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高橋さん
まだうちにカウンター席があったころに”高橋さん”という常連さんがいた。物静かで、声のトーンも低くどこか昔の俳優を思わせた。
いつもスーツを着ていたはずだ。
タバコを吸いながらビールと食事を楽しむお客様だった。年齢は確か僕と同じか、少し下くらいだったかと記憶している。
「マスター、ビールお願いします」
彼は、まだ20代だった僕のことを”マスター”と呼んだ。
なんかちょっとズレてるよな、と思いながら気恥ずかしかったが、悪い気はしなかった。
今思えば彼も20代だった。
最初は寡黙な印象だったが話してみると学校の先生であること、旅行が好きであること、物静かな印象にそぐわず学校では子供たちと大はしゃぎしていること、そして実はとても話し好きであることが分かった。
うちのタコライスをめっぽう気に入ってくれていていろんなお店に行くたびにタコライスを食べ
「マスター、やっぱりここのタコライスが一番だよ」
とタバコをふかしながらいちいち報告してくれた。
タコライスが好きなのか、うちのと比べることそのものを楽しんでいたのかは分からない。
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僕はある時から高橋さんのことが苦手になった。
高橋さんに罪はないが”ずっと会話が途切れない”という状態が続くようになり仕事に支障や遅れが出るようになった。
これはお客様の席とカウンターの高さが同じ設計のお店のほとんど不可抗力で遭遇してしまう壁だと思うが
「お客様のホストをやらねばならない」
という状態。
高橋さんに付きっきり、になってしまうのだ。
女性の場合は「あれ、この子と付き合ってるっけ?」と錯覚するようなことさえある。要は人間関係が構築されていないにもかかわらず、彼女ヅラしてやってくる人もいる、ということだった。
そういうことから、女性がマスターの喫茶店やbarなどは僕以上の大変さがあると想像するのは容易い。
これは高橋さんに限った話ではないが、そういうことの積み重ねがカウンター席の撤廃に繋がった。
僕らは正直心身ともに疲弊し切ってしまったのだ。
今思えばこちらの技量不足でもあった。
全身全霊で向かい合わなければそれは失礼だ、と思い込んでいた。
もちろんそれができれば苦労はないが、よそさまとお話しするというのはかなりの集中力が必要で、例えるなら高速道路を走っているような感覚。一瞬たりともミスは許されない、というモードで臨んでいた。
何より他のお客様の「居心地」に影響する。カウンターだけで会話が発生しているというのはうちのような小さなカフェでは店内全てに伝播する。
カウンター席とそれ以外、ではなく僕らとお客様、でなければならない。
疎外感は些細なことで生まれるものだ。
いい塩梅でこちらが向かい合わなければならなかったのに、それは棚に上げて高橋さんがやってくると「嫌だなぁ」と感じるようになった。そしてそんな自分のことも嫌になったのだ。
カウンター席を作っておいて、なんて身勝手な店なのだろうか。
今思えば「真剣に話を聞きすぎない」という持続可能なサービスもあったのだが、そういう技術が自分になかったのだ。
下手くそだった。
(遅かれ早かれカウンターは撤廃していたと思う。こちらの厨房の手元から何から丸見えだったから)
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高橋さんはカウンター席がなくなってからは来なくなってしまった。
確か、一度お母様を連れてきてくれて、テーブルでタコライスとビールをいつものように楽しんで帰った。
その頃には完全禁煙と化していた店内。高橋さんは常にどこか寂しそうだった。
またあの低い丁寧な声で
「マスター、ビールお願いします」
が聞きたい。
人間って勝手だ。
それでも、手放しながら生きるんだよな。
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