もうこれ以上誰もくるな#短編小説 #第二回絵から小説
夕暮れ時の公園で、
幼稚園帰りの私は、自然を創造する。
お母さんには同じ作業にみえるらしく
「毎日お砂場遊び、あきないの?」
「お友達と遊ばないの?」
なんて聞いてくる。
わかってないな。
山もトンネルもダムも、毎日違うものに仕上がるからこそ楽しいのに。
ヒトリだって、寂しくない。楽しいんだ。
自然の創造に言葉はいらない。
お母さんには気が付かれないように、
そっとため息をつく。
やれやれ、これだから大人は。
お母さんが、ヒトリで砂ばかりイジる私を
心配してくれていることも分かっている。
私は大丈夫だって知って欲しい
気もするけれど、きっと伝わらない。
心配をかけない為の何かの言い訳みたいに
聞こえてしまうのもイヤだ。
———
ある夏の夕暮れ、
私はこの日もいつも砂場で、ヒトリ、もくもくと山を創造していた。
その時だ。
「途中で少し水をかけると固い山になるんだ」
見知らぬ男の子が、山に水をかけた。
パラパラっと慣れた手つき。
すぐにわかった。彼は幾度となく、この砂場で山を創造してきている。
今日は一緒に山を創造してくれるらしい。
心強いではないか。
2人黙々と作業をした。
私が土を盛る。
彼が水をパラッとする。
また私が土を盛る。
私たちに言葉はいらない。
ただ高く、大きな山を造る為、
嬉々として協力した。
お互い初対面であることは、不思議な程気にならない。
山を造る。
その目的を私たちはずっと前から共有してきた気さえする。
「ダムを水を流す前に、バケツをうめたらいいのよ。」
またひとり、今度はピンクの靴を履いた女の子が現れた。
彼女の手にあるバケツには、見覚えがあった。
数日前、埋められたままの姿をみた。
私はすぐに察することが出来た。
なるほど、彼女はダムを創造中になんらかのハプニングがあり途中で中断せざるを得なかったんだな。
今、まさにリベンジということか。
面白い!
彼女のダムに私を川を繋げよう。
彼女の手つきは慣れたものだった。
バケツを埋める穴は正確に掘られていく。
かなり鍛錬した正確な手つき。
この砂場の砂を知り尽くしてるな。
彼女もまた幾度となくダムを創造してきたのだろう。
私と彼と彼女は、夢中だった。
誰がリーダーとか、
誰が、どこの担当とか、
誰が上手いとか、
手伝ってあげなきゃとか、
そんなものは関係ない。
分かり合える同志と、新しい自然を創造する。
お互いが作るものを認め、自分の作品に繋げる。
自分以外に、この砂場で自然を創造し続けていた人がいた。出会えた。
私たちは、ヒトリじゃなかったんだ!
その喜びに、心が踊った。
同志と造る自然は、いつもよりダイナミックで、繊細だった。
———
無限に続くと思っていた喜びの時間は、突然終わる。
「わぁ、たのしそう」
「いーれーて!」
「スコップかしてー」
いつのまにか、私たち3人以外に仲間が増えようとしていた。
彼らは口々に言う。
「ココは〇〇、僕はココー」
「バケツ埋めたら、汲みに行けないじゃーん」
「トンネルもっと大きくしようよ」
彼と彼女と私たちとは違う空気。
私たちにはないキュウチョウセイ。
「ねぇ、そのスコップ、貸してよ。」
図々しい。
使っているでしょうが。
握りしめているでしょうが。
断りたい。
でも、イヤといえない。
「ちょっと!水かけちゃ汚くなるじゃん」
五月蝿い。
大きく高い山を作るには、水で固めた方がいいと、彼は経験から学んだんだ。
同志を助けたい。
反論したい。
でも言葉が出てこない。
コワイ。
私たちの自然が、私たちの創造ではなくなっていく。組み替えられていく。
同志は、今なにを思うんだ。
ふと見渡すと、水かけを禁じられた同志の彼が、砂場から去る姿が見えた。
その時、私には黒い感情が芽生えた。
「ココは私たちが造った世界だ。
もうこれ以上、誰も来るな。」
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こちらの作品は、清世@会いに行く画家様の第二回「絵から小説」への参加作品です。
お題絵3枚から好きなものを選び、自由に文を綴って表現をするという企画です。私はBの絵を選択させていただきました(^▽^)/
「創作での殴り合い」のという清世@会いに行く画家様の言葉にグッときて書いた文章です!他の皆様の作品も楽しませてください。
清世@会いに行く画家様、すてきな企画をありがとうございます!