あ〜あ、結局才能とかじゃ無いのか、理由に出来ないのか。
同期で一番レベルで絵が上手い、個人的に心の中で絶望と呼ばせていただいている同期の女子(ホントに講評で並んでみろって。ホントに絶望するから。)がtwitterに絵を上げているらしく、前にそれがバズった事で浪人生の人に見つかり鍵をかけたらしかった。しかしいつ頃なのかは不明だが鍵を外したらしく、そのバズった絵が俺のTLにも流れてきていた。個人を詮索する行為は俺自身一番されたくないのでtweetを漁るような真似は流石にしなかったけれども、固定ツイは目に入った。本当に絶望だった。1年前の絵が大体俺と同じクオリティなのだ。今のではない。1年前のである。
じゃあ良いじゃんかよと思うかもしれないけれども、そんな事は無い。俺の絵の下手さと、その人の絵の上手さが、完全に努力で開いたものだと証明されてしまったからだ。その人は天才なんかではなく、努力と練習でやって来たぶっ叩き上げの秀才だったのだ。才能の差なんかではない。俺がカスみたいにYouTubeshortを観ている間、その人は絵を描いていたのだ。
もちろん俺が絵を描いている間、その人は俺よりいろいろなことを考えて絵を描いている。
また言い訳を一つ失ってしまった。始めは同じだった。もし俺があそこまで走れていたら、俺もあそこにいたのかもしれない。タラレバの幻想程やっていられないものは無いけれども、思わずには要られない。届くわけないと思っていた場所に万に一つも無いが届いていたかもしれないのだから。
苦しい。俺の才能が無いせいにしていた部分が空洞になって、そこを自罰心がぴっちりと埋めていく。結局俺は怠惰で足踏みして、どうしようもない人間としてただそこにある。誰も直接は言わないが、誰が上手くて誰が下手かは皆わかってる。受験科は多分そういう場所なんだと思う。こいつは死ぬんだろうな、と心の何処かで思いながら絵を描いているんだ。畜生。馬鹿にしやがって。畜生。ここで絶対に見返してやるとすぐに書けない俺の惨めさと怠惰さと思い上がりが嫌になる。どうせ、落ちるまで学ばないんだろうな。
悔しいよ。悔しいだけなのがもっと悔しいよ。