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今日、私は35歳になった。
当たり前のようにやってくる誕生日。しかし、子どもの頃に思い描いていた35歳像とはまるで違う。まだまだ未熟で迷いが多く、時に立ち止まり、考え、また進む。そんな繰り返しだ。
1990年、宮崎県の海沿いの町で生まれ育った。18歳で大阪に進学し、その後東京に移った。20代は広告代理店で働き、仕事漬けの日々。30歳を目前にして、一念発起して独立した。コンサルティング会社を立ち上げ、いくつかのプロジェクトを成功させたが、成功とはいえない部分も多かった。
そして今年、思い切って長野県の山間部へと移住した。自然に囲まれた生活を選んだ理由はシンプル。東京のペースについていけなくなったからだ。毎朝満員電車に揺られ、競争の渦に飲み込まれる生活はもう限界だった。移住先では、地元の人々と一緒に、小さな町工場の再生プロジェクトを手がけている。手作りの家具や工芸品を通じて、この地域に新しい風を吹き込もうとしている最中だ。
平日は山々に囲まれた工場で作業し、週末には畑を耕す。朝の空気は清々しく、夜には星空が広がる。これまで都会で生きてきた身には信じられないほどの静けさだ。週に一度だけ、仕事の打ち合わせで東京に戻る。都会の刺激はまだ少し恋しいけれど、長野に戻るとホッとする。今ではヤギの世話や薪割りが日課になりつつある。
言うなれば、私は「山へ登った」のだ。これまでの人生はどちらかというと「平地を走る」ようなものだったが、ここにきて急激な「登り」を経験している。都市の喧騒から離れ、山間部での新しい挑戦をしているのだ。この生活には大きな発見がある。都市での競争や効率化の波とは違うリズムで過ごせる自由。資本主義のヒエラルキーから少し距離を置いて、自分だけの「個の景色」を作っていく感覚だ。
都会での生活は確かに便利で魅力的だ。だが、競争の中で失ったものも多い。効率化の名のもとに、時間や心のゆとりがどれだけ奪われたか。人との繋がりもまた、利益優先の中で薄れていった。地方では人と人との繋がりが濃く、直接的だ。お互いの顔を見て話し、支え合う関係が日常に根付いている。それが私には心地よい。
ここでの暮らしは決して「ユートピア」ではない。便利さや快適さを犠牲にしている面も多い。だが、それ以上に豊かさを感じている。薪を割る時間、ヤギと過ごす時間、地元の人たちとお茶を飲む時間――それらが私の人生に新しい彩りを加えている。
資本主義の波から少し外れたところで生きるのは、今の私にとって最適な選択だと感じている。都会での「登り」には意味がある。それを否定するつもりは全くない。だが、時には「登り」から降りて、新たな地平を見つけることもまた人生の醍醐味ではないだろうか。
まだまだ模索中ではあるが、この山間部での生活を通じて、多様な可能性を見つけていきたい。そして、同じように人生のリズムを変えたいと考える人々に少しでも勇気を与えられる存在でありたいと思っている。