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ロイヤルコペンハーゲンを普段使いしたら最高だった。
ロイヤルコペンハーゲン。
もう名前の響きからして気品のあるお品、そう、あの有名な陶磁器ブランドです。
私がその存在を知ったのは、おばあちゃんが亡くなって、彼女が集めていた陶器類を整理している時でした。
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「おばあちゃん」と言っても、本当の祖母ではなく、正しくは大叔母(祖父の弟の妻)で、彼女には子供はいなかったこともあり、孫同然の扱いを受けたし、おばあちゃんだと思って接していました。
大叔母と叔祖父(祖父の弟)はリタイア後に2人で海外旅行をたくさん楽しみ、旅行の旅にお土産をもらうのが嬉しかったことを今でも覚えています。
デンマーク、フィンランド、スイス、ドイツ、フランス、、そんな地理でしか習ったことのない国の話を聞くのはどこかワクワクしたし、磁石や小物、アクセサリーなど、もらったお土産があまりにもキュートで、ヨーロッパの美的感覚に憧れを抱いたのも彼女たちの存在のおかげだったと今になって思います。(私が退職金で行った国も「デンマーク」でした)
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その後、大叔母と叔祖父は続けてこの世を去って、その家には私の母が住むことになりました(両親の別居婚についてはこちら)
昔の人あるあるなのか、2人暮らしにしてはあまりに物が多かったので、断捨離(遺品整理?)をすることになったときのこと。
大きな食器棚の上段には大叔母が各国を巡って集めたハイブランドの陶器たち。
これえあを捨てるわけにもいかず、かと言ってそんな陶器を出して誰かをもてなす余裕がある人は私たち家族にはおらず、売っても大した額にならず勿体無いという状況になった。
当時大学生だった私は、でもその思い出たちが埃をかぶっていく未来を許せなくて、どっちも1つずつしかなかった(他の陶器は2セットとか4セットだった)ロイヤルコペンハーゲンと、ウエッジウッドのカップ&ソーサーを持ち帰ることにした。
すぐに社会人になったけれど、当然ロイヤルコペンハーゲンを使う余裕なんてなく、それどころか家でコーヒーでホッと息つく暇もなく、働いたり遊んだりして、その存在は衣装ケースの一番奥に閉じ込められたままになった。
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時は進み、それから5年。
会社員を辞めてフリーランスになり、彼氏は夫になり、当時はこの世に存在すらしなかった娘が生まれた。
新居にもロイヤルコペンハーゲンの箱とウエッジウッドの箱は運び込まれた。
でも、新生児を抱えながらその陶器たちを使うシーンはやっぱりなくて、結局箱からは出したけど食器棚の上段の奥に隠れたままになった。
そしてさらに2年が経った。
娘も2歳になり、やっと仕事と家事と育児のバランスがつかめたここ最近、満を持して、あのロイヤルコペンハーゲンのカップ&ソーサーを出してみた。
やっとやっとやっと。
私にも使う余裕ができた。気持ちにも、時間にも。
1セットなので、誰かへのおもてなしではなく、自分のためにコーヒーを入れた。
ホッと一息、までは難しいから、娘が保育園にいる間に、仕事をしながらだったけど。
でも、口当たり、フォルム、指にフィットする持ち手。その全部がかわいくて、特別で、スーパーで買ったなんてことないコーヒーの粉で淹れた、いつも飲んでるコーヒーが、100倍くらい美味しく感じた。
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共働き核家族の我々には、まだまだ時間にゆとりといえるほどの余白はなくて、食洗機で使えない食器を多くは持てない。
だけど、いつか、もう少し落ち着く日が来たら。
食洗機で使えるか?という基準に縛られずに選んだ、お気に入りの食器で、食卓を囲める、そんな未来があるといいなと思う。