『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京都アニメーションの描いてきた祝祭空間の象徴的作品
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はアニメ制作会社京都アニメーションの作品だ。
戦争のさなか、孤児として軍の「少佐」に拾われ、「兵器」として育てられたながらも「少佐」の温かい「愛」で触れたヴァイオレットは、戦争で戦いに身を投じてきたが、戦争も終盤の中で少佐と共に負傷し、両腕を失い、両腕を義手と生きることとなった。
そして終戦後、ヴァイオレットはエヴァーガーデン家の養子として迎えられるが、拒否をし、後見人の一人となったクラウディアが経営するC.H郵便社にて、自動手記人形として働くこととなる。
自動手記人形とは手紙を代筆する職業だが、相手の隠れた心の内を読み取り、手紙にしたためるのが重要となる。
そして、ヴァイオレットは自動手記人形としての仕事での依頼人と心の関わりの中で「兵器」と育たれた中で「少佐」が「愛」を与えながら育ててくれた「愛」とは何かを知っていく。
ストーリーは以上で2020年9月には劇場版の公開が控えている『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』だ。
手紙という言うと近年では初恋相手と手紙のやり取りから始まるラブストーリーの岩井俊二監督作品の映画『ラスト・レター』(2020)、配達によって分断された北米大陸を繋ぐというSF要素のある小島秀夫監督作品のゲーム『DEATH STRANDING』(2019)がある。
そして『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京都アニメーションが日常という場を「祝祭空間」として描いてきた全ての作品の中で総まとめであり、最新作だ。
『ラスト・レター』では手紙を自分の思いを手紙に書く、『DEATH STRANDING』ではプレイヤーが配達をする。そして『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』ではその中間とも言える自動手記人形として相手の心を読み取り、手紙にしたためる作品だ。手紙は個人の小さな物語であり、小さな物語つまり日常を手紙を届けたい相手に伝えられるように文章にする行為は個人の小さな物語を手紙という場で「祝祭空間」にすることだ。
京都アニメーションが日常を「祝祭空間」として描いてきたのは出世作である『CLANNAD』は恋をして、結婚をし、子供を授かるというライフイベントでは劇的ではあるが、社会から俯瞰した場合に特別ではない行為を「祝祭空間」として描いた。
そして京都アニメーションの名を世に知らしめた決定作が谷川流原作の『涼宮ハルヒの憂鬱』だ。学校という日常の繰り返しのつまらない場を自らが面白くしていく=「祝祭空間」にしていく涼宮ハルヒというキャラクターの存在だ。
『らきすた』では女子高生の日常のコミュニケーション関係の場にこそ面白さがあり「祝祭空間」を産み出すという作品だ。
『けいおん』では女子高生たちのバンド活動と日常のコミュニケーションの中で『祝祭空間』が産まれるという作品だ。
『日常』ではタイトルの示すとおりにギャグアニメで少しずれた日常こそが面白い「祝祭空間」そのもだという作品だ。
『響けユーフォニアム』シリーズでは吹奏楽が全国コンクール優勝を目指して、切磋琢磨していく、群青青春物語だ。今までの作品とは少し違いシビアな作品だが。日常にはどんな行為をしても他者を傷つけたり、みんなで喜んだりという場こそが祝祭空間であると表層している。
駆け足ではあるが京都アニメーションの作品を紹介してきた。他には作品群や各作品を深堀りしたいが長文になるので割愛する。
全ての作品において個人の小さな物語こそ日常という場を「祝祭空間」として描いてきたのが京都アニメーションだ。
ではなぜ、それが多くの視聴者を惹きつけるのか、社会学者の宮台真司が言うところの歴史が担保してきた「大きな物語」から個人の「小さな物語」への時代の移行によって自分の生きる日常を生きる中で「大きな物語」が不在の中で自分の「小さな物語」を生きる上で京都アニメーションの作品は、その「小さな物語」を肯定してくれる作品だから視聴者を惹きつけるのだ。
特に2000年に入ってネオリベの台頭による自己責任論によって全てが私に還元される社会で京都アニメーションの作品がヒットしたのも頷ける。そして作品と自分を同期させるために実際の地域を舞台をした作品群は実際に作品の舞台を訪れる「聖地巡礼」という言葉を産み出すほどの力があった。
また2011年3月11日に未曾有の災害となった東日本大震災によって今までの日常が壊された大きな暴力である地震と津波、そして現在も放射能漏れを起こしている福島第一原発事故によって、今までの日常がどんなに尊い日々だったのかを認識させられた。そして日常を「祝祭空間」として描いてきた京都アニメーションの作品の世界がどんなに尊かったのかを教えてくれた。それを証明するようにその年に公開された『映画けいおん』は深夜アニメの劇場版ながら興行収入14億円、動員人数は100万人を突破した作品となったのが証明だろう。
2019年7月18日に京都アニメーションに悲劇が起きる。それは36人の死者を出した最悪の放火殺人事件が発生した。日常という場を「祝祭空間」として描いてきた生産場所が非日常の場となってしまった。
あの事件からから本稿を書いている2020年7月17日現在から明日で1年になる。
だからこそ京都アニメーションの最新作である『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を起点に私にとって京都アニメーションの作品郡とは、どんな存在だったか、どう思ってたのか文章にしたくて本稿を書いた。
現在、進行形で進む新型コロナウイルス(COVID-19)によって私たちの日常は以前に戻らないかもしれない。もしかしたらこの非日常の状態が日常になるかもしれない。だからこそ京都アニメーションの描く日常という「祝祭空間」が輝くのだ。
最後に本稿は京都アニメーションの事件を書いたら収益あるとか(無料で公開している)、閲覧数が多くて悦に浸る評価経済でもない。ただ今の自分の気持を正直に表したい思いから本稿を書いた。
最後に事件で犠牲なられた方のご冥福を祈るとともに、被害にあわれた方の一日も早い回復を祈っています。また京都アニメーションというアニメ製作会社に穏やかな日常が来ることを祈っています。