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エッセイ【長い長い物影】

 数年前、駅前の居酒屋通りを歩いていたら、見覚えのあるお店を見つけた。焼き鳥のチェーン店。成人を迎えて一年もたたない間によく通い、それきりだった。


 日が沈みかけた薄暗い時間に散歩をするのは、その頃から好きだった。知らない人の話し声をBGMに、居酒屋の生暖かい灯りを見にわざわざ外へ足を運ぶようになったのも、その頃だったと思う。でも、あのお店の通りだけは久しぶりだった。
 焼き鳥屋で最後に注文したのは長芋の鉄板焼だった。とろとろして薄味で、あまり好きじゃ無かった。これは一体何という食べ物だ、と何度か確認した。何度確認しても、長芋の鉄板焼きだった。
 注文したのは、楢崎という同級生だった。


 楢崎は小学校の同級生で、六年生を前に転校した。五年生になれば全員が自動的に同じ学校の六年生になるしかないと思っていたから、驚いたのを覚えている。
 楢崎は愉快なやつだったけど、四年生まではあまり話さなかった。楢崎とよく一緒にいた、藍田というクラスメイトが苦手だったからだ。


 楢崎は放課後になると、学校の西門を出て家に帰っていった。東門を出て家へ向かう自分とは、帰り道が絶対一緒にならない。ある時、藍田が珍しく学校を休んで、何となく西門から学校をでた。藍田は楢崎と同じで、西門から帰宅していた。西門の先には、初めて目にする建物しかなかった。すぐそばに学校があるのに、知らない場所だった。
 いつもと違う門の前で楽しんでいると、楢崎が声をかけてきた。話した内容は覚えていないのに、やたら長いこと会話をしていたのは覚えている。途中で場所を西門前から近くの公園に移し、そこから楢崎の家へ遊びにいった。


 楢崎の家は自分の家と違って、冷蔵庫に色々な料理が入っていた。冷蔵庫を開けたのはジュースを飲んでいいと言われたからだったのに、ジュースではなく唐揚げを一個もらった。食べていいか承諾を受けたか定かではないが、自分は優しい一面があったので、聞いていると思う。サランラップに包まれた唐揚げは衣が柔らかかったけれど、お店のより美味しかった。


 頻繁に遊ぶようになった楢崎の影響で藍田とも話すようになったが、相変わらず大嫌いだった。藍田にされたことを思い出すと腹が立ち、遊びの延長で藍田を泣かしたときは焦ったが、次の日に元気に話しているのを見て、また腹が立った。
 同じ日に楢崎が骨を折って病院へ行ったが、それは藍田が遊びの延長でふざけすぎたせいだった。
 藍田が先生に怒られて泣いてるのを見て、何だかどうでもよくなった。そこから藍田とより話すようになったが、三人で遊ぶことは一度も無かった。


 楢崎とは持っていたゲームが多く被ったのに、どうしてか自分の家からソフトを持っていって、それで遊んでいた。
 被っていないゲームの中で、うさぎがニンジンを食べるミニゲームだけは毎回やった。一度も勝てなかった。
 たった一度の喧嘩は、そのミニゲームが原因だった。自分に有利な設定にしたと笑った楢崎に怒ったのだと思う。なにか別の原因だった気もするけど、自分は正義感に溢れていたので、たぶんそうだった。
 加えて小学生の自分は異常な泣き虫だった。感情が揺れると泣いていて、その時も泣いた気がする。
 喧嘩したあとにもう一度ミニゲームをして、設定も公平な条件なのにまた負けた。そして、また泣いた。
 ちびまる子ちゃんのクラスメイトには前田さんというキャラクターがいるが、自分は彼女に似ていたかもしれない。言い過ぎた。それは無い。しかし気弱な前田さんと遊んでいた楢崎は、良いやつだった。


 それが暑い日で、楢崎の転校を知ったのは寒い日だった。


 クラスの誰かが転校の噂を聞いて、本人に聞いたら認めたとのことだった。小学生の噂が、だいたい親通しの繋がりによる情報だったと、あとから知った。地元の同級生の親に限っては、もう少し子どもを信用しないべきだった

 家に遊びにいったとき、楢崎はひっそりと転校をしたかったと口にした。何かしてあげたいと思っていたが、その言葉を聞いてしまったら何もできなかった。
 自分や楢崎の意に反し、クラスメイトはお別れ会をひらくことに躍起になっていた。色のついた折り紙を切って作った輪っかを繋げて飾り付けの準備をする楽しそうな知っている顔があまりに気持ち悪くて見えて、早退した。
 お別れ会も休んで、当日の出来事はあとから楢崎に聞いた。クラスからのプレゼントが嬉しくて泣きそうになったと語る楢崎は、知らない人みたいだった。


 プレゼントを渡していないのは自分だけだと知っても、特に慌てなかった。筆箱と手紙は、事前に用意していた。あとは渡すかどうかを決めるだけだった。
 結局、渡さないまま卒業式が来た。五年生の自分には退屈な午前中だった。何回も書き直した手紙は、その頃には捨てていて、筆箱は自分が使っていた。
 同級生の妹はまだ幼稚園に通っていて、卒業式に親と来ていた。なぜか自分になついて、卒業式のあとずっと遊びに付き合わされた。だいたいが軽い黄色いスコップで砂を堀るか、校庭を走るかだった。あっという間に夕方になり、同級生を含めた妹家族が戻ってきた。同級生と妹には兄がいて、その兄が六年生だった。親は校舎の中で他の親と話をしていたらしい。同級生はクラスメイトと教室で遊んでいた、と本人からその場で聞いた。こっちで良かったと思った。そいつは宮崎といい、仲良くも悪くもなかった。目立ちたがり屋で泣き虫。その迷惑さは自分と似ていたかもしれない。

 教室にかばんを取りに戻ると、机の列が乱れていた。女子と男子が数人、藍田ともう一人大嫌いなやつがいた。橋垣は居なかった。
 楢崎の机は列からはみ出ていなかった。はみ出ていたら腹が立ったかと思ったが、そんなことも無さそうだった。


 中学校は自分の通う小学校と、もうひとつ別の小学校が合わさって一学年を形成した。進学しても小学校の同級生はほとんどいたが、もうひとつの小学校の方が人数は倍以上に多かったので、乗っ取られた気分だった。
 中学生の思い出は、ほぼ全てが好きになった子でうめられている。
 楢崎の話をすることは、そこから八年間なかった。


 転校した人は成人式を、転校前と転校後、どちらでも好きな方に出席できると橋垣から聞いた。
 楢崎は、自分と同じ場所で成人式に出席していた。しかし、あちこちで聞こえる「懐かしい」と言う言葉は、楢崎に使われているわけではなかった。
 だいたいのやつとは高校で離れたため、懐かしさは誰もが誰かに感じていた。高校時代に二回ひらかれた中学の同窓会に、二回とも参加した自分でさえ、懐かしいと思うのは楢崎だけではなかった。  

 成人式のあとにはご飯屋へ向かったが、楢崎と会話はしなかった。夜にもうひとつの小学校と合流して、中学の集まりが三次会まであったが、楢崎は最初からいなかった。自分は好きな子と話す時間があまりに楽しく、それどころでは無かった。


「そうか、楢崎はいないのか」とわざと気づいたのは、二次会終わりに写真を撮ったときだった。


 十代で引っ越しをした際、小学校のものはあらかた捨てた。捨てようという確固たる意思はなかったが、次の家に持っていこうとする自分が気持ち悪くて捨ててしまった。
 捨てた中には、【二十歳の自分へ】と書かれた手紙もあった。小学校の担任が卒業間近に書こうと言い出したもので、書いた手紙はそれぞれ親が預かることになっていた。二十歳になるまで無くさない自信が無いと母親が言うので、自分で持っていたのがあだになった。
 成人式に訪れた担任が聞くと、同級生は皆それを持っていると言った。
 もう誕生日に見た、着付けで家に帰ったついでに見るつもり、実は高校の時に見ちゃったわ。
 同級生の親に限っては、もう少し子どもを信用しないべきだと思ったが、それも子どもからの絶大なる信頼に答えようとする親なりの愛情なのかもしれないと感じた。
 少なくとも同級生たちは、親が持っていると信じて疑わない、それはそれは清々しい顔だった。
 各々が口々に話し、「私、今持ってるよ」と話す女子を皆が囲んだ。女子が手紙を読み上げ、時々起こる笑い声には、楢崎の声も混じっていた。手紙を書いたのは六年生なので、その頃にはもう楢崎はこの小学校にいなかった。
 手紙が無いのは、自分と楢崎だけだった。


 成人式で連絡先を交換してから、楢崎とは毎日連絡をとっていた。お互いの近況を報告し合うと、楢崎はきまって「今度飲みに行こう」と言った。お約束が分からない年齢じゃない自分は似たような言葉を返し、今度は恐らく無いだろうと想像していた。だから楢崎が具体的な日時を提示してきたときは驚いた。転校すると知った時より驚いたし、当日はお別れ会を休んだのを思い出した。


 駅前をふらふら歩いて、入ったのがあの焼き鳥屋だった。楢崎はそこで夢を熱く語っていた。夢の内容は話さないのに、夢にたどり着くまでの過程を熱く語っていた。
「祐希は夢ないの?」と聞かれて、少しして自分に聞いているのだと気づいた。同姓に名前を呼ばれるのは、もう随分と久しぶりのことだった。
「ないかな」と言うと、楢崎は腕を伸ばしてスマホを突きだした。
「じゃあ俺と一緒にこれやらん?」
 噛んでいたハラミを飲みこむタイミングをうかがいながら、煌々と光る画面を見る。そこに映っていたのは、肩を組んだ大勢の男女だった。上の方でフットサルの文字が上下に小さく動いている。
 大勢を正面上側から撮る構図は、見る度に、百人乗っても大丈夫と頭に声を流した。
「それなに」
「フットサル。知らん?」
「それは分かるけど、フットサルをやるの?」
 男女はゼッケンこそしているが、どう見ても真剣に取り組んでいる集まりには見えなかった。
「これはフットサルやけど、他にも色々あるよ。スケボーとかゴルフとか。すみません!ビールとあー長芋のこれひとつ。いや、ふたつで」
 楢崎は赤らんだ頬で、そこからずっと一人で話していた。薄味の長芋にも飽きた頃、「お前やったら俺と一緒に夢つかめるて、そのためにもお金はあった方がいいし」と言われて、さすがに面白くて、声を出して笑った。
「俺はそういうのいいや」
「最初はそうやと思う。でも、そういう誤解を解いていくことも俺の仕事やから」
 そこでニンジンのミニゲームを思い出した。設定を変えてまで勝ちたかった楢崎は、卑怯だけど誠実だった。 
 閉店の時間がきて、お札を出そうとした手を楢崎が止めた。
「いいよ、俺払うから」
 楢崎の持つ財布は、友達が自慢して、別の友達がバカにしていたブランド物だった。自分はそのブランドを知らなかったし、悪くないと思っていた。
 楢崎は駅の方に歩き、自分はそれと反対側を向いた。背を向けてすぐ、楢崎の声が聞こえた。振り向くと、楢崎が誰かと電話をしていた。楢崎も背を向けていたので、自分が聞いているのに多分気づいていなかった。
「すみません、はい、あ、でも大丈夫です、他にもはい、いるので、はい」
 足を動かした楢崎は、自分と目が合うと、初めて目を見開いて驚いた。すぐに作った口元の笑みが、少し可哀想に見えた。
 駅と反対方向に歩き出してから、藍田に連絡をした。
「久しぶり。いきなりで悪い。聞きたいんやけどさ、楢崎と飯行ったことある?」
「あるある。あ、もしかして柳原も行った?あいつやばいよね」
 藍田と連絡をとるのは、これが初めてではなかった。昔よりは収まったけど、相変わらず嫌いだった。それでも名字で呼ばれるのは居心地がよくて、あの瞬間だけは藍田が嫌いじゃなかった気がする。

 焼き鳥屋には張り紙がしてあった。来年には閉店するらしい。名残惜しさはない。あそこでで働いている人がどうなるのかは気になる。同系列のお店へちゃんと行けるのだろうか。次のお店がこないだテレビで見た、本場のステーキを提供してくれるお店なら良いな、と少し思う。願わくば、あそこで働いている人が全員何かしらで暮らせる目処が経ってから食べたいが、あいにくお店の人の顔は知らないし、あそこも恐らくステーキ屋にはならないだろう。

 あれから他のお店で見かけると、長芋の鉄板焼きは必ず注文しているのに、未だ好みな味には出会えていない。


【二十歳の自分へ】宛てた手紙は捨ててしまったが、内容は今でも全て覚えている。そこには長芋について、何も書かれていない。