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「おえりゃーせん」の謎ー気が付きにくい方言(活用規則編)
この記事は、恒例の松浦年男氏主催の「言語学な人々」2024年版アドベントカレンダーの12月25日用に書いた物です。
1.はじめに
「これ、方言だったのか」というのは定番のSNSのネタで、いまチラ見したポスティングで広島弁の「たう」というのが共通語では通じないというのを見た。「たう」は結構岡山でも使うと思うので、岡山県人でもこれが全国的には通じないというのを知らないという人も多いかもしれない。https://news.mynavi.jp/article/hougen-59/
今回考えたいのは、そのような語彙に関するものではなく、文法や形態論の規則に関するものである。先日、岡山大学で学生相手に講義することになり、「方言」とはなにかということを考えていた際に気が付いたことをくだぐだと書いてみたい。めんどいので言語学的な記法はあんまり使いません。論文バージョンはいつかまた別に。
ここでは学校文法の動詞終止形にあたるものを『基礎日本語文法』(益岡・田窪 くろしお出版)に従い、「基本形」と呼んでいます。
2.おえりゃーせん
この授業は言語学の授業だということで、次のような話を導入で述べることにした。
1)共通の祖先を持つ「方言」と「言語」は連続している。
2)日本語の方言というのは日本語の地域変異で、それぞれが体系を持つ。
3)体系というのは互いに関係する規則の集合である。
方言も「規則の体系」であるということを具体例で示せるものがないかなと探していたら、以下のような「謎」に思い至った。
岡山弁の代表的な表現で、「おえりゃーせん」というのがある。「ダメだ」という意味である。この「おえりゃー」の基本形「おえる」は、普通否定にしか使えず、「おえん(ダメだ」」という否定形で普通使われる。
基本形「おえる」は、話者によっては形式として可能であるが、あとに「まー(ないだろう)」などいった否定の表現が必要になる。この「まー」というのは基本形に付く場合と未然形に付く場合の二つの形が可能である。「降る」だと「降るまー」と「降らまー」の両方が可能である。「おえる」だと、基本形の「おえる」に「まー」を付けた「おえるまー(ダメだろう」より、未然形に「まー」をつけた「おえまー」の方が多く使われるようなので、「おえる」が使われるのはまれであるかもしれない。
「おえりゃーせん」は「~は しない」という「おえん」の「強調形」とでもいったもので、同じように「よみゃーせん(読みはしない)」「かきゃーせん(書きはしない)」、「とめらりゃーせん(止められはしない)」という風に「規則的に」作ることができる。
3.「おえりゃーせん」の構成
この「規則」を書き表そうとしてハタとこまった。
共通語では「読みはしない」「書きはしない」「止められはしない」は、「動詞連用形+は+し+ない」という風に分析できる。「読まない」「書かない」「止められない」を「「は」を使って、対照の意味を動詞に加える」とでもいうことができるかもしれない。
つまり「読み-は」「書きーは」「止められーは」だと動詞の活用ができないので、軽動詞として「する」をつけて、動詞の活用ができるようにしたものとでも考えるのが普通だろうか。それを否定にすれば、「読みはしない」「書きはしない」「止められはしない」の形式が出てくる。
この時は、動詞は連用形を取る。共通語であれば、「読みはする」「書きはする」「止められはする」も可能だろうし、「は」を「も」や「さえ」に置き換えることも、「する」を「しない」「している」「していた」などとすることも可能である。
翻って岡山弁で考えると、「おえりゃーする」とか「おえりゃーした」とかおよそ不可能だし、「おえりゃーせん」は慣用的な言い方だから、固定しているのだといっても、「読みゃーする」「書きゃーする」「止らりゃーする」などでもおよそ言えそうな気がしない。「読みもする」「書きもする」「止められもする」はなんとか言えそうな気もするが、「読みゃー」「書きゃー」「止らりゃー」だと「せん」としか言えないような気がする。
これはまあ「読みゃー」「書きゃー」「止らりゃー」の形がすでに融合した形式として意識され、連用形に「は」をつけた形と意識されていないということですむかもしれない。
4.「おえりゃーせん」の謎
しかし、これらも、もとは連用形に「は」がついている形だったとし、「おえりゃー」の動詞の基本形が「おえる」だとすると、連用形は「おえ」になるはずであり、連用形+「は」は「おえは」になるので、「おやーせん」とでもなってしかるべきである。
となると、なんで「おえりゃー」になるのかがわからない。母音語幹動詞の「おえる」の否定形は「おえん」で、「おえらん」ではないから、語幹にrはないのである。この「りゃー」って一体何?
これが「おる(いる)」のような、否定形が「おらん」となるr語幹動詞なら、「おりゃーせん(いはしない)」となるから問題ない。
そこで他の母音語幹動詞を見てみると、「食べりゃ―せん」「見りゃーせん」「着りゃーせん」となり、やっぱりrが現れる。となるとそもそもこの形式は「動詞連用形+は+しない」に対応しないのではないかとも思われてしまうのである。
ちなみに「する」の否定形は岡山弁では、「せぬ」から変化した「せん」なのでこれは問題ない。
「おえりゃー」の部分が謎なのである。
岡山大の講義準備をするまでは、この「謎」があること自体に思い至らなかったというわけである。
そこでいろんな説を考えてみた。
4.1 りゃーせん説
まず、安直に「りゃーせん」が固定した慣用的な動詞接辞になって動詞語幹につくという説を考えてみる。この最初のrは母音語幹動詞では残り、子音語幹動詞では消えるという説で、接辞のふるまいは構造主義言語学の伝統的な分析である。
動詞語幹+rja:+sen
これなら今まで見た形式はすべてカバーできる。
母音語幹動詞
tabe-+rja:-sen>食べりゃーせん
ki-+rja:sen>着りゃーせん
mi-+rja:sen>見りゃーせん
子音語幹動詞
kak-rja:sen>r脱落>書きゃーせん
jom-rja:sen>r脱落>読みゃーせん
この分析には乗り越えなければならないいくつかの問題がある。
まず、語幹がいくつかある動詞ではどれを語幹に取るかを決めないといけない。
「する」は、共通語だと「しはしない」とでもなる。対応する岡山弁は「しゃーせん」となるだろうか。これは不可能ではなく、もし岡山弁の「する」が子音語幹動詞で、しかもsがその語幹とすると以下のようになり、「りゃーせん」説でなんとかなる。
s-rja:sen>r脱落>しゃーせん
しかし、実際は「する」の場合岡山弁では「すりゃーせん」というのが一番普通である。「りゃーせん説」を取るなら「する」を母音語幹動詞とし、その語幹は「す」としなければならない。
これは実はそれほど無理のある案ではない。母音語幹動詞の基本形から「る」を取ったものが語幹とすると「する」を母音語幹動詞だとすると「す」が母音語幹になるからである。
ほかの母音語幹動詞と違い、「する」はこれ以外に「し」「せ」を語幹として持つ複語幹動詞であるが、基本形は「する」であるので、基本形をもとにした語幹に「りゃーせん」が付くとすればよい、
つぎにもう一つの複語幹動詞「来る」を見てみよう。
「来る」は、「くりゃーせん」となる。
共通語では「来はしない」なので連用形についている。岡山弁の対応する形式は「*きりゃーせん」となるが、この形式は不可能である。否定が続く語幹(未然形)だと、「*こりゃーせん」となるがこれも不可能である。どちらかと言えば、まだ「きゃーせん」「こやせん」の方が不自然ながらもまだましである。「き」も「こ」も母音語幹と言えなくもないので、これらが成り立つなら「りゃーせん説」は成り立たない。
ただ、「来る」の基本形から「る」を取った形は「く」なので、「来る」の語幹を「く」とすると「くりゃーせん」となり、「する」と同じように考えることができる。
このように「りゃーせん」説は荒唐無稽とも言えないので、共時的分析としてはすぐに退けるわけにはいかない。
4.2 「基本形+やーせん」説
4.1では「りゃーせん」を語幹につけるという案を見たが、基本形自体に「やーせん」をつけるという案もありえる。
つまり、「読む」「書く」「見る」「食べる」「する」「来る」にそのまま「やーせん」をつけるのである。
jomu+ja:sen>u脱落>jom-ja:sen
kaku+ja:sen>u脱落>kakja:sen
miru+ja:sen>u脱落>mirja:sen
suru+ja:sen>u脱落>surja:sen
kuru+ja:sen>u脱落>kurja:sen
この案は
い)動詞基本形に直接「やーせん」をつける
ろ)動詞基本形の母音を脱落させる
という二つの操作が必要になる。
岡山弁ではこの二つの操作が含まれる派生が存在する。それは第二意向形とでも名付けられる形式である。
岡山弁での意向形は共通語のように「たべよー」「読もー」と同じく動詞語幹にjo:をつけることで派生する。この形式は長母音で現れる場合と「食べよ」「読も」のように短母音で現れる場合があるが、基本的に共通語と同じであるといってよい。
岡山弁ではこれとは別に、「食べら―」「読まー」のような形で現れる。これを第二意向形となづけよう。
第一意向形は以下のように思考動詞の引用節に現れることができる。
腹減ったし 先に 昼ご飯を 食べよー おもとんじゃー。
こんど チョムスキーの 本を よもー おもとんじゃー。
これに対し、第二意向形は思考動詞の引用節には現れない。
腹減ったし 先に 昼ご飯を 食べらー。
*腹減ったし 先に 昼ご飯を 食べらー おもとんじゃー。
こんど チョムスキーの 本を よまー。
*こんど チョムスキーの 本を よまー おもとんじゃー。
思考動詞は通常直接引用節は取らないので、主節は引用節として取ることができない。つまり、第二意向形は主節でしか使えないと考えられる。
共時的には第二意向形は「動詞基本形」に「あー」という聞き手に対する話者の意向を表す終助詞的な形式が融合したものとみなすことができる。
「やーせん」は「あー」と同じように、動詞基本形についているとみなせるわけである。
4.3 「りゃーせん」説と「やーせん」説の比較
「りゃーせん」説と「やーせん」説のどちらがもっともらしいかを考えてみよう。共時的にはそれほど記述力の差はない。「りゃーせん」説は、複語幹を持つ「する」や「くる」の場合、なぜ基本形の語幹を選ぶのかが問題になるとする人もいるだろうが、どちらの説も基本形をもとに作っているので変わりはない。
「する」の「しゃーせん」、「来る」の「きゃーせん」の形式が可能な場合、どちらの説も一見問題がありそうである。しかし、これは、接続する形式を、「りゃーせん」の場合、ます「する」「来る」の語幹をそれぞれs、kとしてrを脱落させれば派生できる。「やーせん」の場合は、「する」「来る」の基本形を「す(su)」、「く(ku)」として、同じように、母音を脱落させれば派生できる。
「りゃーせん」の場合
s-rja:sen>r脱落>sja:sen
k-rja:sen>r脱落>kja:sen
「やーせん」の場合
su-ja:sen>u脱落>sja:sen
ku-ja:sen>u脱落>kja:sen
4.4 「ればーせん」説
ここでもう一つの説を出しておく。これは、「已然形+は+しない」説である。已然形も連用形と同じく一種の名詞化であると考えられる。これは条件形の派生とほぼ同じである。岡山弁の条件形式を見ると次のようになり、当該の形式とほぼ一致する。
たべりゃーえー
くりゃーえー
かきゃーえー
よみゃーえー
すりゃーえー
くりゃーえー
この説は、条件形がもともと「已然形+は」から生じたとすると「りゃーせん」「やーせん」とそれほど違いがないとも言える。
5.通時的考察
共時的にはどの説が正しいか決められないとなると、通時的な考察が必要になる。私の日本語史の知識ではまともな通時的考察などできないので、妄想に近い考察をしてみる。
これまで次の4つの説を見た。
1)共通語 「動詞連用形+は+し+ない」
2)岡山弁1 「動詞語幹+りゃー+せ+ん」
3)岡山弁2 「動詞基本形+あ+せ+ん」
4)岡山弁3 「動詞已然形+は+せ+ん」
まず、連用形に「は」をつける形式はrの出現を説明できない。つまり(1)の共通語をもとに音韻変化で岡山弁の形式を記述することはできない。
次に(2)の岡山弁1は、岡山弁の形式の記述はできるが、なぜ「りゃーせん」が生じたのかに対する説明はない。
このうち、形式として一番無理がないのは(4)である。岡山弁の条件節はこの当該形式と一致するからである。ただ、この形式がなぜ問題となる意味を持つのかは説明できない。
というわけで、(3)の岡山弁2を採用して、この分析から岡山弁の形式を音韻論的に導出することを試みる。
5.1 「動詞基本形+あ+せ+ん」
5.1.1 「は」はaであること
「は」が岡山弁でwaで現れるかどうかは結構微妙である。だいたい短母音で終わる名詞につく場合は、母音が「あ」の場合は融合して長母音化し、あとは母音を落とし融合するのが普通である。
さか>さかー(坂は)
わし>わしゃー(わしは)
まく>まかー(幕は)
これ>こりゃー(これは)
ここ>こかー(ここは)
「は」が共通語のように「わ」を発音されるのは長母音の後に来るときだけである。
レンタカー>レンタカーわ
キー>きーわ
ルー>ルーわ
おめー>おめーわ
さとー>さとーわ
つまり
「は」がつく語が
短母音で終わる場合 a
長母音で終わる場合 wa
とすることができる。とすると、基本的な形式(基底)では、aとして語末が短母音の場合、語末母音と融合して以下のようになり、語末が長母音の場合は母音連続を避けてwがはいる
語末の母音が短母音の場合、母音融合が起きる
i, e のばあい i+a, e+a>ja:
aの場合 a: a+a>a:
u, oの場合、母音を削除して、 u+a, o+a> a:
語末が長母音の場合、wを挿入する
a:+a> a:wa
i:+a>i:wa
u:+a>u:wa
, e:+a>e:wa
o +a>o:wa
これらは男性の場合の規則で、女性の場合はすべて「わ」をつける。ただ、i,eに関しては女性でも文脈によっては「わたしゃー」「こりゃー」となる場合もありそうである。
5.1.2 「動詞基本形+あ+せ+ん」はどうなるー融合か分離か
動詞基本形はuで終わる。これにaをつけると5.1.2の規則なら、次のようになる。これは母音を融合することになる。
u+a>a:
そうすると第二意向形と同じ形になるはずである。これは実際の形ではない。
食べらー せん
読まー せん
さて、この時、融合ではなく動詞基本形語末のuと提題のaとを間を区切る必要があるとする。これは母音連続を避けるためか、形態的に区切る(意味論的?)必要があるかどちらかは問わないとする。この場合、挿入する子音は、jかwである。wはuとの音声的類似性から適当ではないとするとjが挿入される。
taberu+a>jの挿入>taberuja>uの脱落>taberja>代償延長>taberja:
このあと、第二意向形の場合のように、発音上の理由から、子音間のuが脱落し、さらに代償延長(compensatory lengthening)でaが長母音化する。
類似の音韻変化は宮古池間方言でも生じており、よくある変化ではないかと思われる。
以上の音韻変化がどれくらい根拠が高いのはよくわからないがこのように考えると、岡山弁の「おえりゃ―せん」の形がそれなりに記述できるのではないかと思う。というわけで暫定的にこの説をとっておく。
6.まとめ
岡山弁の「おえりゃーせん」は共通語の「~は しない」に当たる構造をしているが共通語のように「動詞連用形+は+しない」のように考えると、なぜ「おやーせん」にならないのか説明できない。
「おえりゃーせん」は「動詞基本形(おえる)+は+せん」から構成できる。
岡山弁では提題形式の基本的な形は「あ」であると仮定する。
基本形の語尾uとaの間にjが挿入され、uが脱落し、aがja:となる変化が起きている。
これにより「おえりゃーせん」の形ができたと考えられる。