私のDNAに流れるものを紐解いてみると、
こんにちは。ゆうきです。
最近、すごく自分の先祖がどんな人か、何をしていたか気になって、
家族に質問することをした。
きっかけは、「愛のエネルギー家事」を出版されている
加茂屋 真紀さんのYoutube 手のひらで読む
「ご先祖様で知る開運方法」
開運方法が知りたいわけではなかったけど、
ほかの動画で、上の動画が面白いというコメントがあって、すごく気になって、拝聴しました。
そして、私はこう思いました。
「あれ、私、ご先祖様のこと何も知らない。」
毎年、お盆を楽しみにしている。私が生まれる前に亡くなった祖母と会えるような気がするから。
なのに、何も知らない。
「これをキッカケに、周りの人に聞いてみるのも面白そう!」
そう思い立ち、母、祖父(母の父)に亡くなった祖母のこと、祖母の家族、祖父の家族について、聞いてみることにした。
祖母のこと
祖母は、60代初めにガンを患い亡くなった。
性格は、とてもやさしく、温厚で、愛情深く、子どたちにいつもほっぺにチューをしてくれたと言う。
母の記憶では、怒られた記憶は一度もなく、いつもニコニコしていたと。
最後の仕事は、地元のスーパーの鮮魚店で働き、料理が上手。手先が器用。
口癖は、「生姜がないから、しょうがない」
これを聞いた時点で、とても優しく、愛が深く、執着が少ない人だったんだと思った。
祖母の歴史を振り返る。
畳屋の子供として生まれる。
経営が悪化し、10歳で魚屋の養女として出される。
その後、家業を手伝ったが、その魚屋も、スーパーが出現したことで、経営が悪くなり、廃業した。
そして、スーパーの鮮魚店で働き続けた。
お見合いで、私の祖父と結婚し、私の母が生まれた。
祖父の歴史を振り返る。
稲作農家の次男として生まれ、大家族なので、みんなで助け合い、農作業をしながら暮らした。
祖父の父は、温厚で優しく、叩かれたのは一度だけ。
祖父の母は、体が弱かった。そして、同じく優しかった。
庭では、割れ米で鶏を飼い、卵をいただき、肉は、鶏を屠殺して食べた。
近くの川で鮎を釣り、生活はほぼ自足時給。
家族で協力して、みんなで生きていく環境で生活。
学校にはいかず、青年になって、東京に行き、クリーニング屋の見習いとして、就職した。
そして、両親のススメで、お見合いをするために、地元にUターン。
祖母と結婚し、私の母が生まれた。
それを聞き、総合して自分が感じたこと。
・私は、両親に怒られたことがない。
(忘れ物のくせが酷すぎて、注意されたり、「どうしたら、忘れないかね?」と悟らせられることはあるけど、)
・怒られ慣れてないからこそ、人に怒ることができない。
・人に頼るのも、すごく苦手。
(最近は、頼んでみるだけタダだと考えを切り替えられるようになったが、)
・自分が怒られるのも慣れていないし、誰かが怒られている環境も苦手。
それをすごく、自分の弱みだと思って生きていた。
でも、「怒ることって、私のDNAにない。」
むしろ、祖母の口癖のように、「しょうがない」と思い、「どうしたら、できるようになるかな?」って思うタイプ。
そう思ったら、すごく楽になった。
無いものは無い。
だから、無理してできるようになる必要がない。
持っているもので補えば、いいんだ。
こんな歴史が私のDNAに流れているんだ。
祖母についての話を知って、
当時は、養子は普通だったのかもしれない。
いつの時代も生まれた家族を離れるのは、辛いと思う。
でも、10歳の自分にできることは、養女として迎えられ、健康に懸命に生きることだと悟ったのかな。
こんな辛いことは、ない。
だから、健康に生きていけるだけで有難い。
いい意味での諦め。
口癖:「生姜がないから、しょうがない」に込められていたのは、過去ではなく、今にフォーカスしようというメッセージ。
さらに祖母に会いたいと、祖母の料理を一度味わってみたかったという気持ちが募る。
そう思うと、祖母もこれから生まれてくる孫を一度でも目にしたかったのかな?と
今では、何もわからない。
だからこそ、「生姜がないから、しょうがない」
今にフォーカスし、当たり前の日常、当たり前の健康に感謝、繋いでくれた命の感謝が深まった。
ありがとう、おばあちゃん。
ゆうきより