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プライド月間+*

小さいころ、身長や体格、性格、家庭環境など、自分じゃどうしようもないことを責めたりしないように言われた。どんな人を好きになるかということ、自分がどんなアイデンティティをもつかということ、結局自分ではコントロールできない。だから、基本的には他人にも自分にもどうしようもないことなのだから、抑圧や否定するなんて無茶な話だと思ってる。

そもそも日本って同性愛わりと許容してる文化なんだよね。少なくとも江戸までは。明治の近代化にともなって海外の文化やルールとともに、だんだん規制や抑圧がされるようになっていっただけ。お偉い人が「LGBTのひとを認めると日本の文化が!日本の生産性が!」みたいな話してるのを聞くと「一回今昔物語をしっかり読んでみたらどう?とっても同性愛にフランクよ!」って言いたい。昔から異性愛以外の愛はあるし、異性以外を愛する彼らもちゃんと仕事もして表現もして、それがあつまって今の日本の経済や日本の文化がある。だから、大丈夫。LGBTQ+の人を祝福する社会でも、滅びない。むしろ、人のアイデンティティを強く規定しない、多様な人格と表現をゆるやかに認める社会では、文化的な発展は進むと思う!

セクシャリティをカミングアウトして、自ら広告塔のようになり、偏見と闘っている人はすごい。オープンにはしないけど自分の愛し方を理解してくれる人を探して自分に真摯に生きてる人もすごい。自分は異性を愛するマジョリティ側だけどただ”寛容(なにもしない)”のではなくて”祝福”する行動をとっている人もすごい。そんなひとは自分を称賛すべき。

私の考えでは、性的自認はグラデーションになっている。例えば自閉症やADHDなどの”障害”と言われる生きづらさは軽度から重度までグラデーションのようになっている。そういった特徴を持ちながらこの社会で暮らし仕事や表現をして人を愛し愛されている人がたくさんいるのと同様に、性的自認がゲイだとかレズビアンだとかはっきりきまらないふんわりした「好きになり方」がたくさんあるんじゃないか?って。人間の性質って白黒にパキっと分かれてないんだと思う。(*これはあくまで私の捉え方です)

LGBTQ+のひとたちがもっと生きやすい社会になるといいなと願っているし、私も”寛容”になるだけではなくて”祝福”する人間でありたいと思ってる。

多様な人格や表現を認める社会につながっていくことを願って!

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