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忘れてしまった母方言を思い出す

昔、鈴木孝夫氏の本で、ある外国にとついだ女性が20年かそこらで母語の日本語を忘れてしまってしまってもう話せなくなったという話を読んだことがある。この女性は成人してから海外に渡ったのだろうから、そんなことがあるのだろうかと思った記憶がある。

私は海外に長期にすんだのは韓国に二年だけで、韓国語は自由に話せるようになったが、その間も休みのたびに日本に帰っていたので、日本語を忘れるという経験はなかった。その後、アメリカに何か月か滞在している間でも、英語をいくら流暢に話せるようになってもすこし複雑な話やある種の感情は英語でうまく表現できず、日本語になるとほっとすることがよくあって、やはり母語だなあ、などと思ったりした。

50代後半になってから宮古島の池間方言を調べるようになって、危機言語・危機方言の実体をみると、母語が失われていくということがどういうことかがすこしずつわかってきた。それから20年余り、池間方言の記録や維持、再生の活動をやってきた。6000語を採録した辞書もでき、字幕付きの映像も20時間近くYouTubeにあげて来たので、ひと段落したと言える。

そして、落ち着いて、よく考えてみると自分はもう母方言の岡山弁を忘れてしまっていて、話せなくなっていることにあらためて気が付いた。岡山県の玉野市で生まれて18までそだち、両親は四国の愛媛県の島の出身であるが、隣にはいとこたちが生粋の岡山弁を話す環境でそだち、玉野市内の小・中・高を卒業したから進学のため京都に行ったので、完全に母方言を習得しているはずである。

京都に行ってからは玉野市には短期で帰省するだけで、住んだことはない。高校の友達とあえば自然と岡山弁にもどるが、だんだんと疎遠になり、ほとんど話す機会を失ってからつい最近まで、岡山弁を思い出す努力をしてこなかった。つまり、鈴木孝夫氏の本にでてくる女性と同じ状況に自分はあることに気がついた。

その契機になったのがある友人に岡山弁の副助詞の「やこー」という語について聞かれたことである。この「やこー」に接続する格助詞かなにかについての質問だったような気がするが、細部は失念してしまった。そのときは「やこー」などという語は聞いたことも使ったこともない。玉野市ではなく、別の地域のことばではないか、と答えた。

後日、気になって、国語研の方言のアーカイブ作成作業をしていたI氏に頼んで岡山弁の録音データを持ってきてもらった。おそらくは、新見方言の録音データであったと思うのだが、30分ほどその録音を聞いているうちに、「やこー」が出てきて、その瞬間に「やこー」がいかに普通に使われる岡山方言の形式であるかをはっきりと思い出した。それどころか、いくらでも自然な文脈が浮かび、いくらでも例文が作れるようになってしまった。

結局、私の母方言は大人になって覚えた(えせ)関西弁や、普段講義などで使う共通語によって抑制されて、表にでてこなかっただけだったのである。それまでも泥酔すると岡山弁ぽい言葉遣いになるのでひょっとしたらとは思っていた。

そこで池間方言の調査もひと段落ついたこともあり、2年前に退職したのを機会に改めて玉野市に調査にでかけるようになった。すでに4回ほど聞き取り調査をし、2時間ほどの自然対話の録画を取らせてもらった。

そこではじめて自分の話す岡山方言を記述しはじめたのだが、いくつかの問題が生じる。岡山方言の例文は作れるし、文脈を与えることもできるのだが、親しい親戚や同級生以外とはなすときに方言にならないのである。とくに動詞の活用が関西弁ぽくなってしまい、およそ自然な岡山弁にならない。

知識と運用の乖離であるが、はからずも二重言語使用の社会言語学的な事例となってしまっている。

つまり、私は岡山方言使用を親しい人だけに限ってしまっており、それ以外の人とは岡山方言にならないのである。これは実はわたしだけの問題に限られるわけではなく、現在の岡山方言の使用状況とかかわる。また、同様の状況が日本の各地の地域方言について言えるかもしれない。地域方言の使用自体が親密な相手だけに限られてきているのかもしれない。これは敬語、特に、丁寧語の使用を伴うフォーマルな状況において方言が使用されなくなっているのが大きい。

私が調査相手に岡山方言を使えなくなっているのは私が岡山方言を忘れてしまっているだけではなく、初対面の相手とか、多少とも公的な場面での方言の使用がなくなりかけているということに起因している可能性がある。

この問題は危機言語危機方言の維持・再生にとって非常に大きな問題を含んでいると思われるので、これからじっくり考えていきたい。

興味がある方はこちらをどうぞ。

日本語言語科学特別講義 / 第150回 NINJALコロキウム「危機言語の維持・再生と公共的使用の諸問題」 | 国立国語研究所