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あるMicrosoft MVPが12年の独立を終えて、AWSで有名なKAGへキャリアシフトした話。

はじめに。

はじめましての方ははじめまして、そうでない方はこんにちは。
コミュニティでは蜜葉 優 と名乗ってます、泉本です。

この度12年続けたフリーランスをやめて、KDDIアジャイル開発センターに入社しました。

あまり自身が管理していないメディアプラットフォームにエントリーを残すことはしないのですが、ぜひ入社エントリー書いてほしい!と社内からオーダーをいただいたので、筆を取ることにしました。

自分の人生を思い出しながらつらつらと書いていくと思ったより長くなってしまったのですが、お付き合いいただければ幸いです。


自己紹介として。

改めて、KDDIアジャイル開発センター、所謂KAGの泉本です。ポジションとしてはスクラムマスターでジョインしました。

入社エントリーということで、まずは生い立ちとキャリアの話を自己紹介にしようかなと。

コンピューターとの出会い。

はじめてコンピューターに出会ったのは小学校3年生ぐらいの調べ物学習でWindows 98でした。図鑑や本がなかった家だったので、「このでかい箱、ローマ字を覚えればなんでも調べられる!すごい!」と当時衝撃だったことを覚えています。
そのまますぐに欲しい!買って!と両親におねだりしたもののそんなよく分からないものを…と聞いてもらえず、「10万円貯めたら買ってあげる」と言われ、中学入学と同時に貯めた10万円を叩きつけてデスクトップのWindows Meを買った記憶があります。

はじめての自分のパソコン


ネットサーフィンをしているうちに、「ああ、自分はコンピューターを仕事にするんだろうなぁ」と決めて、高校から情報処理科の道に進みました。

高校ではアルゴリズム基礎だったりLAMP環境でのWeb開発、画像処理やメディア系まで授業があり、とても楽しかったのを覚えています。
加えて、自身が入学したタイミングで文科省ICTスクール研究指定校に認定されていました。IPA未踏ソフトウェア創造事業のユース候補生を探す「文科省ICTスクール」に参加し、和田健之介先生(現長浜バイオ大学 教授)や竹内郁雄(現一般社団法人未踏 代表理事)と出会い、多くご指導いただいたこともありました。

当時開発していた
パズル化したARマーカー「あ」を組み立てるとアヒルの3Dモデルが動くARアプリ

大学時代からコミュニティとお仕事を。

大学進学後、ひょんなことから出会った技術コミュニティ「silverlightを囲む会」に参加、運営を一緒にすることになりました。当時学生がコミュニティに参加することが珍しかったみたいで(関西だったりMicrosoft系だったりしたせいかもだけど。)皆さんとても良くしてくれました。

コミュニティを続ける中でできたつながりから、雑誌投稿や書籍執筆をしたり、

デザインコンサルティングファームのsoftdevice inc.やプロダクト開発のFenrir Inc.、ISPのIIJで経験を積みました。あとSNSのmixiにも少しだけかかわらせてもらいました。

フリーランスしたり社長したり。

ほんのすこしだけ(10ヶ月程度…)会社員をしたあと、デザインと開発とインフラができるフルスタックエンジニアのフリーランスへ。

たまたま日本で一番最初にMicrosoft HoloLensを手に入れたこともあって、日本最大のHoloLensコミュニティ「HoloMagicians」を立ち上げたり、

自分の人生のなかで1回ぐらいは…の気持ちで会社を立ち上げて、開発支援や新規事業支援、新規組織立ち上げ支援をしてきました。

お陰でMSMVPを13年続けて受賞させていただいています。


主義

自身の主義として
「作りたいものの70点は1人でも作れる。でも、100点を目指すならプロフェッショナルと作る。
だからプロフェッショナルのプロフェッショナル領域を120%引き出せる人になりたい。でもそのためにはプロフェッショナルに協業してもらえる人にならないといけない。だから全レイヤーで70点を取れる人になろう。」を掲げています。
(世の中の実態としてプロフェッショナルは特化型ジェネラリストではあるものの…)

契約からコンサルタント、見積もりからデザイン、開発から会計まで全部を自身でやってきた経験は強みです。スキルセットも良く言えばおそらくジェネラリストと呼ばれるだけのことをやってきたつもりです。

でも、悪く言えば器用貧乏です。とはいえ、それで良いと思っています。
外れてもいい、何かを聞かれた時に何かしらたたき台になる解を持っている振る舞いをしよう、が大事だと思っています。

どれだけ技術をやってきても、結局は人。

長くなりましたが、さて本題。
「あるMicrosoft MVPが独立して12年経って、AWSで有名なKAGへキャリアシフトした話。」とキャッチーなタイトルをそろそろ回収しなきゃですね。

そんな風に生きてきて、いろんなコミュニティ、いろんな案件、いろんな開発を通して行き着いたのは、結局は人ってことです。

どれだけ早いスピードでどれだけ技術が発展しても、結局その技術を扱うのは人です。
時代はDXだ生成AIだと話題になりますが、思っている以上にITを使いこなせる人は少ないし、そもそも知らないし、なんなら振り回される人が大半だと思っています。

それでもITを求められるのが今の時代です。
であれば、「人が作りたいものを作れるようにすること」が大事で、技術的プラットフォームやベンダーの得手不得手、好き嫌い、大人の事情は二の次です。

KAGはAWS SummitのスポンサーであったりJAWSのサポーターであったりで、AWSコミュニティでは知名度のある会社だと思っています。穿った見方をすれば、MSMVPのエンジニアがなぜAWSのKAGに?となるのは想像に容易いです。でも先に書いた通り、自身にとって技術プラットフォームの競合は関係がありません。技術なんて作りたいものが作れればそれでよいのです。

だからKAG。

フリーランスは個人です。契約の上では結局企業対個人になります。案件を遂行する上でどれだけ現場でチームビルディングをしても、文化にまではアプローチできません。
であれば、企業対企業として契約を結びながらも、熱量とアジリティを持ってOne Teamでプロダクトの価値を届けながら、マインドと文化までを業務範囲にできるのはこのKAGだ!と行き着きました。

実際に3ヶ月働いてみて。

御縁を頂いて今このエントリーを書いていますが、技術で生きてきたフリーランスのエンジニアから文化を見るチームのスクラムマスターへのキャリアシフトは正直難しく大変で必死です。今更会社でやっていけるのかな、という不安があったことも事実です。

でも入社初日からとてもあたたかく迎えていただき、且つエンジニア、デザイナー、バックオフィス共にとても強いメンバーばかりなのに驚きました。また、入社後に知ったのですが会社としてはまだまだ3年目で、組織体制もよりよくしていこうという気概を強く感じます。

学びも多く支えてくれる仲間がいるこの組織がとてもスキです。
(正直こう思える自分自身に安心を感じたりもしました)

そんな熱量の高い仲間がより多く隣に居てくれれば、こんなに心強いことはないです。月並みですが興味があればぜひこちらから。あるいは私にでもこっそりお声がけください。


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