映画「おんなのこきらい」感想 ークズ男考ー
2015年02月14日公開の「おんなのこきらい」という映画を観た。映画を見るのは好きだが映像を長時間集中して見続けることが苦手で、この映画もだらだらと3か月くらいかけてやっと観終えた。
映画のストーリーをざっくりと説明すると、キリコという女性が主人公のお話。キリコは「男に好かれて女に嫌われる女」を具現化したような女性で、ストレスが溜まると過食嘔吐をする。ある日仕事相手である幸太に対していつものように媚びた態度をとるものの、全く良い反応をしてくれないため「フッ、おもしれー男...…」とばかりに惹かれていく。と同時にセフレ?
?(彼氏だったかも)のユウトとの関係は同類のあざと女の登場によりぎくしゃくしていく……。という映画。
この映画を知ったきっかけは摂食障害について調べていたことだ。私が行った図書館には、日本における摂食障害の具体的な事例を詳しく扱った書籍が少なく、海外でのケースばかりが挙げられていた。現代日本の社会におけるケースが映画というフィクションの中でどう描かれているのか、またそれを見た人間がどう受け取るのか知りたくこの映画を観ることにした。残念ながら本作において過食は主要なテーマではなかったようだが、作品世界を構成する重要なパーツではあったと思う。
キリコの特異性は、なんといっても「可愛さ」だけで生きています!というポーズを取っていること、これに尽きると思う。ノースリーブにミニ丈のボトムスという「可愛い」服を着て、大きな目と長い髪というアイコニックなヴィジュアルに寒気がするほどの媚びた態度。「平成の可愛い女」を描かせたらきっとこんな風になるんだろうなと思う。一方でそれが地ではなくあくまで「ポーズ」でしかないことは、職場で同性から嫌味を言われたときのとげのある態度、大きくて実用性のある鞄を常に持っていること、地味な私室などから透けて見える。
さて、この先が本記事の「クズ男考」というサブタイトルに直接かかわってくるのだが、話の性質上映画の核心に触れるネタバレを避けられないので、ネタバレが嫌な方はブラウザバックをお願いしたい。(もしくは作品を鑑賞してから後日読んでいただけると嬉しい。)
本作に登場する男性陣の中でクズと言えばユウトの名が真っ先に上がるのではないかと思う。キリコに対してはっきりとした態度を取らないまま同じコミュニティ内の別の女性と関係を持ち、キリコとさおりが職場でバトルするきっかけを作った男だ。もっとうまくやれよ。そのほか、キリコの職場の後輩の女の子と交際をしておきながら傷心のキリコに付け込んだ田辺もまあクズの範疇に入ると思う。
しかし、私がいちばん嫌な奴だと感じたのは高山幸太だ。優しくて、自分の作品作りに対する信念を抱いており、キリコに対して真剣に向き合っている。そして、これが今作の個人的な注目ポイントなのだが乗っている車がめちゃくちゃかわいい。1シーンでしか登場していなかったため細部までみることはできなかったが、フォルクスワーゲンのワーゲンバスに似た、パステルカラーのかわいらしいカラーリングのワゴンに乗っていた。私は自動車というものをなぜあんな情趣のないものが街中にあるのかという怒りを覚えるほど嫌っているのだが、本当によいデザインだった。乗りたい。本題に戻る。ユウトに拒絶されて自暴自棄になっていたキリコの自宅を訪れ、散らかった部屋や散乱した食べ物の包装に引く様子も見せず、嘔吐するキリコを看病する高山は本当に優しい人なのだと思った。このまま精神が不安定ぎみなキリコのことを「理解ある彼くん」として支えていく……というくだらないハッピーエンドが待っているのだろうかと一瞬思ってしまった。しかしまあ実際のところ高山は既婚者で、妻とキリコと3人で鍋を囲もうとする。馬鹿か。手に余るとわかっているんだったら手を差し出さないことが優しさなんじゃないだろうか。いったん手を差し伸べておいて最後の最後で拒絶するこの男を、わたしは許せないと思った。
結論:全員クズ、他人に依存して生きてくのはサステイナブルではないので自立したい。