夫婦の会話の言語学:言語学者の家庭変その2
以下は創作です。関西弁はなんちゃってです。夫は心の中では岡山弁になることがあります。
新婚夫婦の会話1981年編
妻:市場でリンゴが売ってたから買ってきたわ。
夫:(おお、動的述語の対象ガ格の使用例じゃが。こんなに自然に聞けるとは)リンゴが売ってた?そう言うの、「リンゴを売ってた」の言い間違いじゃないの?
妻:なんやの。「リンゴが売ってた」言うたらあかんの?
夫:いや、言い間違いやないんやね。そう言うんやね。
妻:なんやの。「リンゴが売ってた」は「リンゴが売ってた」やないの、ほかにどう言えいうの?
夫:いや、「リンゴを売ってた」とか「リンゴ売ってた」とか。
妻:なんやの、「リンゴが売ってた」て言うたらあかんの?
夫:いや、言うてくれたらええんやけど。
妻:「言うてくれたらええ」てどういう意味?言いたいから言うてんのやないの。どう言えて指図せんといてほしいわ。えらそうに。あんたとはもう口聞かん。
夫:(これはうっかり言葉のことはきけんなあ。もう聞かんとこ。大阪弁のこととかいろいろ聞きたいんやけどなあ。)
以後彼は彼女に対して言語に関する質問を封印する。彼女が世の中に言語学者というものが存在することを理解してくれるのはその25年後のことになる。