こーんなにへらへら生きてきたのにか!?

受験が近づいてくる。美大受験は奇天烈なので、この時期になると学生の癖して本業が絵にシフトしたキモい学生が大量に画塾に集まり、だま〜って何時間も絵を描くという普通に考えたら異様な光景が毎日続くようになる。11月。共テまでは80日を切り、本受験まではあと2ヶ月少しだ。冷静に考えれば受かるわけが無いが、もう少し冷静に考えれば自分の努力量を1と規定しているからこその想定であり、別にスイッチ入れて真っ直ぐ全力で努力すれば正直圏内には入る。それが問題である。

いくつかこのゴミが書いた支離滅裂で気取った気色の悪い駄文を見ても分かるように、この文章を書いている人間の性格はガンジス川下流のように透き通っており、産業革命後のロンドンのように一点の曇りもなくピュアである。
何が言いたいかと言うと、自分はこれまで一切真剣に努力をせず、また真剣に努力する人間を冷笑し、それ以上に心の奥底で真剣に努力する人間を畏れながら生きてきた人間なのだと言うことである。

冷笑とは防衛である。自分の正しくなさを正しい相手を笑うことで誤魔化すという怠惰で言い訳が得意なやつ特有の防衛行動だ。

物理的には何一つ不可能ではないのだ。休みの日に1枚木炭画を描くことも、毎日1時間スケッチとクロッキーをすることも、毎日英単語の勉強をすることも。実際にできるかはともかく、である。そういった事を自分の人間性のせいにせず、全然関係もない自分の遺伝のせいにせず、対策と方策を立ててルーティン化し

「問題解決のために自分に対して真摯に向き合い、解決可能な方策を立てた上でPDCAを繰り返す」と言うのが、精神的に成熟している大人の条件である、と考えている。変にナイーブになったり、ツイッターで人や自分や社会構造、あるいは世界そのものを冷笑してみたり、酒やらに逃げてみたり、手首に刃を立ててみたりする行為をしている間は俺らは子供のままだ。大人にならないと美大は俺等を入れてくれない。危機感の無さが俺等を子供に貶める。やんなきゃ落ちるのだ。落ちたら終わりなのだ。受験で追い詰められたアライさんのようになってしまったが、実際すれば受かるんだろうなと言うのはなんとなく分かる。何故なら自分より絵なりなんなりが上手い人間はそれを「してきた」人間なのだ。「していない」が怖くて俺はそれを冷笑し続けてきたのだ。

へにょへにょと18年生きてきて突然大人になれ、ならなきゃまた来年、なんて酷いじゃん。
そして酷いけども何とか方策を立てて大人になるための段階的な手筈を踏んで無理矢理にでとそこに近づくという行為が「おとなになる」なんでしょうな。あ〜あ、俺ADHDだから無理〜!俺絵才能ないから無理〜!

はぁ〜あ。ガキのまま大学受験受かんね〜かな。したくないことしたくないって。それだけ。

いいなと思ったら応援しよう!