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三島由紀夫の最期の話~ユキ先生の「大人のための授業」part73

三島由紀夫。1925年産まれ、1970年没。
誰もがご存知かと思います。名著も数多く、読んだことがある方もいらっしゃるかと思います。
で、この記事は、そんな三島由紀夫が最期に犯した致命的なミスについてまとめたものとなります。なお、詳細を書くと長くなりすぎるので、だいたいざっくりと書きます。

三島事件の簡単なまとめ

通称三島事件をざっくりとまとめると
・自衛隊の駐屯地を一時的に占拠(テロ行為そのもの)
・陸将(陸軍の偉い人)を人質にし、自分たちにスピーチをさせるよう要求
・後に割腹

彼の最期を3行でまとめるとこんな感じになります。ちなみに人質ははじめから殺害するつもりはなく、割腹もはじめから予定していたものです。
文字通り、命をかけてまで伝えたかったことは何か?
それは、「日本の自衛隊に武士の魂を呼び起こす」ことでした。
正直何が言いたいのかわかりませんが、この記事では伝えたかったことに関する考察ではありません。

しょうもないこだわりで命を捨てた哀しき男
なぜ彼がこんなことをわざわざ命がけで伝えたかったかというと、当時の自衛隊がふ抜けているように見えたから、でしょう、たぶん。
そして、先ほどから述べている彼の致命的なミス、それは、スピーチの時に拡声器のたぐいを一切使わなかったことです。
「なんで?」と、現代の誰もが思いますが、どうやらここに彼のこだわりがあったようです。肉声で、かつ命がけで直接届けなければ、この想いは伝わらない、と。
で、実際はというと、野次馬がうるさすぎてほとんどきこえなかったと言われています。物理的に聞こえなければ想いもへったくれもありません。
彼は、彼自身のこだわりにより、他人から見て「勝手に騒いで自害した、はた迷惑な人」になってしまったのです。
そもそもとして「命をかけてまですることじゃなくね?」というド正論はやめておきましょう……。

我々は彼から何を学ぶべきか

私がこの記事で伝えたかったことは「時代の変化についていけないことの愚かさ」です。
彼がこの事件を起こしたのは45歳の頃。なぜか作家なのにボクシングをやっており、身体を鍛えていたのは、日に日に衰える自身の身体と向き合うことが怖かったから、なのかもしれません。
そして、電気という文明を彼は拒否してしまいました。客観的に見れば愚かな行為ですが、ここも彼自身のこだわりポイントだったようです。敵国の技術を使うわけにはいかん、と。
電気という文明から、そして自身の老化という現象から、彼は逃げてしまいました。その結果、非合理的なこだわりを持つに至り、結果として前述のような最期を遂げてしまいました。
彼の死は当時日本だけではなく、世界中に驚きをもたらしたそうですが、世界の人たちの意見をざっくりまとめると「なんて愚かなことをしたんだ」となります。そりゃそうだ。

まとめ

現代は変化が著しく早くなっています。そのスピードは、人類が今まで体験したことがないものです。
もはや「昔の常識」など何の役にも立たないどころか、むしろ邪魔です。今はそういう時代になってしまっています。
もしあなたが、「昔の常識ではこうだったんだけどなぁ……」と日ごろ思っているのだとしたら、それは三島由紀夫と変わらぬ愚行です。特に、過去の成功体験にとらわれている人ほど、この罠にかかります。
正直、変化に対応するのは私もしんどいです。しかし、それを怠る人が勝てる時代ではないのです。とっくの前に。


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