽しみ、
社会人サークルに参加して年に数回は
大きなホールでピアノ演奏をするような、
充実した日々でした。
しかしそんな日々にも、
徐々に歪みが生まれてきたのです。
見渡せる未来への恐怖

就職して数年経った頃のことでした。
実は、仕事にほとんど
興味が持てなくなっていました。
早い段階で、
“心からやりたいことではない”と
気づいてはいたのですが、
「まあ、
誰しも我慢して働いてるもんでしょ」
と、深く考えないようにしていました。
そんなある日。
“未来が見渡せること”
をはっきり感じられるようになったのです。
「このままいけば、
これから多少何かあったとしても、
人生設計から大きく外れることは
ないだろうな」
(後になって思い返すと、
この人生設計も「無意識による支配」でした)
それと同時に、
考えるようになったことがあります。
「自分がやりたいことって、
やってて喜びを感じることって、
何だっけ…?
これって、本当に望んでる人生…?」
生活の破壊、退職、そして再出発

「このままでいいのか?」
と、悶々とする日々。
しかし仕事を辞めるという
選択はできませんでした。
というより、
その選択肢は頭になかった、
と言った方が正しいです。
では、どうしたかというと…
生活の全てを趣味のピアノに捧げたのです。
なぜに?!と思われるかもしれませんが、
ピアノを弾くのは大好きだったので、
20代のうちに、
一生続けていけることに
本気で取り組んでみようと思ったのでした。
レッスンを月4回に増やし、
平日でも毎日最低3時間は練習。
記録を付けていましたが、練習時間は、
あっという間に1000時間を超えました。
遊びや飲み会はほとんど断り、
友人・知人とは疎遠に。
彼女と別れ、睡眠を削り、
運動も怠り、食事も適当になっていきます。
仕事中も頭にピアノが流れて来るので、
集中力はガタ落ち。
さらに悪いことに、ピアノって、
1000時間練習した程度で
演奏が激変するような楽器じゃないのです。
それでも、
ひたすら音楽の美を追い求めていました。
完全に狂ってましたし、
中毒のようなものだったと思います。
身も心も生活もボロボロになり、
エネルギーは下がり果てました。
そんなとき、
あるピアニストの映画を観ていたら、
こんなセリフが出てきたのです。
「本にこう書いてあったわ。
“芸術への執着”は、“破滅的な探究”だと。
・・・あなたは破滅へ向かっているのよ。」
あ、僕、
アマチュアのくせに破滅に向かってるわ。
もう、ここで止めよう。
そう思いました。

燃え尽きた状態で、
しばらく辛い日々を過ごしました。
そんなある日、数年ぶりに、
Facebookにログインしてみたのです。
すると、かつて酌み交わした皆さんが、
それぞれ自分らしい生き方をしているのが
目に入ってきました。
理想のゲストハウスを作って経営していたり、
JICA職員として
国際的に活動していたり、
インドで修行したあと
ヨガインストラクターをしていたり、
フォトグラファーとして
長期でアフリカ取材に出ていたり。
「ああ、みんなすごいな。
僕も、一度きりの人生なんだし、
興味が持てない仕事に
時間を費やすのはやめて、
心から力を注げることのために
働いていきたいな…」
自分の人生で、
最も輝いてた瞬間っていつだったっけ?
と考えました。
すると、
“プラスのエネルギーの循環を作れたとき”
という言葉が頭に浮かんだのです。
「それだ!
そのために働きたい!!」
ピアノにエネルギーを
注ぎ込んだ時期がなかったら、
それに気づくことはできなかったでしょう。
辛さも苦しさも、
全てこのためにあった。
そう思えたのです。
それからは早かったです。
上司に相談し、
年度いっぱいで退職することに。
退職後に何をしていくかは、
ぼんやりとしか決めていませんでした。
そんな状況だったのに、
職場の皆さんは心から応援してくださり、
本当に嬉しかったし勇気をいただきました。
しばらく生活できる貯金はあるし、
自然が豊かなところに住むのが夢だったので、
長野に引っ越すことに決めました。
そして、2023年春。
美しい八ヶ岳を望む、
自然豊かな土地での生活が始まったのです。
これからのこと、
noteでしていきたいこと

これからの人生でやっていきたいことは、
“プラスのエネルギーの循環を作る”ことです。
先ほど紹介したイランでの出来事だけでなく、
世界中で本当に沢山の幸せをいただいてきました。
今度は僕が、
これまで受け取った以上のエネルギーを、
循環させていきたいと思っています。
まだ抽象的ですが、
下記のようなことをしていこうと思っています。
循環を作る人になること
循環を生み出す“場”づくりをすること
循環を作りたい!と思ってくれる人を
増やしていくこと
まずは僕自身が、どんどん学んで
成長していかなければなりません。
理想を描いたものの、
まだ極めて未熟です。
学んだことを
noteでアウトプットしながら
自身を磨いていきたいですし、
面白そうなことにチャレンジして
発信できたらなと思っています。
“場”づくりというのは、
オンラインとリアルの
どちらもやりたいと考えていますが、
ひとまずはオンラインです。
このnoteも、ひとつの“場”ですよね。
投稿を見てくださる方々に、
プラスのエネルギーを届けられるような、
あたたかいコンテンツ作りを目指します。
長い長いプロフィールを
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
また日々の投稿でお会いしましょう。
それでは、良い1日をお過ごしください!