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随筆:「三人称」 〜彼・彼女への配慮〜

対話における三人称の存在

今週はちょっと変わったタイトルで記事を書き始める.一人称ならばVRだとか当事者性みたいな話を書くだろうし,二人称ならば僕自身がここ数年考えてきた対話デザインについて書くだろう.
しかし,今回は「三人称」である.三人称とは,英語ならばhe/she/it,日本語ならば彼・彼女・それなど,話している当事者以外のすべてに用いられる人称である.

私自身,今まで対話とは,二者の考え・意見のぶつかり合いとして捉えていた.つまり「私ーあなた」の二者間で成立するものだと考えていた.なので対話のデザインといえば,目の前で向き合っている「あなた」への配慮が存在すれば良いとばかり思っていた.
だがよく考えてみると,対話の中には「あの人がね...」とか「彼女の話なんだけど...」とか,三人称で語られる物語中の人や物が多く存在する.対話には「私ーあなた」の二者間への配慮だけでなく,「語りの中の三人称」への配慮が非常に重要なのではないか.以下,そんな話をまとめていくことにする.


フィルタ付加の多段性

なぜ,三人称が重要なのか.それは特に,彼・彼女の話題を出すときに顕著に現れる.具体的な場面で考えてみよう.大学近くの定食屋での夕食にて.

私「やっぱ,会話って結構難しいよね〜.聞いているようで聞いてくれてなかったとか.」
A「それで思い出したけれどそういえば,昔こんなことがあったな.」
私「ん,なにがあったの?」
A「昔,友達数人と旅行に行っていたときにね,修学旅行さながら色々恋バナとかしてたの.そのとき,僕がずーっと真剣に話していたのに,うちの友達がずーっと別のこと考えていたらしくてさ.もう一回聞いてみたら何も聞いていなくて.
私「そんなことがあったのか.そりゃ中々変わった人だな.」

これは,かつて私がAとして,同じような話を同じような調子でしてしまった場面を再現したものである.この記事を読んでいる皆さんが,「Aの友達」として描かれたこの話を聞いたときにどう思うだろうか.人の話をしっかり聞かない人,夢中になりすぎて目の前の人のことを見ない人....そんなイメージを持った方が多いのではないだろうか.

しかし実際にはその友人は気になるものを一回考えだすと止まらない性分だが,その持ち前の集中力と深い洞察を持って,様々なものづくりに取り組み,私が尊敬してやまない知識と懐の深さを持つ人なのである.
私自身がそう思っていても,おそらくAの発言からはそれが全く見えてこない.皆さんにはただの変わった集中力を持つ人,程度にしか見えなかっただろう.

目の前の人のことを話題にする場合は,「この人は本当は自分のことをわかっている」という信頼感があれば,少しきついことを言っても問題ない場面も多いだろう.そういう関係の空気が共有されているからである.
しかし「彼・彼女」を語る際は,相手方に文脈=空気が全く共有されていない.そのため彼・彼女の情報は相手にダイレクトに伝わる.語りの中身がそのまま彼・彼女のイメージを形作る.だから,三人称を語る時こそ配慮を持って良いところもしっかり伝えるような癖をつけておくのが必要なのである.

さらに,何人か伝言ゲームが行われた場合には配慮が欠ける発言に尾鰭がついていく.この節のタイトルの「フィルタ付加の多段性」とは,そういう噂や陰口の尾鰭を捉えている.陰口では良いところが目減りして伝わるフィルタがどんどんかかっていき,悪いところばかりが抽出されていく.極端に言えば「あいつの友達なんか変な奴が多いよ」と伝わってしまうのである.

そして,回り回って又聞きや側聞きで彼・彼女に伝わった時には,「そんなことを思っていたのか」と幻滅されることだろう.そんな又聞きの目減り・伝言ゲームにおける話の極性化は,頭に留めておく必要がある.


身近な彼・彼女への配慮

特に私自身がおろそかにしていたのは,身近な彼・彼女への配慮である.身近にいる人だからこそ安心感を持ってしまったのか,あるいは「本当は大切に思っている」という文脈を相手自身には伝えているつもりだったのか,三人称として彼・彼女を登場させる時に配慮を全くせずに,先のような発言をしてしまっていた.そのことを彼女に指摘+具体的なアドバイスを受けてその事実と気をつける必要性にはたと気づいた.

「親しき中にも礼儀あり」とはよくいうが,普段から関わりが深い人間だからこそ,他で話題に出す時,目の前にいる時を問わず,礼儀を重んじ,相手への配慮を欠かさずに行わなければならない.それはこれから新たな人と関わる際にも安心感に繋がるだろうし,自然と「この人はそういう陰口を叩かない人だ」と思ってもらえるだろう.


情報交換と共感:対話の両側面

ここから考えると,対話には情報交換(知識・理性)と共感(情緒・感情)の2つの側面が存在する.情報交換としての対話デザインは私自身も考えてきたし,その中で共感も一緒に引き出すことが可能だろうと考えていた.しかし共感とは,知識共有の目的だけでなく相手の印象・人間性を滲み出させる.
細かい言葉尻だという人も多いかもしれない(私自身もしっかり納得できるまではそう思っていたので人のことはいえないが...)が,そういった言葉尻こそ人が普段どういう雰囲気で自分のことを話しているのか,そういう印象が相手に伝わっていくのだろう.


語りの中で出てくる,彼・彼女という三人称への配慮.できる人から見れば当たり前なのだろうが,気をつけてみると明日からの相手への接し方,相手の接し方が少し変わるかもしれない


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