自我が無いみたいに

気がついたら自分の素と呼ばれる部分が無くなっていた。

人に擦り寄らないと生きていけないしノリに身を任せ無いと生きていけないので、一対一の会話のときは他人に、多数の会話のときはノリに身を任せている。そう思えば自分の行動の責任感が薄れる気がしてそう思うようにしている。

実際は素なんてなく、全てが自分自身であるはずなのに。この人の前だから、こういうノリだからとコロコロ自分を変えて自分の一挙手一投足に発生する責任から逃げようと必死だ。薄っぺらい人間だからこそ出来ることで、そんじょそこらのちゃんと生きてきた人間には真似ができない。軽薄にヘラヘラ生きてきた人間の技術だ。

いろんなことから逃げてきたせいで高3になっていままでおざなりにしてきたいろいろなことのツケを纏めて払わねばいけなくなった。体調を崩しっぱで、ろくに寝られず、平日は死んだ目でつまらない絵を描き、休日は馬鹿みたいな時間に目覚める。人と仲良くなろうとしては迷惑をかけ、不快にさせ、面の皮の厚さでそれをごまかしている。末路、という言葉がよく似合う人種に育った。

塾にも学校にも自分の上位互換が立ち並び、粗悪品のような性格で粗悪品のような人生を歩んでいる気分になる。

学校では絵の具まみれの制服で授業中に寝て、塾ではキャンバスの前で静止している。夜はSNSで言語による自傷を行って自我を保とうとする。そのまま睡眠を削って死んだ目で学校に向かう。

一回全部が嫌になって深夜の公園で四足歩行で走り回っていたらベンチに人がいて、こっそり遠くの出口から帰った。俺は精神疾患がある。

いいなと思ったら応援しよう!