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初めてのnote / これから何を書いていくか

(自分についてはGoogleでYuki Atoriと検索して頂くと自己紹介や演奏動画が出てきます)
今考えているnoteに放出する内容は(暫定)
・今までの採譜したソロ譜面の公開と解説
・今までやってきた練習内容
・ジャズベーシスト、音楽家の葛藤/人生
・なぜKensmith Burner BHF5(Hadrien Feraud Signature Model)を売ったか?
・うつ病の明確な発覚とそれと付き添いながら生きるという道とそれ以外の道
・何故ヨウジヤマモトしか着ないのか(6年目)
あとはざっくり
・日々悩んでいる事/妄想
などなど..

と、基本暗めで生々しい内容になる予定。性格上陽キャではなく陰キャなので思想は暗いです。虚無主義というか、諸行無常というか。
せっかくなので一つのトピックを題材に試しに書いてみる。

・趣味がない
人生において自分は心から「楽しい」と思える趣味がありません。
強いていうならヨウジヤマモトdigりなんですが、値段が値段ゆえ、買えないフラストレーションが溜まることも多いのでそれが趣味とは言えないだろうと。お金持ちならこれは趣味になっていたでしょう。
というかヨウジヤマモトは結局音楽活動に連動しているので、趣味とは言えないのではないかと。だって音楽のことを考え出すと「楽しい」だけの感情では収まらないから。あらゆる雑念が入る。趣味はただ「楽しい」だけが感情として沸くものだと考えている。あらゆる人は音楽は趣味だし、ゲームや映画、読書などが趣味だろう。ところが自分は全てを音楽活動に繋げようとしてしまう。思考的には「これは自分の活動にプラスだろうか?」と常に考えることが多い。アーティストはそのような思考の人が多いだろうが、これが非常に疲れるのである。(実際うつ病を患った決定打は音楽活動から離れられない思考から来ている。)今こうやってnoteを急に始め、文章をつらつらと書いているのも趣味を見つけようとしているのかもしれない。言うなれば生きた過程を残している感じで、今更noteを始める人は少ないだろう。Twitterを始めようか悩んでいるうちに名称がXに変わり、それでも結局始めずにいる。理由は今更だからだ。じゃあnoteは何故今始めたのか?明確ではないが、こうやって文章を書くのは嫌いではないということに気づいた。時間潰しになるし、意外と夢中になれる。YuoTubeの様な動画プラットフォーム時代に文章中心のかつてのブログの様なプラットフォームを使うのはどうなのかと考えたが、動画は単純に疲れるのだ。撮影、撮影内容の準備(これが一番疲れるし時間がかかる)、そして苦労して作った動画が世界に放出した途端、評価の目に晒される。でももちろん動画プラットフォームのおかげで今の自分があると思っている(ミュージシャンサイドの自分)ただもう一度いうが疲労が付きまとうのだ。心身共に。この時代に生まれたからには仕方がないし、陰キャの自分には家で動画を撮って有名になれるなんて幸せじゃないかとも考えていた事もしばしばあった。それは結局コミュニケーション能力不足やその他が音楽人生に影響することに目を閉ざしていただけだと気付いたのはこの数年のことである。人生は性格、環境、遺伝子、人種等、あらゆる変数が組み合わさって決まると思っていて、言うなれば運で決まり、努力もその思考に至る脳の回路があったからだと思っている。そして努力も人により結果の出方が遺伝子レベルの違いで異なってくると思っている。

とこんな感じに書くのに疲れたのでここまでにするが、毎回あるトピックについて不定期で淡々と書いていきたいと思っている。
言うなれば暇な時に。これが趣味の一つになってくれたらそれでいい。
もちろん音楽的に有意義な内容の記事も書くときは書いていきたい。
ただそれが精神的疲労に繋がるのならば辞めると思うし、そもそもnoteもいつまで続けるか分からないし。他の人のnoteを見たが3、4年前から更新が止まっている方が多かった。noteも流行りがあったのは知っている。
Twitterの件でもそうだが、全ての世間の流行りに乗ることは全く好きではない。
最近のアメリカナイズされたBlack Lives MatterやLGBTQ、その他ポリティカルコレクトが世間に浸透して、それに安易に乗っかる人もとても多い。そんな時だからこそ表現方法を変えずに自分の信念を軸にいきたいのである。常に反骨精神を持っていきたい気持ちは根にあり、また別記事で書こうと思うがヨウジヤマモトを着る理由の一つである。


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