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自分がプロになって、どれだけ貢献できるか
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「自分のため、を突き抜けていくと、それが結果他人のためになる」
「自分がプロになって、どれだけ貢献できるか」**
かっこいいなぁって素直に思った。
今日の登壇者は、グッドクルーの野村さん。
ライフログを使って、人生を記録している、結構珍しい人だと思う。
野村さんはこんなことも言われていた。
「"誰か、人のために"っていう人は、どこかで自分に妥協している。自分のために働いてれば、それが結果、いつか他人のためになる。」
そう思って周りを見渡せば、他人に貢献する働き方ができている大人の人って、
「とことん自分のために働いてきた時期」
を経た人が多い気がする。
だがここで、自分自身を客観視してみると、一つ疑問が浮かんできた。
それは、
私は、最初から「他人のために」働きたいような気がしている。
この気持ちは本当だが、
さっきの話からすると、やはり私も自覚していないだけで「自分にどこかで妥協している」のだろうか。。?
私のビジョンが「自分らしく生きる人を増やしたい」で、
なりたい社会人像が「GIVER」である。
ギバーを掲げたのは、
・自分らしく生きられるようになるきっかけを誰かに与えたいから
・死ぬときに得られなかったことよりも、与えられなかったことに対する後悔が大きいと思うから
この二つが理由。
ただ、私なりの解釈としては、
私は今までの人生、とにかく自分のために、自分らしく生きてきて、本当に満足している。
自分のためだけに一生懸命だったこの時期があったから、今、ベクトルが他人に向いたのかな、と思ったが、どうなんだろう?
やはり綺麗事なんだろうか、、
モヤモヤしすぎたので、野村さんに聞いてみた。
すると、こんな返事が帰ってきた。
さて、単刀直入に言うと、決して綺麗事ではないと思いますよ。
たぶんだけど、文章を読んでいて思うのは、「中谷さんもきっと自分の為を追求しているな」ってこと。
なぜかっていうと、ギバーを掲げた理由の表現が、「与えたいから」「思うから」ってなってますよね。
ってことは、誰かの為に、何かの為に進んでいるとはいえ、自分で決めたことに対して本気で向かっている自分がそこにいるわけですよ。
だから、結果的に誰かや何かにベクトルが向いているんだけど、その根底には「自分の為」というのがいるはず。
※ここは内省してみて欲しいところ!
この文を読んですごく納得できた。
切り取る箇所で、一見他人にベクトルが向いているように見えるけれど、奥にあるものをちゃんと見ていくと、
自分にベクトルが向いていることがわかった。
そもそも私が、「自分らしく生きる人を増やしたい」理由が、
・同調圧力の中で、自分の人生の判断軸になっている日本人が多すぎる
・「日本の社会の現状」に違和感を抱いていて、その中で自分が生きていくのが生きづらいから
・自分が自分らしく生きられるようになってから、人生が変わった経験があり、それから、もっと自分のように、自分らしく生きる人が増えればみんなが楽しく、そういう世界が広がるから
でもこれも、こういう世界を実現したいのは、私「が」やりたいことで、周りにいる人が楽しく生きれれば、自分も楽しいから。
自分にベクトルが向いてることに気づけてホッとしている自分がいた。
これって、自分の中で
「他人にベクトルが向いている!」
と言い切ることに対して、どこかに小さなモヤモヤがあったんだと思う。
相談してよかった。とってもスッキリした。
こんな私にわざわざ時間をかけて、丁寧に返事をしてくださった野村さんには、頭が上がらない。
私も社会人になったら、今の自分のように困っている学生の相談に乗ってあげられるような大人になりたい。