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「お待たせしました」で育った私たち
うちはいわゆる飲食店ですからお客様へのほうれんそうも仕事のひとつだったりします。
大事なことは一体どこに比重を置くか?でお客様にとって必要な情報がどれで、不必要な(無意味な)情報がどれなのかを店側がしっかり認識して編集しておく必要があります。
うちの新しいスタッフたちにもその辺りの理解を深めてもらう必要があるのですが、例えば
「お待たせしました」はむやみやたらに使わないでくださいね、と伝えています。悪戯に使う言葉ではないのだ、と。
どれだけ迅速に、これ以上物理的には早くはならないだろうというスピードで商品を提供しても「お待たせしました」と言っている。着席から1~2分空いただけでメニューを出しながら「お待たせしました」と言っているわけです。
思えば自分の店以外でも、僕たちはいろんなところで「お待たせしました」に出逢います。僕もいろんなお店で言われます。
”待っていない”のにも関わらず。
コンビニでレジに誰もいなかったときも「お待たせしました」
コーヒー屋さんで10分ほど待ったとき「お待たせしました」
パンを買うとき「お待たせしました」
本当に「待たせた」と感じているのか?というところが焦点なわけですけど。
僕らは「お待たせしましたに囲まれて育った」と言っても過言ではないのです。もしかしたら常に待たされ続けているのかもしれない。
実際、お待たせしすぎたかもしれません、と言っている人がいましたけど。
この辺が言葉のマジックだと思いますが、お待たせしましたと言われると「待たされた」のだな、と認識してしまうのです。
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うちの場合、一度に席が埋まったりすることもありますのでそうすると最初と最後ではやはり提供までに時間差が出ます。
30分お待たせすることもありますのでこれはさすが「お待たせしました」を使う場面です。実際にお待たせしているので。
しかしながら常識の範囲内(飲食店での提供スピードは10~15分以内が適正と言われています)であれば使う必要のない言葉です。枕詞のように、とりあえず使って語調を整えようとか、そういう意識で使っている人があまりに多すぎます。
待たせてしまったと感じ、心の底から「お客様の時間を奪ってしまった」と感じた時に使うべきもので、だからこそその言葉は”生きる”のです。生きるというのは”意味を持つ”ということです。
待たせてもない、待たされた気もしない、という空間に舞い上がった完全に無意味な「お待たせしました」はどこに着陸すればいいのでしょうか。
生きることなく、空に消えていくだけです。
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そしてなにより一番の問題点は「自分たちで店のボーダーラインを引いていること」です。
先ほども書きましたが
この辺が言葉のマジックだと思いますが、お待たせしましたと言われると「待たされた」のだな、と認識してしまうのです。
要は「お待たせしました」と言った瞬間からその店は「本来ならもっと早く対応することができるんですよ」と言っていることになります。
普段からわざとお待たせするようなオペレーションを組んでいる店など皆無だからですね。
さて。
そういう環境下で育った僕たちの多くは(広義での)お店に行ったときに何を感じるようになるでしょうか。
ほんの少しの待ち時間でさえ”待たされている”と感じるようになり、公共の場で他にもお客様がいるにも関わらず、あたかも自分一人のためだけにサービスが行われると勘違いし、大声で「すいませーん」と叫ぶ顧客の完成です。ひとりしかいないホールスタッフがレジでお客様の会計しているのが見えても呼び続けます。しかも連呼するんです。
今すぐこっちへ駆けつけろ、というわけです。
こういうお客様ってお店からしても困るじゃないですか。
でもよく考えてみるとそれを生み出しているのは僕たち店側が安易に発してきた「お待たせしました」です。
待ってないのに、許容範囲内なのに、すぐにそういうふんわりとした内容のない言葉を多用する。
その結果が「あ、私たちって待たされたのだな」と誤認し「もっと迅速なサービスが受けれるはずなのだ!」という刷り込みと誤解です。
店内で「すいませーん」と大声を張り上げたり、呼び出しのボタンを繰り返し鳴らすような劣悪な環境を生んでいるのは言うまでもない僕たち自身だったのですね。
僕の足に絡んだ蔦は
あの日蒔いた種だった
それはこれから長い時間をかけて少しづつでも改善し、変えていかなければならない。
飲食店は店側もお客も「見苦しく」あってはいけないのです。
僕にとっての見苦しいはお客様に対する不要な情報の提供です。
大事なほうれんそうこそ必要以上に用心深く撒き散らし、意味のない物は排除する。
それでこそ、ここぞというときに「お待たせしました」は存分に効力を発揮するのです。
言葉の意味はとても重いのだと、感じます。
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