第74回金栗杯玉名ハーフマラソンのレース展開など
36歳の誕生日は熊本県玉名市の第74回金栗杯玉名ハーフマラソンへ。
1時間3分1秒で5位入賞。
10年前の玉名ハーフでは1時間3分12秒だったので、10年前の玉名の自分は撃破し、自分の中でのコースレコードは達成しました。
参加賞はバスタオルと3種類から選べるドリンクで、男子ハーフマラソンの完走者はわずか70人。
MGC並の人数で国道を走れますし、トイレやスタートもストレスフリーです。
参加料も今では珍しい3000円。
ただし日本陸連登録者しか走れず、関門もキロ4分では完走さえできないシリアスな選手達が集う九州の伝統的なロードレースを体感できるレースです。
普通の市民マラソンでは物足りない関門を突破できる実力のあるランナーに是非一度走ってみて欲しいレースです。
会場付近には1000年以上の歴史を誇る名湯「玉名温泉」があります。
豚骨ベースの「玉名ラーメン」の名店も沢山あります。今回のレース後は「玉龍」さんへ行きましたが美味しかったです。
また九州新幹線の新玉名駅が開通してから、福岡や鹿児島方面からのアクセスも格段に向上しています。
また玉名市と隣りの和水町には大河ドラマ「いだてん」のモデルになった金栗四三先生の生家や住家やお墓もあります。
レース展開を振り返ると、
序盤は安川電機の合田選手が積極的に引っ張りました。
続いてHONDAの原選手が前へ。東海大の入田選手も原選手と並走して最前列で走ります。
5km は15分6秒、5kmから10kmは15分4秒とややスローなペースのため、中間点の折り返し付近でもまだ大集団のまま推移していきました。
折り返しの下りからは勢いがつき少しペースアップ。
しかし、折り返しまでは向かい風だったこともあり、15分4秒→14分57秒という10-15kmのペースアップではほとんど集団は崩れず。
「どこまでこの大集団で行くかな」と思いつつ、誰かが飛び出したらいつでも飛び出せる脚のタメを作りながら走っていました。
すると15km過ぎあたりから、愛知製鋼の住田選手が前に出てペースアップ。
1月の大阪ハーフを61分台の7位でカバーしている実力者の揺さぶりで一気に集団がばらけます。
住田選手をトヨタ九州の河野選手がすかさず追いかけ、私も河野選手を追い、他にも数名が追ってきました。
玉名はほぼフラットなコースですが15kmから19kmの間にある2回の登り坂。
そのどちらでも住田選手はペースアップして、集団と少し差を広げます。
しかし2回のペースアップのどちらも河野選手は冷静に対応し、登りで一気に追わずに下りで力を使わずに差をつめます。
そのため、河野選手の後ろを走る私達も一緒に差をつめることで2回の揺さぶりに耐えました。
そして入賞(6位以内)ラインの6人の集団のまま19km過ぎの鹿児島本線の赤い橋のアンダーパスへ。
再び住田選手がアンダーパスの登り坂でペースアップ。
過去2回のペースアップは登ってすぐ下りだったため集団がばらけませんでした。
しかし、ここだけはアンダーパスのため、下ってから登り。集団がバラバラになります。
アンダーパスの登りを越えてからの高瀬大橋を住田選手が独走、河野選手、私、中国電力の大森選手と続きます。
高瀬大橋からの最後の下り。
余力があれば勝負所と考えていた地点。
河野選手が下りで一気に加速して、住田選手と差をつめます。
一方で15kmからの5kmが14分43にペースアップしたことで私は徐々に離され、大森選手にもかわされます。
さらに大きく右折してラスト800m過ぎで差をつけられ失速しかけた私は九電工の安田選手にもかわされます。
そしてラスト400mくらいは緩やかな登り。
安田選手にかわされてから「ヤバい」と思ってしまったためか、一気に前腿に乳酸が溜まり脚が重くなります。
ゴールは見えているのに、あと数百mなのに、800mのラスト100mのように脚が動きません。
しかし現在5位。
脚を動かせずに失速すれば、さらに後続にかわされて入賞圏外まで落ちる順位です。
長く長く感じた直線で、すぐ後ろに大勢の選手がいたら嫌なので、後ろは見ずに優勝争いをする前4人だけを見て必死に走り続け、何とか5位のままゴールしました。
記録は1時間3分1秒。
2分台をギリギリ逃してしまいましたが、大阪も丸亀も突っ込んで耐えただけだったので、久々にハーフの先頭集団でレースらしいレースをしました。
ラスト1kmで優勝した河野選手に10秒も差をつけられましたが、そんな私でも20kmからのラスト約1.1kmは3分11秒。決してペースは落ちていませんでした。
しかし脚を最後動かしきれなかったのは、ペース走+フリーの練習の時に2分40/kmを切るような昔のキレが最近は無いからだと思います。
最近は2分45/km前後が多かったので、今後はこのキレも戻していかなければいけないし、戻していけばまだまだ勝負できると思いました。
今回の10-20kmは29分39秒。
ここ数年のハーフマラソンの後半10kmの中では最速タイムでした。
大阪マラソンのように1km 3分のペースでペースメーカーに30kmまで引っ張ってもらって、そこからの10kmを玉名ハーフマラソンのように29分39秒で走れば2時間6分前後のタイムでマラソンを走れます。
そう考えるとまだまだ2時間6分台や5分台を目指して頑張れます。
そうした意味でも次に繋がるハーフマラソンとなりました。
応援をしてくださった沢山の玉名のみなさんに感謝しています。
また、コロナ禍による3年連続中止を乗り越えて復活したこの伝統ある大会で6年ぶりに先頭争いをして入賞できたことも嬉しく思っています。
力を出し切って負けたので今日のレースは大阪マラソンと違って悔いはありません。
最後勝ち切るための練習あるのみです。
36歳まだまだ進化します。
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