仕事への正義感がなくったって、考え方を変えれば長所にもなる

私は昔から、何かに熱中するとか、確固たる自分の考えを持っているだとか、そういう経験があまりない。頑固だとはよく言われるけれど、それは自分がやると決めたことに対してこだわるだけで、日々何かに熱を持って生きてはいない。

学生時代はこれでもよかった。でも、社会人になったら、仕事にも趣味にも熱を持てない私は「つまらない人間」なのだと思わされた。

新卒で入った新聞社で、同僚の新聞記者たちは熱を持って仕事をしていた。新聞記者って大概、「ゆくゆくは社会部で○○の取材をしたい!」とか「政治家の○○さんに○○について取材してみたい!」とかやりたいことが明確にあって、正義感のもとに仕事に臨んでいる(人が多いと思っている)。あるベテラン記者からは、「自分の中の正義感がないと、こんなつらい仕事やってらんないよ」とも言われた。

でも私は将来的にやりたいと思う確固たるものもなければ、正義感もなかった。「何がやりたいの?」と聞かれれば頭を抱えた。

仕事自体は本当に楽しかった。そりゃ記者だからつらい仕事もあるけれど、自分の人生では関わることのない、いろんな人に話を聞けるなんて、記者の仕事の醍醐味だ。地元の人の声を拾って、考えを聞いて、それを伝えられるのが幸せだった。でも、その楽しさだけで仕事をしてちゃいけないのかなぁ…と悩んでいた。

そんなとき、先輩からこんなことを言われた。

「正義感やこだわりがないって、逆に言えば何にでも興味を持てるってこと。むしろそういうフラットな方が記者には向いてるんじゃないかな」

この言葉が、私の悩みをすっと溶かしてくれた。あ、私のようなタイプが記者やってていいんだ、と。

聞けば、先輩のお父様も記者をやっていて、私と同じようなタイプだったそう。それを見ていて、私にかけてくれた言葉だった。

確かに、ある同僚の記者は私と正反対のタイプで、自分の考えや正義感を確固として持っている分、興味分野とそうでない記事とのムラは激しかった。逆に私は、誰に何を取材しても面白くて、いい記事を書こう、と意気込んだ。

自分の考えと正義感を持って仕事に臨むことは素敵なことだ。でも、それがないのはだめなわけじゃない。考え方を変えればこんなに楽になるんだと驚いた。

現在、記者の仕事は辞めてしまったけれど、このとき先輩に言われた考え方は今も生きている。「特にやりたいものはないんです」じゃなくて、「何にでも興味を持ってやれます!」。それが私の強みだと、胸を張っていたい。

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