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コーチングを受けて
みなさん、「コーチング」を受けたことはありますか?
「コーチング」って、普段聞かない言葉だし、私も就活するまで聞いたことありませんでした。
一度出会って以来、何度か受けさせていただいたことがあるのですが、今回はトビタテのコミュニティで出会った方にコーチングをお願いしました。
「コーチングについてどういう認識ですか?」
と聞かれて、
「壁打ち」と答えました。
この私が持っているイメージは割と外れてはいなかったみたいです。
私は、「人に話すことで自分が言語化されていく」という感覚を最近すごく感じています。
アウトプットを上手に自分自身でできる人ももちろんいると思うけど、私はそうじゃない。
だから人に話すことを最近よくしている。
そして早速コーチングに入っていって、だんだんと話が進んでいった。
ここ2ヶ月ぐらい、自己分析ばっかりやってたから
自分のことは前に比べるとだんだん理解できて、話せるようになってきていた。
聞かれたことに対してちゃんとエピソードを織り混ぜて話せるし、話に詰まることも減った。
だけど唯一私がどうしても苦手とする質問があって。
それは
「自己PRをしてください」と、「学生時代に頑張ったことはなんですか?」
この二つ。
聞かれて、だんだんと深堀りしていってもらえる「会話」のなかで自分のことを話すのは得意だけど、
いきなり白紙の状態で投げかけられるこの問いは本当に言葉が出てこない。
自分のことはある程度分かってはきているけど、
・何をどこから話したらいいのか
・何を話すべきなのか
・「どう話したら伝わるのか」
がわからなくて言葉に詰まる。
でもこれを素直に伝えたら、
「なんでそんなに難しく考えてしまうのでしょう?」
って言われて、
「ちゃんと”私”っていうものを伝えたいからです」
って答えた。
そしたら、
「あくまで私の気づきですが、ユーキさんは”伝える”ということをすごく大切にしているように感じます。」
って言われて。
正直、最初はパッとしなくて、そうなんかな〜〜ってぐらいに思ってた。
だけど、話を進めていったり、過去を振り返ったりしてみると、意外と「コミュニケーション」の点で、通じるものが見えてきた。
私は大学というタイミングで、自分自身が大きく変わったなって思う。
これは、こないだ面談してくれた人に、「私の小学生〜大学生までの出来事をただただ1時間ひたすら話す」ことで見えてきたもの。
「中谷さんの映画を撮るとします。それぞれ年代ごとにタイトルをつけてください。」
って言われて、こうなった。
小学校「出る杭は打たれる」
中学校「光と闇」
高校 「静」
大学 「革命」
、、、笑 解説すると
小学生時代、壱岐っていう小さーい島で育った前半は、運動神経が良かったからまぁステータスあって。
3年生の時に長崎市内に引っ越してきたんだけど、1学年2クラス→6クラス規模の大きな学校に転校。
でも運動神経だけは自信があって、テストも普通に良かったからはぶられずには済んだ。
んだけど、仲良くしてた友達から意地悪されるようになって、(今考えればちょっとした意地悪程度だけど)
でも本格的だったわけじゃないし、私もその子と一緒にいたからそのままズルズル行ってて、結局、人間関係のこじらせは完全になくなることはないまま小学生を終えた。
正直、女の子より男の子といた方が楽で気が合ってたけど、当時の私には「ずっと男子といる」って選択はできなかった。
中学校に上がると、また別問題で別の女の子と色々あり(笑)
でも、それ以外は充実してたし、生徒会もやり、体育委員もして、部活も打ち込んでて、いい先輩といい後輩に恵まれてた。
唯一嫌な思い出といえばまたこの「人間関係」だけ。
高校に上がるときの進路選択は、あえて隣の市の学校を選んだ。
同じ中学校からその高校に行くのは私だけ。
「みんなと同じ」っていうのが昔から嫌いで、私なりの「小さな反抗」だったんだろう。
高校に上がってからは、友達も1人としていないし、全員がはじめまして。
でも、コミュニケーション能力はあったので、すぐ友達ができた。
(普通校を見下すつもりは全くないんだけど)
進学校に行って良かったなって思った。
みんな常識があって、頭もいい人たちで、居心地が良かった。
ちょっとしたイザコザはあったけど、高校生活は今までの自分の人生で「最も落ち着いていた」瞬間だったかなぁ。
小、中学校時代、人間関係でしか揉めてこなかったから新鮮だった。
そう、振り返ってみると、
小〜高校までのサブタイトルは、「人間関係」にもとづいている
ってことに気づいた。
そして大学は「革命」
自分が本当に変わったなって、自分で感じたぐらいだったから。
変わるきっかけとなった出来事は大きく分けて3つあって
「一人暮らし」「インドネシア留学」「ひよりとの出会い」
この3つ。
「一人暮らし」で「自由」を学んだ。
正直自分は結構大事に育てられてきて、「過保護」に育った部分もあったんだなって思った。
1人じゃ何にもできなくて、1人で寝たことすらないし、こんなに親から離れたことなくて、いかに自分が自立してないかを自覚した瞬間だった。
でもそれと同時に「自由」を手に入れて、今まで自分でやってこなかったこと、親に言ったら心配するが故に制限がかかってたこと
とかができるようになった。
「インドネシア留学」では、自分を客観視したとき、「井の中の蛙」だってことを学んだ。
初めて海外に飛び込んでみて、価値観が全て崩れた。
今まで運動もスポーツもそれなりに得意で、高校も大学も受験で苦労することなくスーって来てて、調子に乗ってた
「自分は今までなんてちっぽけな世界で生きていたんだ」ってのが正直な思いで、恥ずかしくなった。
今までプライドが結構高かった自分が、捨てるようになったきっかけはここだな。
ここから、「自分はちっちゃい人間だ」ってことを自覚して、プライドとか見栄を捨てて、素直に生きれるようになり始めた。
そして一番影響がでかかったのが「ひよりとの出会い」
ひよりからはたくさんもらった。ひよりは「あげた」感覚はちっともなさそうだけど(笑)
あえて絞るならこの二つかな、
・自分らしさ
・「伝える」ことの重要性
うちは、ひよりに会うまで、こんなに自分らしく、自分を愛して生きている人に出会ったことがなかった。
自分の心に素直になって、それで意思決定をする。
周りに流されないし、気にしない。「自分軸」でちゃんと判断、行動できる人。
それとは対照的に、自分は「人と同じは嫌だ」って違和感を持ってはいたものの、自分の声に素直にはなれずに、結局周りを気にして生きてきた。
自分の中にある「違和感」を常に持ち続けて、解放せずにずっと溜めてたんだからそりゃきついし色々うまくいかないでしょう。
他人の目を気にして、怖かったのかもしれない。
今じゃまるっきり違う自分になってるから、当時の考えは正直はっきりとはわからない。
「伝えることの重要性」については、
私たちはダンス部で出会ったんだけど、3人でチームを組んで活動してた。
女子の3人っていうと、普通ならまぁ難しい。
正直、私たちにも何もなかったわけじゃない。
だけど、この3人は本当に心から親友だと思う。こうなれたのは、間違い無くひよりがいたから。
私は、コミュニケーションを撮るのは得意だと思っていたけど、それは「一番初めの段階」でのみだと今は思う。
話しかけるのにビビらないだけで、コミュニケーション能力に優れているかと言われると、そうじゃない。
ひよりは人見知りだけど、コミュニケーションは上手。
私は、周りを気にして、伺いながらコミュニケーションをとってきたから
逃げたり、正面から向き合わなかったり、相手がそれでいいならいいやって、「伝える」ことをしてこなかった。
だけどひよりは「ちゃんと向き合って伝える」ことをしていた。
これは「シンプルな思いやり」だと思う。
私にとっての「思いやり」は、自分は我慢することもあるし、自分にも周りにも見て見ぬ振りを結構してきたと思う。
自分が思いやりって思って接していたことが、間違った認識だったのかもしれない。
本当の思いやりは、「向き合って伝える」ことだ。
ひよりにはそれを教えてもらった。
結局、人間関係のこじらせをズルズルと引き延ばしてきてたのは自分自身だったと思う。
これに気付けたなぁ
人間関係においての「ちゃんとしたコミュニケーションの取り方」をひよりから学んだ私は、
これを起点に、人生すべてがうまく行き始める。
今まで私の周りを取り囲んでいた「人間関係のこじらせ」をなくすと、
一気に他のものが進み始めた。
「伝える」ということは自分に素直になることで、
そうなると、やりたいこととか、自分の感情に向き合うようになった。
邪魔なものがなくなって、やりたいことだけに集中できるような、そんな感覚。
他のものを整理したから、一番大事にしたいもの「自分らしさ」が残ったんだろう。
なんか、ミニマリストの考え方と似ている。
ちなみに私はミニマリストに憧れていて、実際すごく物が少ない。
こういう、何もつながりがなさそうなことでの、ふと繋がったりするから面白い。
うん、今日はコーチングをして
「伝えること」に自分がどう思っていたのか、実際どれだけ救われてきていたのか
がわかって本当によかった。
コーチングをして、損する人っていないと思うなぁ
と思いました。
久しぶりこんな時間まで起きてました。(笑)
おやすみなさい〜