韓国日記3
1980年5月17日に戒厳令が拡大されて、慶州も戒厳令下に入り、日本からの旅行はできなくなった。当然、彼女たちの旅行も取りやめになる。それまでも、電話ではなんどか話し、手紙のやり取りはしていたと記憶しているのだが、知らない間に彼女が来るのを心待ちにしていたこともあり、かなりがっかりした。
戒厳令下で授業はなく、暇になったし、日本からの本も届かないから、本屋に行って本を買って読むぐらいしかすることはない。本屋の主人は綺麗なソウル弁を話すので、大学の同僚や事務員以外で慶州の街で話が通じる数少ない人の一人だった。毎日行っては世間話をし、ときどきお茶とかコーヒーを飲ませてもらった。4月からひと月半ほど、小学生向けの本を読み、ドラえもんやほかの漫画の本とかを買って読んでいるうちに、日常会話はそれほど困らなくなっていた。小学生向けの本を一日一冊のペースで読み、英語の探偵小説の韓国語翻訳版を読んでから、その次にもうこのころは普通の大衆小説を読んでいた。
当時読んでいたのは当時現代の若者を描いていた崔仁浩や歴史小説を書いていた李聲翰の作品で、3巻から5巻ぐらいの長編小説が多く、なかなか終わらなかったが、どれも非常に面白かった。ただ、当時ベストセラーになっていた別の作家の探偵小説類はあまり共感できなくて最後まで読めなかった。日本なら警察に通報すればおしまいじゃないかと思えたのだが、当時の韓国は警察と反社会勢力が裏で結び付いていると感じられていたようで、警察に通報してもなんの助けにもならなかったのかもしれない。それで、そのような筋立てになっていてもそれほど不自然ではなかったのかもしれない。このころ買ったいくつかの推理小説はその後テレビドラマになって、大変な人気を博していた(「黎明の瞳」これは歴史小説で推理小説とはいえませんが、このころ買った小説)。
大体小説も普通に読めるようになってきたので、気をよくして、いろんな人と話すようになった。韓国社会はいまでもそうだが、年齢を気にするので、まず年を聞かれ、数えで31だというと、老チョンガーじゃないかと失礼なことを言われる。当時、韓国では30過ぎで独身(本当は29歳だったのだが、韓国では数えで年を数えるので、31になる)というのは老チョンガーといわれてからかわれる。
老チョンガーというのは、韓国語だと노총각(漢字だと「老総角」と書かれる)と言うのだが、要するにオールドミスの男性版である。オールドミスは韓国語では노처녀「老処女」と言った。日本語のオールドミスは今ではほとんど廃語になっている女性差別用語かと思うが、1980年代だとまだ普通に使われた。これに対応する日本語はない。独身老青年といった雰囲気だろうか。
いつまでも、老チョンガー呼ばわりされるのもしゃくなので、実は日本に婚約者がいるんだといいわけしているうちに、なんとなく、まだ二度しかあっていない、彼女のことが婚約者のような気がしてきていた。それで、このころから、せっせと手紙を書いた。暇に任せて、一日2通書いたら、彼女はまだ働いていたので、忙しそうだったが、それでも毎日返事が来た。それでまた、2通書くという感じである。全部で200通ばかりは書いたはずである。
別にラブレタというわけでもない。それまでにお見合いの日と、送別会の日の二回しかあってないし、ほとんど突っ込んだ話をしたわけでもないので、その頃の韓国の情勢、慶州の街の様子、人々の暮らしぶり、などを書き連ねては送った。
そして、また、テレビでニュースを見たり、ドラマを見たりして韓国語になれる努力をした。ただ、ドラマは韓国文化やさまざまな前提を知らないと理解はできないし、楽しめるのは歌謡曲の番組ぐらいだった。なぜか韓国語の勉強に役立ったのは、囲碁の番組と高校生用の大学入試対策の番組だった。数学は特によくわかった。これは当然で、囲碁も数学も、内容理解に言語そのものがそれほど必要ないので、内容を理解した後でその内容に関する言語表現を聞くタイプの番組だからである。
だからといって数学も囲碁もそれ自体にもともと興味があるわけでもなかったし、ドラマや小説が楽しめるようになった方がいいのだが、ドラマも小説も、韓国の事情が分からないと理解はおぼつかないし、小説はともかく、ドラマはそれほど面白いとも感じない。そうすると、日本のことが恋しくなって、ラジオで日本の放送を聞くということになる。このころは石川さゆりが急に人気がでてきて、あっという間に何曲もヒットを飛ばしていた。韓国では日本の大衆文化は禁止されており、ドラエモンのような日本の漫画は韓国人が書いたことになっていたし、日本のアニメは日本製であることは隠されていて、大人は韓国で作ったものだと思っていた。
そうこうしているうちに光州の事態が鎮圧され、6月も中旬に入るとすこしずつ日常生活が戻ってきていた。旅行禁止令も解け、また、電話がかかってきて、母子二人で慶州に来るという。 (韓国日記4)に続く