見出し画像

悲劇の主人公を演じてしまうのは、大事に育てられなかったから



僕はかわいそうな人間です。


つよい体に恵まれず、
愛に恵まれず育ってきた
あわれな人間です。


そんなふうに悲劇の主人公を
演じて生きてきたことは
ないでしょうか?


あるいは、
今もそのように
生きていないでしょうか?


他人の注目をあびたい、
まわりの人から心配されたい、
そんな気持ちはありませんか?




僕は、幼いころから
そんなふうにふるまっていました。


それはなぜかというと、
親に大事に育てられなかったから。


厳密に言えば、

本当に大事にされて育てられてこなかった
と思って生きてきたから

です。


なぜそう思ったのでしょうか?


今日はそれをひも解いていきます。




では、さっそくまいりましょう。


大事に育てられてこなかった
と思ってしまったのはなぜなのか?


それは、

幼いころの自分が
親や保護者から
心から愛されなかったから


です。


こういうと、ネグレクトのような
印象を受けるかもしれません。


しかし、そういうことではありません。


ここで言いたいのは、
親や保護者が心から
つまり、すべての関心や注目
幼いころの自分に向けていなかった
ということです。


そのころの親といえば、
30歳前後の働きざかりの時期であったり、
家のしごとを一手にひきうけたり
している状態にあります。


なので、すべての関心や注目を
我が子に向けることは難しいでしょう。


そういう状態をいいます。


そうして育てられたために、
親・保護者は自分だけを見てくれないんだ、
自分は本当に大事にされて
育てられてきたんじゃない
んだ、
と思ってしまうのです。




僕にもそういう思い出があります。


僕の両親は共働きでした。


家には祖父母がいたので、
両親はその人たちに
僕の世話をまかせて外に出ていました。


とくに母は、
僕を産んで1ヶ月もしないうちに
職場に戻っており、
僕に心からの愛、すべての関心を
向けている時間は
そう多くなかったと思います。


なので、祖父母の愛を受けて
育ったわけです。


しかし、
それで満足はできませんでした。


彼らの愛ではなく、
親の愛がほしかったからです。


親が自分だけに関心を向けてくれる
という感覚を味わいたかった
のです。


自分だけに関心を向けてくれるのは、
自分を特別に見てくれている
ということの表れです。


本当に大事にしているという気持ちが
その行為にあらわれるんですね。


そんな親の行為をとおして
その気持ちがあるかどうかを
無意識のうちにはかっていました。


それで、
そうしてくれない親は
自分を大切にしてくれていない
と感じるようになってしまった
わけなのです。




大人になった今、
親は必死に育ててくれたんだ
というのはわかります。


ここまで育ててくれただけで
ありがたいことだなぁ
と思います。


でも、幼い子どもには
そんなことはわかりません。


自分に向けてくれる愛、
関心がすべてです。




そうして、
親からの愛を得られなかった僕は、
欲求不満におちいりました。


それでし始めたことが、
まわりの人間の注目をあつめることです。


具体的には、
体が弱いアピールをしたり、
体調を崩したアピールをしたりします。


体が弱いアピールとは、
自分は昔から体が弱かったから
こんなにもひ弱なんだ、
体力がなくて運動音痴なんだ
とアピールすることです。


こうすることにより、
まわりの人の憐れみを買うことができ、
甘やかしてもらえると思い込みます。


また、体調を崩したアピールは、
熱が出たとか、
ぜんそくがひどくなったなど、
そのような体の不調をうったえることで
人の関心・注目を
自分に集中させようとする行為です。


それ以外にも、
いろんなアピールをしていました。


たとえば、自虐ネタとか。


めちゃくちゃしていましたね😣


そうやって、
他人の関心を得ようとしていたのです。


こうして悲劇の主人公が生まれるのです。




ちなみに、
この行いを否定するつもりはありません。


これはぽっかりと空いた
心の穴を埋めるための
涙ぐましい努力なのですから。




でも、これは対症療法です。


おおもとの心の穴を埋めないかぎり、
このむなしさはなくなりません。


どうすれば、
この穴を埋められるのでしょうか?


それは、

気づくこと


です。


自分は大事に育てられてこなかったのだ
と悲しむ気持ちに気づく
ことです。


気づくだけで大丈夫です。


気づくことができれば、
あとは心の穴が自然と埋まっていきます。


じわじわと傷がうずく感覚とともに、
すがすがしい気持ちが生まれてきます。


うれしさやよろこびが生まれてきます。


心の傷はいやされます。


そうなったあとは、
悲劇の主人公を演じる気は
起きなくなりました。


もしこれに気づいても悲劇の主人公を
演じてしまうとしたら、
親の愛を心がもとめているからかもしれません。


そのときは、このワークをすると心が満たされます。


ぜひ試してみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?