
不便は面白い
実家は
とても便利がいい。
まず、
冷蔵庫がある。
そして、
電子レンジもある。
周りを見れば、
24時間営業の
スーパーマーケットが
近くにあり、
食料品を買いに行くのが
とても楽だ。
いつでも
ジュースやお菓子も買える。
一方で、
移住先は
とてつもなく不便だ。
まず、
冷蔵庫や電子レンジはない。
洗濯機もなく、
脱水機もない。
手間がかかるし、
脱水はだいぶめんどい。
周りを見れば、
近くにスーパーマーケットはなく、
自転車でそれなりに
走る必要がある。
しかも、
山の下にあるので、
帰り道は
上り坂を漕いで
上ることになる。
なので、
滅多なことがない限り
行かない。
暑いし。
だから、
移住先に戻りたくない気持ちが
芽生えてきている。笑
便利がいいし、
アルバムCDの作業も
こちらにいた方が
絶対楽にできる。
じっとしていれば、
ご飯と味噌汁も
家人が出してくれる。
自分で用意する必要がない。
正直、
めちゃくちゃ楽。
生きるのが楽。
面倒がない。
でも、
僕の心は
移住先に戻りたい
と言っている。
不思議だ。
便利がいい方が
生きやすいのに。
生きるのが楽なのに。
なぜだろう?
なぜ、
楽じゃない方がいいのか?
そう自問自答してみると、
出てきた答えはこれだった。
そっちの方が面白いから。
楽じゃない方が、
便利じゃない方が、
面白いらしい。
なぜ、
楽じゃない方が
面白く感じるんだろう?
それは、
楽じゃないから。
楽じゃないから、
面白い。
確かに、
便利ゆえに
楽に生きられるのは
素敵なことだ。
足腰が弱った高齢者や
病弱な人にとっては
そっちの方が
絶対に生きやすい。
ぜひ、
そういうところで
生活してほしい。
けど、
便利だと
面白くないんだよね。
自分の手で
手塩をかける余地が
なくなるから。
手間をかける時間が
ないから。
米を研いだ後に
炊飯器のスイッチを押したら
ご飯が炊ける。
これは画期的なことだ。
スイッチを押せば
ご飯が炊けて、
その間に自分の時間が取れる。
何かする時間を得られる。
めちゃくちゃいいことだ。
けど、
味気がないんだよね。
少なくとも
僕にとっては。
だから、僕は、
あえて自分で炊きたい。
研いで吸水させたお米を
フライパンに移し替え、
フタをして
強めの中火にかけ、
沸騰してきたら、
ごく弱火にして
10分ほど待つ。
すると、
ご飯が炊き上がる。
そうしたら、
少し混ぜて
フタをして待つ。
10分すると
しっかりと蒸らせるから、
あとは、適度に冷まして
塩おにぎりにする。
海苔を巻くと
独特な香ばしい香りが
漂ってきて、
豊かな気分になる。
こんな、
一見すれば面倒臭い作業が
めちゃくちゃ面白い。
沸騰してから
ご飯が炊き上がるまで待つ行為は
炊飯器でご飯が炊けるのを待つのと
変わらない行いなのだけど、
断然ガスで炊飯する方が楽しい。
なぜなら、
自分で作ってる感があるから。
炊飯器ポチッは
炊飯器に調理を任せているから、
自分で作ってる感覚がなくなる。
自分の体を作るご飯を
自分で作り上げているっていう
感覚がなくなる。
それって、楽しい?
僕は楽しくない。
そのほかの料理も
調理器に任せるのは
楽でいいことだ。
それで美味しい料理が作れるなら
それもいいと思う。
でも、
それが面白いとは僕は思えない。
というか、
もったいないと思う。
だって、
料理してる時間は楽しいものだし、
そうして手間暇かけて作ったものを
食べるのもまた楽しいから。
仮に美味しくないものが
できたとしても
次はこうしようという創意工夫が
生まれてきたりするから、
それはそれで楽しい。
料理が楽しいのは
人によりけりじゃないか、
と問われれば、
そうかもしれない。
でも、
別に理由があるのではないか
とも思う。
それは時間を十分に取れていないのと、
それが作業になっているから。
僕は、そう思う。
時間をとって
あえて料理をすると、
料理は楽しいものだ。
そうは思わないだろうか。
パンを作ろうと思って、
時間をかけて
生地をこねる。
発酵時間を十分にとって、
生地を膨らませ、
整形して
二次発酵をする。
そして、
それを温めたオーブンに入れ、
焼き上げる。
発酵や焼成の間の
空き時間に
ほかのことをする。
この時間は
とても心地よい。
早く発酵しないかな、
早く焼けないかな、
などとワクワクしながら
時間を過ごす。
僕は、
この時間がとても有意義で
豊かなものだと感じる。
これを、
日課だからと言って、
作業にしてしまうと、
きっと、
途端につまらなくなる。
僕は、
実家にいる時は、
ご飯を作ったり、
食べたりするのが
苦痛だった。
なぜなら、ルーティンワークだから。
単なる作業としか思えなかった。
栄養を取る作業。
プロテインを水に溶かし、
出来上がってる味噌汁をすすり、
出来上がってるご飯を口に入れる作業。
何も変わらない日常。
全然楽しくなかった。
でも、
移住してからは
それが一変した。
毎朝ご飯を作るのが楽しい。
プロテインを水に溶かすのは
変わらないし、
米を研ぐのは
少し面倒だとは思ってる。
けど、
炊飯が楽しい。
毎日同じように炊こうとしても、
同じように炊き上がらない。
以前は弱火で13分でよかったのに、
今日は弱火で10分にしないと
うまく炊き上がらないというのがザラにある。
その調整が楽しい。
うまくいかないのも楽しい
なんてことは言うつもりはない。
いつも美味しい飯を食べたいから、
ガチで気をつける。
それで、うまくいったときが
めちゃくちゃ楽しい。
いつも同じように
同じようなご飯にならないから、
ある意味スリルがある。
その刺激がたまらない。
あと、
やっぱり、
自分の力を最大限に活かして
ご飯を作っているのが楽しい。
実家で食べてるご飯は
いつも同じで、
毎回自分の力を
最大限に利用することなんてなかった。
でも、
移住先では毎回全力だ。
だから、
ご飯を作ってる間中楽しいし、
ご飯を食べてる時も楽しい。
ご飯を食べるのが楽しいのは、
ゆっくりと時間をかけて
食べるようになったからなのと、
美味しくなるように気をつけた
その甲斐が報われるのを感じながら
食べているから。
実家にいる時は、
時間はかけなかったし、
美味しくするための努力も
しなかったし。
本当に作業だった。
だから、
今めっちゃ楽しい。
便利がよくて、
手間がかからなくて、
楽っていうのは、
悪いことじゃないと思う。
今の世の中、
忙しすぎるしね。
技術の進歩によって
ゆっくりできるようになるかと思ったら、
逆進しちゃってるし。
みんな時間も余裕も取れなさすぎ。
だから、
便利さとか
楽さとかが大事になるのも
必然だと思う。
でも、
便利も楽も
全然面白くないし、
楽しくもないんだよね。
楽だと、
手間をかける楽しさを味わえない。
便利だと、
創意工夫をする余地がなくなる。
毎日同じで変化がないと、
その行為は作業になってしまって
ものすごく苦痛な時間になる。
時間をかけて、自分で作る。
時間をかけて、自分でする。
便利と楽を捨てて、
毎日同じで
変化がないことから離れる。
時間をたっぷりととって
その行為をすることを楽しむ。
これが楽しみの秘訣で、
楽しむコツなんだと思う。
実際、
お金を数える時も
自分で数えた方が楽しくない?
機械に任せて、
10万円です!
とかされても楽しくない。
1枚2枚3枚…と
時間をかけて数えて、
本当に10枚ある!ってなったら
嬉しいでしょ。
自慰をするときも、
性欲を処理する作業と思ったら
絶対楽しくないけどさ、
ねっぷりどっぷり
時間をかけて
ニヤニヤしながらしたら
楽しいじゃん。
そういうこと。