ごめんなさいとすいませんだけで生きていけないだろうか。
上記2種の言葉はよく物や人にぶつかる俺にとっては無くてはならないパーツの一つである。
俺は動きが気持ち悪くもそもそしている上足元に意識がいっておらずよく物を倒したりするし、
手先にも意識がいっておらず物にぶつけたりするし、
体にも意識がいっておらず人にぶつかったりするし、
頭にも意識がいっておらず言われたことを覚えていなかったりするためである。
じゃあどこに意識が行っているのかと言われると不思議なもので、どこにも行っていない。バグか?修正パッチもないのによ。
なので、親しい人以外の人間は俺が謝っているところ以外を見たことがあまりないと思う。
画塾でも大抵人に謝っている。テレピンにぶつかったり椅子にぶつかったり。ベイブレードのようなものである。
謝らない人間ベイブレードは本当に終わっているので、本当に終わらないためになんとかできる限り謝っている。
謝ると基本人との関係的距離は少し広がるので、俺と他人の関係は謝る人と謝られている人からは決して広がらない。
絵を描くより人に謝るほうが楽だと気がついたので、謝って生きていく道を模索している。
生きててすいません、とやっているだけで小銭が入ってくれば、こんなにも楽なことはない。
俺は人に迷惑をかけることに関してと相手に不快感を与えることに関して右に出るものはいない。
愛嬌がないくせにヘマをし続けるやつもそういない。普通そういうやつは学習する。俺は違うってこと。バグか?お前。
なので俺は基本人に謝っている。傲慢なのでおそらく俺がしたヘマと与えた不快感の三分の二ぐらいは自分でも気がついていないんだろうが、それ以外はなんとかしていると思ってる。
しかし絵に関しては謝っても解決しないらしい。つくづく相性が悪いのかもしれない。俺は好きなんだけどな、絵。