美大小論文(多摩美)を教えて①〜心がけ編〜
美大出身者ではないのだけれども、
これまでの創作経験や全国規模の小論文や感想文コンクールに自身が入賞、あるいは教え子が入賞した経験を生かして、
美大受験のための小論文を教えている。
正解のないものを考える、という意味では、
なかなか親和性が高いのではないか。
美大小論文にも、専攻によって傾向がガラリと異なる諸々があるのだけれども、
まずは多摩美国語の第3問の小論文について、
これから少しずつ文章にしてみようと思う。
小論文というと、
形式や構成を第一に意識すると思うのだけれども、多摩美の美大小論文は、究極のところ、
感動する心を持つことに勝るものはないと思う。
というと、
何か抽象的な精神論に突き進んでしまいそうな
感じがする。
しかし、受験のための作品ではない、自由な創作の根源は、インスピレーションだ。
多摩美の小論文は、
近年出題された文房具やじゃんけんの問題で知られるように、
誰でも知っている身近な物事について答えさせる。
受験のための小論文というと、
いかんせんかしこまってしまう。
しかし、評価を意識し過ぎた文章は、
カチコチに緊張した就活生の面接のように、
「あなた」が見えてこない。
「あなた」が見たい、
これは大学側の求めていることだ。
その証拠に、
近年のあの短い問題文の中に、「あなた」というワードが2回も登場する。
自分を大きく、賢そうに見せなくてもいい。
硬い文章を柔らかく。
予備校の講評や立ち位置に気を取られていると、
創作の根源を忘れてしまう。
ときどき思い出して、意識して欲しい。