心の中って難しい…
こんばんは、お久しぶりです。ゆきみだいふくです。最近更新できておらずすみませんでした。💦
この3ヶ月ほどいろいろなことがあって…その状況に全くついていくことができていない今の自分の思いを少し吐き出そうかと思いここに書いてみることにしました。
つい最近とある事がきっかけで「死」について考える事がありました。理由は言えませんが、自分自身の生きる希望だったり、自分の歩む道がわからなくなってしまったのです。でもそれから数日後には普通を装う事ができる自分に驚きました。本当はまだこの心の傷を回復させたいのに、自分が許さないのです。それは、体裁を大切にしている自分がいるからだと思います。
私の心?頭?の中には、5歳の可愛らしく、純粋無垢で臆病なゆきちゃんがいます。一方で、30歳ぐらいの大人の良いも悪いも理解した上で行動できるゆきもいます。この二人は時々私の頭を飛び越えて喧嘩をします。普段は5歳のゆきを30歳のゆきが守っています。5歳のゆきが傷つかないように。そして希望を捨てて、自分を無くそうとしないように。必死で守っているのです。だからこそ、私を知っている人は、私が大人っぽくしかし、甘えん坊な人に見えるのでしょう。それは、私とどれだけ付き合いが長く、深いかにもよりますが、深く付き合い、長く一緒にいる人には、私は5歳のゆき自体は見せませんが、その思いは伝えます。良くも悪くも人を見て自分で判断しているのですが。だから、人によって私の見え方はきっと変わるんだろうなと思います。そりゃ学校で見せている私と、バイト先で見せている私は全く違うに決まっている。だって、やる仕事が全く違うから…
話は5歳と30歳のゆきの話に戻りますが、時々この二人は20歳の頭を飛び出て喧嘩をします。(喧嘩というか話し合い?)その時本体である20歳の私はどうすることもできません。ただ頭が勝手に働いて、体は全く動かず、ずっと寝ていたり、起きていても体が動かない。これを簡単に説明しろという人がいるのであれば、ぜひ経験してもらいたい。どれだけ辛いか。私にだって二人の話は入ってきているけれど、仲裁できる力を持っておらず、ただ体をこの二人に貸しているようなもの。乗っ取られた日には、全ての予定が狂います。何もできない。言い訳はあんまりしたくないけど、今日もすごくチャンスがあったのにそれを逃した。自分は何をしているのかと悲しくなる。
人に説明できるものなら本を書きたいぐらいです。私は自分のことを常に才能がないと思っています。しかし、やると決めた目標は決して基本的に諦めない。よく死ぬ気になればなんでもできると言いますが、それは本当だと思います。私自身何度となく、死んでしまいたい。どこでなら死ねるだろうか…と考えた時がありました。でもその度に、「こんなことで死ぬぐらいならもう一踏ん張りしてできなかったら考えよう」と思うようにしてきました。才能がある人を見るといつも羨ましくなります。でも母は私に対してゆきは自分の才能に気がついていない。自分の武器(才能)を見て見ぬふりをしていると言います。では、才能があるならどうして自由に何かに一生懸命になれないのでしょうか。以前友人にあなたは、鳥籠の中の鳥ね。と言われた事があります。翼はとても綺麗なのに、飛ぶ力もあるのに、ただ飛ぶことを諦めている。この言葉に私はとても怒りを覚えたのを今でも忘れられません。飛べるものなら飛んでいる。でもこれって結局私には勇気がないんですよね。飛びたい気持ちはあるけど、30歳の頭の良い私は、決して安全な場所から離れることを許さないのです。どうしてかって…いろいろな人に迷惑をかけるから。
体が動かない日だってそう。私が死にそうになった時だってそう。結局人に迷惑をかけぱっなし…自立の一文字もない。私は何がしたくて生きているのだろうか。いっそ、何もせず自由にいた方が私はしんどくないのだろうか…でもそうしたらお金はどうしたらいいのだろうか…結局就職することが一番安全策なのだろう…この世の中は難しい。才能がお金になる人もいれば、その才能を開花するための資金が作れない。もしくはない人もいっぱいいる。自分は恵まれている方だとは思っているでも、自分の家は結局のところ仮初めだらけなのだと感じる。それを感じている自分はどうしたら良いのだろうか。この家とこの人たちから自立を一刻も早くするためにはどうするべきなのか…それともこの仮初めだらけの家族の日常を卒業するまで送り、その後自分で資金を集めた上で自由を手に入れるべきなのか…さてどれが正しいのか。
私になんの才能があるのか…何ならできるのか…
きっと自分にしか分からないけど、自分にも分からない。そして療養の仕方を親は見誤っていると私は思ってる。私を思って実家に返したのではなく、体裁を保つために私を家に置いているのだと思う。私からしたら実家は格好の死に場。だって約20年間住み続けた町だからどこに何があるかおおよそ予測がつく。そんな場所におく理由はなんなのか。はたまたこの考えについて親が気がついていないのか…いや気がついていないのではなく、気づかないふりをしているだけなのではないだろうか。頭が働くなら別の場所に働けばいいのにね。自分の頭は本当に厄介。どうしてこんなに変に鋭くなったのだろうか…
自分がなかなか復活できない。悲劇のヒロインになりたいんじゃない。ただ私のこの頭の中の戦争がなくなって中和してくれることを切に願ってる。
そうすればちょうど20歳ぐらいの考えになれるはずなのにな。
まぁこの二人が存在していくれているから、自由な発想が自分自身できるんだろうなとは思うけどね。
私の近くにいる人は大変だと思う。迷惑をかけてはいけないと律してもどうしてか迷惑をかけてしまう。構ってほしいと思うこの自分も嫌いどうしたもんやら…
どこか子供心を変に捨てれずに大きくなってしまったんだろうな。昨日母親に中学校の不登校時に認めてあげれればよかった。と不意に言われて今じゃないんだと思ってしまった。私は今認めてほしいんじゃない。昔それをずっと切に願って…自分のことを必死に立たせて自分の居場所を探していたというのに、今更そんなことを言われても何も思わない。思うこともできない。この気持ちはどこにぶつければいいんだか。夢見がちになる自分も嫌い。私自身が好きで、大っ嫌い。だって自信もあるそれだけの努力を必ずするから。でもそうやって体裁を保ったり、地位を探している自分は大っ嫌い。何がしたいんだか…
誰か、何も考えずに、一緒にぼーっと5歳の私の対話してくれる人が現れてくれればいいのに…そしたら自分は少しは楽になるのかな…
もしくはそっと5歳の私を誰かが殺してくれれば楽になるのに。そしたらきっと楽に上に登る方法を思いつくのに…
みんなからはたして私はどんなふうに見えているのだか…
気になるものわ。
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