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生きちゃった

愛の形なんて人それぞれで、だからこそ分かり合えなくて、それでも人は愛されたいし愛してしまう。

愛ってなんだろう、というテーマには何故か若葉竜也くんや仲野太賀くんがよく出てきている気がしていて、この2人がタッグを組むと聞いた時は最高に興奮した。

まあ竜也くんは「愛がなんだ」、太賀くんは「僕の好きな女の子」、2人の共演だと「南瓜とマヨネーズ」くらいしか観ていないんだけど、やっぱり雰囲気が独特な愛の映画にはどちらかが出てるイメージになっちゃう。笑

今回も愛がテーマだったりして、本当に本当に凄い映画だった。


あらすじ

幼馴染の厚久と武田。そして奈津美。学生時代から3人はいつも一緒に過ごしてきた。そして、ふたりの男はひとりの女性を愛した。30歳になった今、厚久と奈津美は結婚し、5歳の娘がいる。ささやかな暮らし、それなりの生活。
だがある日、厚久が会社を早退して家に帰ると、奈津美が見知らぬ男と肌を重ねていた。その日を境に厚久と奈津美、武田の歪んでいた関係が動き出す。そして待ち構えていたのは壮絶な運命だった。

引用:http://ikichatta.com/sp/about/

厚久を仲野太賀くん、武田を若葉竜也くん、奈津美を大島優子さんが演じられているのだけど、本当に素晴らしい演技で惚れ惚れした。

特に大島優子さんはアイドルのイメージが強かったけど、存在感と強さがあるのにどこか悲しそうな、繊細なところまで表現されていてイメージが覆された。

太賀くんと竜也くんの歌も味があって好きだったな〜。CD出さんかな笑


情報量の少なさ

邦画は状況説明や登場人物の情報など、説明を詳しくしないことが多いように思う。

もともと「言わなくても察してください」の文化だから、これは日本映画の特徴なのかもしれない。その分人物の心情を表現するカットは多い気もする。

まあそうだとしても、この映画は邦画の中でも特に情報が少ないと思う。その分余白が生まれるので、思考を巡らせることが好きな私は楽しいけれども。笑

情報が少ない分、観た人によって解釈が大きく違ってくるのかなぁ、なんてことまで含めてとても面白い映画だと感じた。

久しぶりに、重くて不幸続きの話でも心に突き刺さってくるタイプの邦画を観た気がする。

欲を言えば、厚久が本音を言えない原因をチラつかせてもらえればもっと嬉しかった。さすがに「日本人だからかな」ってのは言い訳でしかないだろう。


言葉と愛

奈津美と厚久はすれ違いを生みやすい2人だった。

例えるなら…

言葉で愛をはかる人と、言葉で愛を伝えられない人。

この映画では「言葉」がすごく大事だったように思う。厚久は「本音」を、厚久のお兄さんは「言葉」自体を言えなかった。

でもそこに「愛」はちゃんと存在していた。愛はあるのに「言葉」にならなかった。

お兄さん喋ってたっけ…っていうのはうろ覚えだから、今度パンフレットだけ買ってこよう。


私は厚久のように、本音を言えずに生きても来たし、奈津美のように愛を「言葉」などのにしてもらおうと相手に求めてしまったこともある。

両者の気持ちが少しわかるだけにとても辛い。これは多くの人が出会ったことのある葛藤ではないだろうか。


見えない愛を信じることはできるのか。

逆に目に見える愛は本当に愛なのか。

本当の愛っていうのはどこにあるんだろうか…


見守るという愛

男女の愛についてだけでなく、この映画ではそれを見守る愛も描かれていた。

2人の親友、友人である武田という存在のことだ。

武田の中立的な見守る愛があるからこそ、厚久はあんな行動を取れたんじゃないか…という場面が何度か出てきた。

最後のシーンはとても力強い愛が存在していたし、本当に演者の素晴らしさを感じた。もうあれは演技ではないんじゃないかとすら思える。

役者さんは本当に尊敬するんだけど、ああいう心が、魂が震えるっていう経験をするとより一層すごさを実感するなぁ。

かっこよかった。

武田の素性があまり描かれていないので掴みにくいけれど、厚久にとって少しだとしても寄りかかれるような、かけがえのない存在だったことは間違いないだろう。


愛っていうのはやっぱり、求めて得ることでも、何も与えないことでもなく、求められなくても与え続けることなのかもしれない。

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