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何故ヨウジヤマモトしか着ないのか

理由はいくつかある。端的に述べると、
・好きな著名人がたまたまヨウジヤマモトしか着ない事を知り、憧れから入った
・クリエイションの芯に反骨や非風、脆さや不完全さを美とする事に信念を置いているから
・着た時の着心地、見た目が自分なりにしっくりきて単純に服自体がカッコいいと思っているから
などである。
一つずつ詳しく書いていく。

“好きな著名人がたまたまヨウジヤマモトしか着ない事を知り、憧れから入った”
メディアアーティスト、筑波大学准教授の落合陽一氏とフォトグラファーのヨシダナギ氏がメディアに出始めて世間に知れ渡るようになったのが2018年-2019年辺りの事で、2人の芯がありクリエイションに忠実に欲を出しており、能力に抜きん出ている姿が好きだった。その2人がヨウジヤマモトしか着ないと知り、その憧れから着用を始めた。今年で6年目になり、同じくヨウジヤマモト以外は全く着ない(現場衣装指定時を除いて)
自分もその様な人になりたいと先にヨウジヤマモトを着始めたが、ただ能力が抜きん出てない状態で着ると、言葉を選ばずに言えば、ただ勘違いし似合っていると思い込んでいるイキった人にしかならないと思い、自分はたまたまジャズフュージョンベースをやっていたので、それをヨウジヤマモトに着た自分に追いつくために練習した。6年が経ち、まだまだではあるがメディア露出や認知度、活動範囲も以前と比べ多少は上がり広がってきて(勿論2人には到底及んでいないが)自分が音楽をやる活力になっているのは疑いようがない。要は服が似合うために楽器を弾いてきた。
SNSの総フォロワー数も13万人を超え、着始めた頃はあらゆるSNSのフォロワーは数百人しかいなかった。
ヨウジヤマモトを着始めた1番の理由はこれだ。憧れ、ただそれだけである。

“クリエイションの芯に反骨や非風、脆さや不完全さを美とする事に信念を置いているから”
ヨウジヤマモトのクリエイションには反抗や醜さの肯定、脆さや不完全さを美とする事に信念を置いている事があり、ジャズと遠くはないと思っているからである。不完全さや過ちなどジャズには不可欠な要素で(即興演奏におけるオルタードテンションやディゾナンスとそれらが解決した時のカタルシス、その平衡関係がジャズの醍醐味だから)
またマイルス・デイビスの有名な言葉に「間違った音を鳴らしたなら、もう一度鳴らせば正しくなる」というものがあるが、その非風が是風になるようにヨウジヤマモトとジャズの共通項がそこにも見受けられる。
古い時代のチャーチでのトライトーン禁止令やジャズが黒人が虐げられてきた結果のブルース音楽が元になっている事を考えても親和性は高いと思う。
またヨウジヤマモトの信念の中に「過ぎゆくものの尊さ、美しさ」がある。
山本耀司氏曰く未来には興味が一切なく、刹那主義というかは、創ったものが過去になる事を見通して服を作っている。服が靡き過ぎていく儚さ、それがジャズのインプロヴァイズの過ぎていく一瞬の儚さと似ていると思う。(山本耀司氏自身もジャズが好きで、過去にはオスカーピーターソンの来日時に手伝いをしていた)
また1991年6月1日にコムデギャルソンと合同で行われたコレクション「6.1 THE MEN」ではランウェイにジャズサックス奏者のチャールズ・ロイドや前衛ジャズのトランペッターのドン・チェリーも参加した。
山本耀司氏はまた「男は女性には敵わない」と語っており、ジャズにおけるバラードソングの大半は失恋の曲であり、色恋を題材にしている。個人的にはチェット・ベイカーが失恋の曲(My Funny ValentineやBut Beautifulなど枚挙に遑がない)を歌うときの儚さ、それ朽ちた姿が色気となり人々を魅了していたと思う。朽ちた姿の美しさ、この点が時代的に非常に今の若者に合っている様に思う。
またヨウジヤマモトにはfemme(レディース)とHOMME(メンズ)があり、特にfemmeは背中を追う様な、でも追いつく事がない服の靡きや姿を大切にしていて、山本耀司氏は服は必ず後ろ姿からクリエイトする。一方HOMMEはカッコ良さの中に間抜けさ、面白おかしさを内在させる事をモットーにしており、全て完全だとつまらない、不完全さこそ魅力だと語っている。不均等を美とする考え方はfemmeもHOMMEも同じだが、儚さと面白おかしさという点では異なる。最も、「男は女性には敵わない」と語っているのだから。コレクションを観れば一目瞭然だが、femmeとHOMMEの服はかなり異なるのが分かる。

“着た時の着心地、見た目が自分なりにしっくりきて単純に服自体がカッコいいと思っているから”
ヨウジヤマモトの服は沢山のラインがあるが、基本的には「山本耀司氏が着たい服」をそのまま制作し販売している。(特にRegulation Yohji Yamamotoのラインは1番その思想を反映している)
まずヨウジヤマモトの服は非常にゆったりとしといて今の時代でいうオーバーサイズの服が殆どを占める。これはファッションのトレンドを関係なくどの時代もそうだった(シャネルオマージュ期など一部を除く)。
トップスなんかは襟元が広過ぎて着ていると気付けば肩が出てしまうような服や、パンツもワイドすぎて、布の分量が多過ぎて歩いていて踏んでしまったり、所謂リアルクローズではないものも多いが、それが上記で述べた非風とつながるが、そのゆとりのある着心地が自分にしっくりきた。ダボっとしていてどこからが脚で腰なのか分からない、でもシルエットは崩れ過ぎないギリギリを攻めて作られている。その着た時の見た目もしっくりきた。
あとは単純にデザインがカッコいいと思う服が多い。シーズンによってテーマは異なるが、基本の「反骨」
の思想は変わらず、その服のデザイン、メッセージ性がとてもカッコいいのだ。全ての人間にそれが伝わらなくてもいい。それは山本耀司氏の思想と同じで、ファストファッションやミニマリズムと比較すれば非常に派手であったり非リアルクローズであったりする事が多いが、自分はそれが好きなのだ。
結局の所、自分が気に入っていればいいと思っている。

これらが自分がヨウジヤマモトしか着ない理由の大まかな理由である。

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