いくらインターネットで卑屈になったって結局は常人

Twitterでは遥か昔から狂人・異端アピが流行っていた。運動神経でも勉学でもその他の事でも数値的に他人より優れていないTwitter民にとって狂ったマインドや弱者性と言うのは数値的明確な指標がなく自己顕示に向いているからだろう。数多のインターネット蛆虫がひたすら俺ちゃんイカれてるアピを行い、人を冷笑し、そして冷笑されてきた。かく言う俺もインターネット蛆虫として精力的に異端アピをしつづけているにんげんではある。

Twitterでの異端アピは非常に多岐にわたるが、その中でも弱者アピは基本中の基本、料理における食材、車におけるタイヤ、寿司におけるネタである。
コミュ障を名乗ってみたり、友達がいないアピールをしてみたり、便所飯をしてみたり、不安を叫んでみたり、石川啄木の俳句やドストエフスキーの地下室の手記の序盤を気取ったメソつき方をしたりなど様々である。

実際俺虫もコミュ障を名乗っているし、友達がいないアピをしているし、石川啄木の俳句や地下室の手記を気取った鬱ポエムを発射し、2〜3いいねをもらい悦に浸っている。ダセェ。ダセェけどもうクヨクヨするしかTwitterですることがないんだよ。
情報商材まがいのことをし続けるガッツも無いし、芸能番組の切り抜きを違法に載せるガッツも無いし、かと行って自分でコンテンツを生むパワーは無いし、人に噛み付く度胸は無いし、何かを紹介するだけの深い知識と自信も無い。でもクヨクヨすることはできる。いつでもどこでもクヨクヨ生きているから。

だが現実問題どうだろう?この文章を見ている人たちの中にどの程度クヨクヨ鬱ポエムをインターネット大海原に解き放っている方がいらっしゃるかはわからないけれども、皆様もずっと荒天のピクニックのような、ひっくり返ったゴミ箱以外のクソみたいな毎日を生きているわけではないのではないだろうか。 

Twitterでは友達が少ない〜だとか努力する能力がない〜だとか生きてる意味が無い〜とか何も上手くいかない〜とか言うけどさ、普通に友達と笑った日だって、頑張った日だって、楽しい日だって、生きていて良かったと思う日だってあるんじゃないの?それをわざわざ隠してまで必死に弱者ぶる必要は無いんじゃないの?普通に楽しい時は楽しいって言って、最高な日は最高な日だったって言っていいんじゃないの?

とは言えTwitterは感情のゴミ箱でもあるという側面を考えるとそう言い切るのもまた良くないのが事実。俺達はTwitterの世界ではなく現実問題で生きているので(一部本当にTwitterの世界に生きて現実をおまけのようにしてしまった人がいる。そう言う人はひたすらに現実がツイてなくて酒タバコみたいにインターネットに逃げるしか無かった人なので、優しくしてあげて欲しい)、Twitterは現実を生きやすくする補助ツールであるべきなのだ。そう考えるとTwitterで自分をさらけ出せよ、という主張は問題なく成立している他人のツールの使い方に文句を言うようなもので、ちゃんちゃらおかしい話でもあるのだ。

しかしSNSとは恐ろしいツールであるから、インターネット上の自分を現実で無意識にロールプレイしてしまうこともままある。現実から目を背けるため、インターネットで自分の居場所を作るために必死で作り出したネガティブな弱者的または異端的な自分がゆっくりと現実の自分を文字で蝕んでいくということもある。自分を表現する文字が自分とずれるということは、自分の人間性のレールを文字で引きずりずらすという事にも繋がる。
つまり、インターネットでの居場所と自己顕示のために自分宛てのおっきな嘘を作るのはやめるべきだよということだ。Twitterとは文章を媒体にして自分の脳を良し悪し無く歪める力を持っている。これを制御できるか否かが、昨今のティーンの精神形成の課題になるであろう。

X?てめぇ今Xっつったかよ?良いか、二度と俺の前でXの名前を出すんじゃねぇ、わかったな。飯が不味くなるだろ畜生。

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