日本BGMフィルに見た夢(14) 「幻の演奏会」
■幻の演奏会
2014年3月8日。
素晴らしい演奏会だった。
「日本BGMフィルハーモニー管弦楽団 第二回演奏会 昼の部」を聴き終えた私は、晴れ晴れとした気持ちで客席を後にした。
ロビーでは会場で偶然居合わせたゲーム音楽好きの知人と彼女の小さなお子さんが手を振って待っていてくれた。
ファミリー向けと銘打たれた昼公演は低年齢のお子さんでも参加できることもあり、彼女はまだ幼い我が子と一緒にコンサートを楽しむことができたのだ。
周りを見ると、同じように小さな子を連れた家族が多く見られた。
どの子も大好きなゲームの名曲の数々や本物のオーケストラに触れた興奮で、はしゃぎ回ったりお気に入りのフレーズを口ずさんだりとご機嫌な様子だ。
オーケストラの演奏会は就学前の児童が入れないことが多く、小さな子供のいる家族はなかなか参加することが難しい。
しかし、ファミリー向けの演奏会という形で小さな子供連れでも大丈夫なように配慮されたコンサートならば、今まではゲーム音楽の演奏に興味を持ちながら参加できなかった親御さん達も安心して足を運ぶことができるだろう。
ファミコン全盛時代に子供時代を過ごした世代は、すでに家庭を持ち、小さな子供がいるくらいの世代となっている。
母数も多く、ゲームと共に育ってきた最初の世代でもあるためゲームへの理解や愛着が身についている世代でもある。
そういった層を掘り起こすことは、マーケティングという観点からも正鵠を得ていると言えるだろう。
何よりも社会の重要な担い手であり、仕事に子育てにと最も忙しいだろう世代が安心して楽しめるエンターテインメントを届けるということは、音楽家にとって重要な役割であり、また大きな強みとなることをBGMフィルは認識しているのだろう。
会場で、家族や友人達とゲーム談義や昔話に花を咲かせる親御さん達の楽しそうな姿は実に良いものだったのだ。
もちろん、子供達は今も昔もゲームの大切なパートナーだ。
普段無心で楽しんでいるゲームから流れている音楽が、プロのオーケストラが奏でる素晴らしい音色でホールを満たすという経験は、何にも代え難い体験となるだろう。
演奏会をきっかけに、自分で音楽を奏でてみたいという子も出てくるかも知れない。
BGMフィルに触れたことで音楽を志す子供達が出てきたならば、奏者達は嬉しく、誇らしく思うことだろう。
彼らもまた子供の頃に素晴らしい演奏や音楽家に出会ったことでその道を志したのだろうから。
この会場に集まった子供達が、今日の演奏会を通じてもっとゲームやゲーム音楽を好きになって欲しいと思う。
そして、何かを好きになるということが、どんなに素晴らしいことなのかを感じ取って欲しいと思う。
私は幸せそうに帰路につく知人とお子さんを見送りながら、そんなことを考えていた。
ここで、昼の部で演奏された曲を紹介しよう。
第二回公演のトップバッターはモンスターハンターシリーズより「英雄の証」だ。
”モンハン”は携帯ゲーム機の新時代を作ったと言っていいだろう。
友人や仲間、同僚と"ひと狩り行く"というゲームスタイルは、高性能になった携帯ゲーム機の力をフルに活かし、かつてみんなでファミコンをワイワイと楽しんだというゲームの原初的な楽しさを再現させたといえるだろう。
まさに子供から大人まで楽しめるこのゲームで、BGMフィルのファミリー向け公演はスタートする。
続いて演奏されたのは「パズル&ドラゴンズ メドレー」。前回でも演奏された曲の再演となる。
心待ちにしていたファンも多いだろうし、もう一度聴きたいと願っていた前回の参加者も多いだろう。もちろん私もそのひとりだ。
続いて演奏は発売されたばかりの『パズドラZ』の楽曲へ。
伊藤賢治氏の最新のサウンドが早くもオーケストラ演奏で聴くことができることに喜んだファンも多いだろう。今回もまた一層深みを増した”イトケン節”に魅せられた観客が多かったことは間違いない。
この後もソニックシリーズ、ポケットモンスターシリーズという問答無用な超有名タイトルの楽曲が続く。
様々な世代の子供達がまるで自分の友達のようにして親しんだ名作ばかりだ。
ああ、私達はゲームを通じて大人になったのだな、と聴いているだけで胸が熱くなるようだった。
そして昼公演の最後を飾るのはドラゴンクエストシリーズの名曲の数々。
すぎやまこういち氏が指揮するドラクエシリーズを始めとした自らのゲーム音楽の演奏会は「ファミリー・クラシック・コンサート」と題されている演奏会が多い。
第1作目のドラクエはファミリーコンピュータで発売され、当時の主なゲームプレイヤーは子供たちだった。
ゲームとともに育った現代の大人達とは違い、当時の子供達の保護者である当時の親達の多くは、自分達の子供時代には存在しなかったコンピューター・ゲームというものに対して、よくわからないというある種の違和感を持っていたことが想像に難くない。
そんな中で、すぎやまこういち氏は自らの演奏会に「ファミリー・クラシック・コンサート」と銘打ち、ゲームは決して親から子供を引き離すような存在ではなく、家族でともに楽しむことができるのだという意味を込めたのではないだろうか。
新旧の名曲が見事な演奏で繰り広げられるたびに、会場を訪れた大人も子供も同じように目を輝かせて拍手を送る。
アンコールの『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の「序曲のマーチ」は皆まさに童心に帰って、会場がひとつの気持ちとなって、最早定番となった手拍子を楽しんだことだろう。
こうしてBGMフィルの第二回演奏会 昼の部
ファミリー向け公演は大盛り上がりで終演した。
さて、これから待っているのは夜の部だ。
『アンリミテッド・サガ』の序曲
『ワイルドアームズ』
『ストリートファイターシリーズ』
『龍が如く』に『魔界村』と、まさにこれでもかとばかりに往年のゲームファンが喜ぶような楽曲や作品が並んでいる。
そして今回は2013年の最大級の話題作『艦隊これくしょん』の楽曲が演奏される。
楽しみにしていた"提督"達も多いことだろう。
BGMフィルは近年の話題作にも貪欲に取り組む。
人気作品であろうが、マイナー作品であろうが、オールドゲームも、発売されたばかりの作品でも、素晴らしいゲーム音楽であれば積極的に演奏することはこれまでの公演から明らかだろう。
最後に演奏される「交響組曲 ライブ・ア・ライブ」(合唱付き)も見逃せない楽曲だ。
さらに磨きがかかったBGMフィルハーモニー合唱団の歌声も楽しみである。
「交響組曲アクトレイザー」に続いて、またひとつBGMフィルの看板曲が増えることだろう。
アンコールはなんだろう?
前回に続き、MOTHERシリーズの楽曲だろうか。
それとも別の有名作品だろうか。
マイナーな作品、知る人ぞ知るような名曲だろうか。
それとも市原氏がたびたび口にする「君はホエホエ娘」がついに演奏される?
ただひとつだけ言えるのは、どんな曲であろうとも、観客を楽しませ、ゲームやゲーム音楽の作り手達、そして様々な形でゲームの歴史を作ってきた人々に敬意を捧げるような演奏であることは間違いない。
会場に集う観客たちも、出番を待つ奏者も、指揮者も。
幕が開くその時を待っている。
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の新しい物語が始まるその瞬間を。
■なぜBGMフィルは終りを迎えなければならなかったのだろうか
第一回演奏会で予告されながらも、残念ながら幻となってしまった第二回公演を、2014年3月1日に公開された市原氏のブログを参考に再現してみた。
市原氏は記事の中で第二回公演の演奏曲案を公開している。
3月8日の公演について
http://blog.185usk.com/2014/03/post-45517.htm
実際にBGMフィルが描いていた姿とは違うかもしれないし、本当に実現されていたなら、本記事とは異なった内容となっていたかもしれないが、ここはあくまでも"If "の世界ということで御容赦願いたい。
市原氏が掲げた第二回公演の構想は、心が踊る内容だった。
メジャーにもマイナーにも振れすぎないバランス感があり、サービス心旺盛、そして観客を驚かせるようなサプライズが用意されている。
BGMフィルらしさに溢れた選曲だと感じた。
昼夜ともに個性があり、どちらの公演に参加した人も満足な気持ちで帰途に着くことができたはずだ。
なぜBGMフィルは終りを迎えなければならなかったのだろうか。
形式的な案内の他は何も説明はない。
"発展的解消"という言葉に何の意味があり、どういう理由でそうなったかは誰からも説明は無かった。
ネット上でも様々な噂や憶測が飛び交ったが、本質に近づくようなものではなかった。
5月になって市原雄亮氏はひとつの記事を自らのブログに記している。
日本BGMフィルの今後について~前編
http://blog.185usk.com/2014/05/post-12718.htm
市原氏の言葉を引用する。
まず、日本BGMフィル解散に至るまで何があったのかにつきましては、何を書いても、どんな書き方をしても誰かしらをdisってしまう結果になると思われ、得をする人がいないと思われますし、私もそれは望みませんので、ここでは伏せさせていただきます。
さて、客観的事実としてお伝えしておきたいのは、日本BGMフィルの解散について私が決めたですとか、私が希望したという事実はございません。発起人ですから、私の意向で決まったと思われている方もいらっしゃるかと思いますが、それは事実ではありません。10月の第1回公演までの方針、コンセプトは私の意思を基に決定してまいりましたが、それ以降のオーケストラの動きに私の意思は反映されていません。
2012年の1月、何もないすべてゼロの状態から始め、名称募集、法人化、オーディションという過程を経て、1年半以上にわたり時間と労力をかけて作り上げたものですので、解散させたいと思うはずがないのです。また、私は実利よりも、義理や人情を優先してしまう傾向があるようでして(だからビジネスマンには向いていないのだと思いますが)、1,500通近い熱い応募から選ばせていただき、ようやく世間様に知られてきた日本BGMフィルという名前を無くすという事は私の発想には一切ない事です。命名者様に申し訳が立ちません。
市原氏は言葉を選びながら心情を語っている。
自らが立ち上げ、苦労して育て上げたオーケストラが無くなるということはいかに無念なことだろうか。
本当ならば言いたいことのひとつやふたつでは済まないだろう。
しかし、市原氏は解散に至るまでの経緯については前述の通り口を閉ざしている。
いったい何が原因なのだろう。
収支だろうか。
オーケストラを取り巻く環境は厳しい。
元々プロのオーケストラは音楽大学等の専門機関で高い音楽教育を受けた演奏家を何十人と抱える必要があり、さらにステージマネージャーや事務、広報などの運営スタッフが必要になる。
コンサートを行うためには、会場の費用を始め、著作権料、スタッフの人件費、チラシやプログラムなどの印刷など莫大なコストがかかる。
作曲から何百年も経過しているクラシック音楽と異なり、ゲーム音楽は多額の著作権料が発生するのが一般的だ。
コンサート会場は大きめのホールでも1000人から2000人という収容力しかないので、集客力は必然的に低い上限が生じる。
非常にハイコストローリターンな形態と言えるだろう。
プロのオーケストラは元々"儲からない"のだ。
以前読んだ試算では日本最大のオーケストラと言えるNHK交響楽団でさえ、コンサートチケットだけの収支では今の何倍もの価格で売らないと運営ができないという。
そのため多くの団体はスポンサーとなる自治体や企業を持つか、あるいは助成金や依頼公演といった形で自主公演や運営の費用を賄うことになる。
しかし、そういった資金援助や企業や教育機関などからの依頼を得るにはそのオーケストラが様々な場面で活動し、社会的な意義のある存在であることを認められる必要があり、そのためには地道な活動と実に長い年月がかかることは想像に難くない。
母体を持たないプロオーケストラがほとんど無いことにはこういった理由もあるのだろう。
元々儲からないという商売をするならば、取る行動は2つしかない。
やめるか、儲かるまで続けることだ。
続けると決めたならば、歩き出したばかりの不安定な収支に踊らされず、腰を据えて挑むのが経営者、運営責任者というものだろう。
BGMフィルは立ち上がったばかりの交響楽団だ。
第一回公演のような記念する演奏会では収支を気にせずに素晴らしい演奏とステージで観客を大喜びさせて、訪れた人には熱心なファンになってもらうくらいが当たり前ではないだろうか。
開店したばかりのお店が赤字を覚悟で開店セールをするようなものだ。
もしそれでも続けるのが難しいならいくらでも形態を変えて演奏活動を続けることだってできただろう。
元々たった一人から始まった管弦楽団なのだから。
集客数だろうか。
公式な発表は無いが、私の感覚では第一回公演の会場は7割ほどは埋まっていたように見えた。
席も一部を除いて完売だったという。
かつしかシンフォニーヒルズは席数1311と、オーケストラ演奏としては大きなホールと言える。
立ち上がったばかりのプロオーケストラが座席の7割を埋めることができたならば、褒められても良いくらいだろう。
日本のみならず、クラシックの本場欧州でも集客には苦しんでいる。
今時はベルリンフィルなど超有名どころが来日でもしない限り、演奏会を満席にすることは難しいと言われている。
私自身も誰もが知る名演奏家のコンサートで空席が目立つのを見て、現代の興行の難しさを感じたことがある。
ゲーム音楽の演奏会も同様と言えるだろう。
それを考えれば今までのBGMフィルと運営サイドは十分に良い仕事をしていたと言うことができるのではないか。
収支や客数はひとつの要素ではあるが、それはあくまでも結果である。
オーケストラの本懐は素晴らしい音楽を観客に届け、これまで音楽家達が繋いで来た偉大な文化を未来に渡して行くことだ。
もし誇れることが満席の数や収益しかないのであれば、それはそれ以外に誇ることが無いということなのだろう。
最後にひとつだけ。
何かを引き継ぐ、というのはその業績や看板だけでなく、創業の理念やスタイル、あるいは問題点や負債にいたるまで全て敬意を持って受け止め、未来へと繋いでいくことだろう。
創業者や中心メンバーを追い、ファンが愛した名前を消滅させ、理念も志も方針も全て無きものとして書き換え、価値のある看板だけをこっそり自分達にかけかえることは何かを引き継ぐということなのだろうか。
もしそういうことが行われたとするならば、人は何と呼ぶだろうか。
そのようなやり方で、本当に人の心を動かす芸術を創造することができるだろうか。
自分達には自分達の理念があり、自らの才能とスタイルで人を楽しませたいと思うことはいいことだ。
だがそれは誰かの力を借りて、掠め取るようにしてすることなのだろうか。
自らの力と理念を信じるのならば、たった一人でも行動し、仲間と支援者を集め、自分の手で堂々と旗を立てればいいことだ。
かつて、ひとりの無名の指揮者がそうしたように。
そしてこれだけは言っておきたい。
日本で初めてのゲーム音楽を主体とするプロオーケストラと名乗ることができるのはたったひとつ。
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団だけだ。
もし名乗る資格を持つ団体があるとするならば、それはその名と理念を受け継いだ者達である。
そのことだけは忘れないでいて欲しい。
こうして日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は終焉を迎えた。
「ゲーム音楽を主体として演奏するプロフェッショナルオーケストラ」は、6回のアンサンブルコンサートと、最初で最後となったフルオーケストラによる演奏会を行い、立ち上げからわずか2年足らずという短さで消えて行った。
BGMを表舞台へ。
バックグラウンドではなく主役の音楽へ。
その崇高な理念とともに。